労働の基準
重力ってこんなに重かったっけ?
朝起きて最初に思ったのがこれだった。
力の入らない手足を引きずるようにしてスマホを確認する。
4:50。
早朝に勝手に目が覚める日々。
まだ眠れる。
7:50。
行かなければ。仕事に間に合わない。
4月に新卒として入社したのは小さな工場。人の入れ替わりが激しく、常に余裕がない。
やりながら覚えてくれればいい!と、多量の仕事を振られる毎日。
仕事は楽しいと感じていたし、何より任せてもらえることが嬉しかった。
だから必死に食らいついた。
「こんなに時間かけてこれだけ?こんなんじゃ、給料分にもならない。」
「丁寧にやったって、時間がかかるようじゃそれは下手ってことだ。」
「自分がこうやるって決めてやったなら、できなかったので何とかしてくださいは通用しないんだよ。このへたくそが。」
面接の時は優しく見えた社長は、気分屋でその時々で発言が変わる人だった。
辛いが、きちんと給料は払われている。だから大丈夫。
「今日は真鍋さんが”塗り”担当って社長が…。でも今回のやつ結構早くしないといけないし量あるしって感じで…。真鍋さんかーみたいな。」
マネージャーがカボションの在庫を補充しながら嫌味を言ってくる。
俺に直接言うことないじゃないか。
「はは…。」
小さな丸い玉に液体を塗って乾かす。ただそれだけの単純な作業。しかし数が多く、5秒で1つを作らないといけない。玉を取るのに1秒、液を塗るのに2秒、乾燥棚にそっと置くのに2秒。ミスは許されない。気泡のひとつも入れてはいけない。
こんな作業、機械にやらせればいいのに。
神経をとがらせ、必死に作業を進める。
「お疲れ様でーす!」
お局様だ。ニコニコ楽しそうに他のマネージャーと喋っていたかと思えば急に俺の方に来て、
「なにこの塗り方…!」
と騒ぎ始めた。
「え…普通に塗ってただけですけど…。」
「今までどんな教育受けてきたか知りませんけど、こんなのありえないってわかります?」
そんなにひどい出来か?でも言われてみればたしかに、縁に塗り残しがあるような気がする。
「時間がなくて…。」
「時間かけてもいいから、ちゃんとやってください!」
時間をかければ早くやれと嫌味を言ってくるくせに。
しかも社長が近くにいない時ばかり。
「わかんないなら社長に聞いてください!そんなこともわかんないの、恥ずかしいと思って下さいね。さすがにもっと自分の仕事だって自覚持ってください。」
自分は一度もこの作業をした事が無いくせに。
ああ、最悪だ。
でも俺が悪いんだよな。
黙々と作業を進める。
手先を使う作業は嫌いじゃない。むしろ、心がクリアになっていく感覚すらあって好きだ。
就業時間は過ぎたが、なんとかノルマを終わらせた。
達成感につつまれ、「お疲れ様です」と退勤しようとした時。
「真鍋、ちょっとこい。」
社長に呼び止められた。
「なんでしょうか。」
これだけ必死に働いた後だ、きっとねぎらってくれるはず。
「縁の塗りが出来てない。気泡も入ってる。」
一瞬、頭が真っ白になった。
こんなに頑張っているのに。
明らかにイライラした様子の社長。
「理想論じゃ生活はできないんだよ。良いものを作りたいなら、素早くできるようにならないといけない。そのためにはうまくならないといけない。」
社長が言っていることはわかる。正論だと思う。俺がダメなのも知っている。
その後もいろんなことを言われた。
「はい」「すみません」という二言をただ繰り返した。それ以外の言葉は許されないから。
ただただ呼吸が苦しかった。
毎日練習しても、怒られて嫌味を言われる日々。
どんなに頑張ったって報われない。
どうやって家に帰ったのかもわからない。
どうやって寝たのかもわからない。
自分が泣いていたことは、なんとなく覚えている。
「こんな感じ…かな。」
気が付いたら不思議な世界にいて、山田と名乗った眼鏡の男に今日の話をしていた。
「どうしてその会社を選んだのですか?」
「…ここしかなかったんだ。内定貰ってた会社が実はブラック企業だって話を聞いて、内定を辞退してさ。また就活はじめて…でもその時期にはもう…。運よく拾ってもらえたのがここだったんだよ。社長もいい人そうだし、これが縁ってやつなのかなって思ったんだ。」
蓋を開けてみたら、「うちは小さい会社だから労働基準法は守れない。あれは大企業向けに国が決めた法律だから。」と社長が堂々と言うような会社だった。
いつからか、家に帰ると涙が出るようになった。
朝も日中も、身体に力が入らなくなった。
夢の中でも仕事のことばかり。
「働くって、大変なんだな。」
「その会社に留まり続ける理由は何ですか?」
「辛いのは何も出来ない今だけだと思うから…かな。」
「業務がこなせるようになったら、本当に辛くなくなりますか?法律も守らないような会社で、罵倒してくるような人たちに囲まれて。」
「それは…。」
否定出来なかった。




