疲涙2
走って逃げた心臓は、崖で止まった。
捕まえようとにじり寄る俺たちを牽制するように、心臓も崖のふちに立つ。
「あいつが飛び降りたらどうなるんですか?」
「…わからん…。心臓だからな…。」
「でも、ここは夢の中でしょう?それなら別に…。」
「夢の中だって、現実の1つだよ。」
コソコソと話す俺たち。心臓は無理には襲われないと判断したのか、大声で
「シンゾウは!会社に行きたくない!」
と叫んだ。
ーーーあいつ、喋れたのか!!!
俺たちの脳がフリーズする。
「いじめられて怖いし!怒られて嫌だし!悪口言われて理不尽だ!あんな場所にまた行くくらいなら、ここで死ぬ!」
わんわん泣き出した心臓。
「ずっと、嫌だった!ずっと怖くて、毎日怖くて、でも耐えないとご飯食べれないから我慢して!ずっとずっと、苦しかった!…もう無理!無理なの!」
泣きわめく心臓。
あれは、俺だ。
ゲンが優しく心臓に語りかける。
「そうだよな。辛かったよな。わかったから、こっち来いよ。危ねぇから。」
「嫌だ!!!!仕事やめるって言うまでそっちには行かない!!」
まっすぐに俺を見つめる心臓。
気持ちは痛いほどわかる。でも、俺は…。
「…仕事は、辞めない。」
「何で!?」
「辞めて他の仕事を探しても、同じことの繰り返しになるだけだからだよ。嫌な奴はどこにでもいる。仕事なんて、何したって辛いもんだ。なら、やっと昇給してきた今の職場に…慣れた場所にいた方が効率的だ。」
「でも…でも!このままじゃ死んじゃうよ!!」
「今の所にいて死ぬなら、他に行っても死ぬ。同じことだよ。」
「そんなことない!…シンゾウは、どうせ死ぬなら楽しく死にたい…!」
「死ぬのに楽しくもクソもあるかよ。」
「じゃあズノウは、何のために生きているの!?」
…頭脳?
俺のことか?
「…何のためだろうな。」
夢なんて、とっくの昔に忘れた。
「ズノウのバーカ!!!!!!」
心臓はそう叫ぶと、崖から飛び降りた。
「心臓!!!!」
バサバサ!と鳥の羽音が聞こえる。
鳥の背に、小さな赤い物が乗っている。
心臓だ。心臓は鳥の背に乗って、虹の彼方に行ってしまった。
「…行っちまった…。」
それから何日か夢の中で過ごしてわかったことがある。
心臓は現実へのアクセスキーのような役割を持っていたらしい。
つまり俺は夢の中に閉じ込められているというわけだ。
「既に2週間くらいいる気がしますけど、現実の俺は大丈夫なんでしょうか…。」
「時間なんてあってないようなものだから、そこは心配すんな。戻るのは、寝た日の翌朝だろ。」
俺とゲンの、心臓を追う日々が始まった。
心臓探しは意外と簡単だった。
元は俺の身体の一部だから、なんとなく居場所がわかるのだ。
ジャングルでターザンして遊ぶ心臓。
カジノで大量のチップを奪われて泣き叫ぶ心臓。
ナンパした女の子とはしゃぐ心臓。
捕まえられそうで、捕まえられない。
3ヶ月も追跡の日々を過ごすと、俺も追うことに飽きてきた。
「仕方ない、遊ぶか…!」
夢の中は案外楽しかった。
高い空の上から、生身で海にダイブしたり。
異世界風の町で、転生勇者ムーブをして遊んだり。
願えば叶う、を体現した世界。
もう現実なんて忘れてここで生きたいと思うくらいだった。
毎日遊んで、美味しい物を食べて、ゆっくり眠った。
やりたいことは一通りやった。
それでも…
「…何だろうな。」
「ん?どうした?」
隣を歩くゲンが、焼き鳥を食べる手を止めた。
「いや、独り言です。」
「なんだよ、気になるだろ。」
「…何かが物足りないんです。毎日こんなに楽しくて、満たされているのに。」
「そりゃ、ここは夢の中だしな。ここにあるものは、お前の想像の範囲にあるものだけだから。いくら楽しくたって、新しい刺激に飢えてるんじゃねえのかな。」
透明な砂が、太陽の光をうけて黄金に輝く砂漠。
そこで心臓は寝転がっていた。
俺が近づいても逃げることなく、ただ暇そうに寝返りをうつだけ。
「…帰ろうぜ。」
「嫌だ。シンゾウはここにいる。」
「お前だって、飽きたんだろ。この世界に。」
「会社に戻るくらいなら、ここにいた方がマシだ。」
「なら、どうして逃げない?」
「…。」
「思い出したんだろ、ゲームの最新作の発売日。」
心臓がピクっと動いた。
俺が思い出して、お前が思い出さないはずないもんな。
「俺に、何のために生きるのか聞いたよな。…俺は、ゲームをやるために生きたい。漫画の続きを、アニメの続きを見るために生きたい。プラモの続きを作るために生きたい。…それじゃ、ダメかな。夢って、それじゃダメなのかな。」
「ダメじゃない!」
心臓がぴょこんと俺に乗る。
「でも、シンゾウはあの会社にいるままだと、その夢たちを楽しめない!いつも緊張して、パクパクして、アニメもご飯も楽しめない!」
「…ごめん。何があったって、家では思い出さない強いメンタルがあればな…。」
悩む俺と心臓に、大きな影がかかった。
「それなら俺に任しとけ!」
太陽を背に仁王立ちで笑うゲンは、自信に満ち溢れていた。




