足を引くキツネ
私は橘ミズキ。
私には、世界で1番嫌いな奴がいる。
最悪なことに、そいつは私の隣の席だ。
「アヤ!アヤ!見ろよアイツの髪やばくね??」
奴に絡まれた可哀想なアヤ。
「え?そうかなー?」
「ミナミ!ミナミ!」
次はミナミか。
話しかけられたミナミは困ったように作り笑いをし、相づちをうっている。
全く。何故、他人に話しかける度にこんなに大声をあげる必要がある?
バタバタとうるさい足音で教室をせわしなく動き回る奴の名前は、柳本ティアラ。性別は男。
奴は授業中もうるさい。
音を立てて教科書をめくり、トントンカチカチとペンを鳴らす。
お前はなぜ、音をたてないと生きていけないんだ?
休み時間に、奴がスマホの角で私の机を叩く。
「なぁ。」
「何?」
「リュック、ここに置かれると邪魔なんだけど。通る人のこと考えろよ。」
「……。」
私は無言でリュックを移動させた。
…どうしてもイライラする。
先月までは、それなりに仲がいい方だった。周りから「よくアイツと一緒にいられるね」と言われるくらいには。
それも、あの日に壊れたが。
先月のあの日。
『ミズキが昨日食堂で勉強してたこと、先輩たちの中で問題になってるみたい。結構怒ってるっぽいよ。』
『え。なんで…?』
『そんなの知らないよ。』
私が勉強していたのは人がいない時間帯だった。周りに同じように作業をしている人もいた。
『誰が言ってたの?』
『そんなの言えるわけないじゃん!』
『なんで?』
『ケンカになるからだよ!』
『ならなんで私にこんな話教えたの?』
『直接先輩から言われたらダメージ大きいじゃん。だから先に教えてあげようと…』
こいつはいつもこうだ。
ーーーちゃんと掃除した?ミズキがやった後っていつも汚れが残ってるって先生が怒ってたよ。
ーーー返事もろくに出来ないってどういうこと?って、先輩がけっこう怒ってた。
チクチクと言われてきた記憶が蘇る。
いつもいつも、伝聞のかたちで私を傷つける。
大したことがないような事も大袈裟に、かつ私を下げるように言う。
『…そういうの、いいから。もう、教えないで。先輩から直接言われた方がマシだから。』
『教えてあげてるのに何なの?』
『…食堂で勉強しちゃいけないなんてルール聞いたことない。』
『先輩が来たら席あけるのは常識じゃない?』
『だって、気が付かなかった…。』
『いや、気づかないとかヤバすぎでしょ。』
私に落ち度があったのは事実だった。
だから、何も言わずにその日は帰った。
でも何回考えても納得出来なかった。
なぜ、先輩からではなく奴から責められなくてはならないのか。
なぜ、他に同じようなことをしている人がいたのに私だけ責められたのか。
この日を境に、私は奴の友達を辞めることにした。
ああ、腹が立つ。
弁当をクチャクチャと咀嚼する音、バタバタとうるさい足音。奴の一挙手一投足、その全てにイライラする。
「なぁ。」
また来た。
「日直の仕事、ちゃんとしてくれない?」
「…してるけど。」
日誌も書いたし、ノートも集めた。黒板も消した。
お前が「アヤ!アヤ!」とはしゃいでいる間に。
「黒板消し、めちゃくちゃ汚い状態で置かれてたんだよ。さっき先生が帰り際に怒ってた。」
「……。」
「ほんと、使えねぇ。」
奴はそう吐き捨てると、アヤのところに行って私の悪口を大声で話し始めた。
私は、あんなに言われるほどのことをしたか?
手に持ったボールペンに視線がいく。
これで奴のコメカミをぶち抜けたらどんなに清々するだろう。
怒りで息が浅くなる。
こういう時は、相手に感謝をするんだ。
感謝すれば、相手を許す理由が見つかるから。
みんなの前で悪口を言ってくれてありがとう。
少しでもこちらに非があるとすぐに見つけて騒いでくれてありがとう。
おかげで、
おかげで…。
その先の言葉が見つからない。
「…っ。」
この胸の中をグルグルと渦巻く汚い感情をどこかに捨てたい。
…眠って忘れてしまおうか。
私は机に伏せて両目を閉じた。
「……え…?」
教室にいたはずなのに、花畑が目の前に広がっていた。
真っ白な小さな花が咲き乱れる花畑。
芳しい香りに、あたたかい日差し。
夢にしてはやけにリアルな感覚。
一歩踏み出すと、足元の花が黒く枯れた。
私の胸からおぞましいヘドロが流れ出ていることに気がついた。
ヘドロに触れた花が、また一輪枯れる。
周囲はあっという間に黒く染まってしまった。
太陽は陰り、冷たい風が吹く。
一体、何が起こっているのか。
「!」
突然、目の前にキャンバスと画材が現れた。
不思議な香りがあたりに広がる。
線香のような、どうしようもなく泣きたくなる香り。
導かれるように、筆をとった。
ーーー描きたい。
ーーー何を?
ーーー心の中、全て。
黒、茶、青、緑、紫、赤。
絵の具を直接筆にとり、勢いに任せて心の渦をキャンバスにうつす。
荒々しい波のような、激しい線。
筆を叩きつけるように、一心不乱に描いた。
地獄の底を描いたような不吉な絵。
それでもまだ、私の心を現すには足りない。
真っ赤な絵の具を、手で中央に叩きつける。
それはなんとなく、船のような形にみえた。
繊細なヘラを取り出し、丁寧に船の形を整える。
船底は、表層の絵の具を一筋取り除く。
この禍々しい色彩が船底を彩るように。
この汚い感情が、私の航海の礎となるように。
まばゆい白で帆を描き、進行方向に光を灯す。
私は、負けない。
「…はぁ…はぁ…」
描ききった。
心にへばりついていた嫌な感じも消えている。
こんなに描いたのは久しぶりだ。
この絵を描くエネルギーをくれたことだけは、奴に感謝してもいいかもしれない。
体力を使い果たして、へなへなとその場にへたり込む。
足元の花が生き返り、空から光がさす。
急な眠気。
朦朧とする意識のなかで、
「いい絵ね。」
と女性の声がした気がした。
ーーーグスッ。
自分が鼻を啜る音で目が覚める。
「ミズキ、大丈夫?」
心配そうにこちらを伺うクラスメイト。
さっきの花畑は、いったいなんだったんだ?
そしてそれより…。
「…みんなどうしたの?」
私の近くにいる何人かが、赤く発光していた。