勇気を出して狩人さんに告白したら、ケモナーだった件
「好きです。付き合って下さい」
村の外に広がる花畑。そこにクロードを呼び出したアンは勇気を振り絞って告白した。
春のそよ風が花弁と、彼の長い前髪を揺らす。驚いたように青年は金色の瞳を丸くしていた。
勝算はあったはずだった。しかし彼は、はいでもいいえでもない、アンにとって予想もしなかった言葉を返した。
「……俺、実はケモナーなんだ」
「はい?」
今から二週間ほど前、アンが暮らしている村に一人の青年が訪れた。
名前はクロード。二十歳を少し超えたぐらいの年で、すらりと伸びた長身をしていた。黒色の髪に、長く伸びた前髪の奥から見える切れ長の瞳は金色で、どこか怪しい雰囲気を感じた。
しかし一番目に焼き付いたのは彼が羽織っている外套だった。
外套の色は血のように鮮やかな赤色。それを羽織っているということは、彼がレッドフードと呼ばれる〈協会〉所属の人狼専門の狩人だという意味だった。
人狼とは、人を喰らう化け物のことである。人に化け人間社会に紛れ込み、人に近づき人を喰らう。ずる賢く冷酷で、彼らにとって親しくなった隣人も食料という認識でしかない。
ゆえに人類は人狼を天敵と定め、人狼討伐のための〈協会〉を立ち上げた。そこに所属するレッドフードは狩人の中でも屈指の実力者である。
レッドフードたちが羽織る外套の赤色は、〈協会〉を立ち上げた狩人が人狼たちの返り血で白い外套を赤く染めたことに由来している。ゆえにレッドフードたちの赤い外套は〈協会〉に実力を認められた証であった。
突然村にやってきたクロードは、とある人狼を追ってこの村にやってきた言い、人狼が紛れ込んだ可能性があるからと村に滞在し始めた。
……村に人を喰らう人狼がいる。
村人たちが衝撃の事実に騒然とするなか、アンは彼を一目見たときから心臓がひどく脈打っているのを感じていた。
そして決めた。彼を落とす、と。
落とす。それは恋仲になるという意味である。
彼女は村はずれに居住し始めたクロードに近づき、甲斐甲斐しく世話を焼くことにした。
人狼を討伐する狩人といっても、村人は外からやってきた人間を警戒し近づこうとしなかった。そんな中、優しくした人間には心を許してくれるだろうと思ったからだ。
女の武器も盛大に使った。小ぶりな胸は寄せて上げて増量を試み、胸元の開いた服を着て胸を強調した。声もいつもよりもワントーンあげて甘い雰囲気を出し、ゆるふわ女子を目指した。
最初はどこかぎこちない態度だったクロードだったが、段々と柔らかな表情を見せてくれるようになり、気安い振る舞いをしてくるようになった。気を許してくれたのだろう。
頃合いだと、アンは最終行動を実行することにした。告白である。
ロマンティックな雰囲気を出すために、村の外に広がる花畑に彼を呼び出した。
予想外だったのは、彼がレッドフードの証である赤い外套を羽織り猟銃を持ってきたことだろうか。「どこに人狼がいるかわからないからね。職業病が抜けないんだ」とさらりと言われ、物々しい雰囲気を感じながらもアンは告白した。
「好きです。付き合って下さい」
緊張で頬を上気させ、涙で瞳は潤んでいる。そして小刻みに体を震わせている姿は相手からすれば勇気を振り絞っているように見えるだろう。
まるで小動物のような愛らしい女に見えるはずだ。
男ならぐらつかないはずがない、と勝ちを確信していたアンは相手の返事に目をぱちくりさせることになる。
「……俺、実はケモナーなんだ」
「はい? …ケモ、ナー?」
聴いたことのない言葉だった。彼女の態度には慣れているのかクロードは説明をした。
「簡単に言うとね、毛皮で覆われた獣人が好きなんだ、俺」
「獣人が好き…?」
「うん。獣耳と尻尾だけってパターンよりも獣の見た目を残したまま二足歩行しているタイプのほうが好きなんだ」
「は、はあ…」
「どうして人類は進化の過程で毛皮を捨ててしまったんだろうね…。互いにモフモフしあえば世界は平和になっただろうに。そう思わないかい?」
「ごめんなさい。ちょっと何言ってるのかわからないです…」
クロードさんって、こんな人だったの…!?
アンは動揺を隠せなかった。
クロードは見た目は怪しいが話してみると、爽やかな好青年だった。世話を焼きに行っていたが、彼はいつもこちらを気にかけてくれて逆におもてなしをされて帰ってきたほどだ。
アンはこっそりと息を吐いた。落胆のため息だった。
きっとこの性癖の告白は遠回しに告白のお断りをしているのだ。だって自分は人の姿をしているのだから。
「残念です。私はクロードさんの対象外だったんですね…」
せめて罪悪感に訴えてやろうと、上目遣いでクロードの方を見つめると、彼は首を傾げた。
「何で? 君、人狼だろ?」
「え…?」
血が抜けるような感覚がした。
「な、何を言っているんですか…?」
「君はよそ者の狩人である俺に親切にしてくれた。優しく接して懐に潜り込む。人狼の常套手段だ。俺たちはそうやって近づいてきた人間を疑うようにしている」
「そんな…!」
「君からはずっと殺気を感じていた。隠していても、仕事柄そういうのは敏感なんだ。それに」
クロードはアンの耳を指差した。
「…?」
「変化解けてるよ」
ハッとしてアンは自分の耳に触れた。つるりとした耳だったのにいつの間にか大きく広がっていて毛で覆われた感触がした。
「動揺して化けの皮が剥がれたみたいだね」
にっこりとクロードは笑う。
「女の人狼の常套手段は男を色香でおとして、油断した隙を付いて食べるというものだ。告白して俺が驚いた隙に襲うつもりだったんだろう?」
アンは自然と毛で覆われた耳を隠そうとしていたが、手もまた人のそれから狼の手に変わっていることに気がついた。
こうなっては全てがおしまいだと、アンは悟った。
「……そうです。私は人狼です」
アンがクロードを一目見たときに心臓がひどく脈打っているのを感じたのは、一目ぼれではなく狩人に殺されるかもしれないという恐怖からだった。
彼に近づいたのもクロードの言った通りで、自分に好意を持たせて油断したすきに殺そうと思っていた。
告白の時、はやる気持ちから頬は上気してしまったし、体が震えていたのは人狼殺しのレッドフードと対峙していたからだ。
振り絞っていた勇気は告白するためにではない。その後のレッドフードを殺すための勇気だ。
だが、その計画も全て台無しだ。今更気を引き締めて人の姿に戻ったところで意味はない。
耳を押さえていた手が獣の毛で覆われていく。獣の毛は全身に伸び、爪は鋭く伸び、鼻が伸びマズルを形成し、アンは人狼の姿へと変化した。
「……死ね、レッドフード!」
アンは腕を伸ばしてクロードを押し倒そうとした。計画は台無しだが、殺すだけなら首を爪で引き裂けば終わる。人間の女性なら大人の男性を押し倒すなど不可能だが、人狼である彼女にとっては簡単なことだった。
しかしクロードはアンの行動を読んでいたようにひらりと躱した。
「……いい。すごく、いいモフモフだ」
クロードはどこかうっとりとした顔つきでこちらを見つめていた。ぞわぞわと全身の毛が逆立つのを感じる。
しかし次の瞬間、アンは銃口を向けられていた。レッドフードの武器の猟銃だ。
しまったと思っても体は動かない。人狼である彼女の身体能力は人間よりも高いが、銃の引き金を引くよりも早く逃げることはできない。
アンは思わず目を瞑った。銃声が鋭敏になった聴覚に響いた。
しかし痛みはやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、銃口は自分の方を向いていなかった。
クロードはアンに背を向けて銃を構えている。
銃口の先を見ると、大柄な人狼が花畑に倒れ伏していた。すでにピクリとも動かない。眉間には穴が開き血が流れていて、絶命しているのだとわかる。
「君が俺が追っていた人狼ではないことぐらいわかっていたよ。だって君は生まれたときからこの村に住んでいて、君が暮らしているときに人が食べられて死んだ事件なんてなかったからね。これぐらい調べがついているんだ」
クロードは倒れた人狼に近づく。死んでいる人狼の首には十字架のネックレスがかかっていた。
「この村の神父は今から半年ほど前に赴任してきたと聞いた。その頃から狼に食い殺されたような羊の死体がまれに出ると村人は教えてくれたよ。きっと人を殺せば噂になって俺が来ると思ったから、羊で我慢していたんだろう」
「……」
「こいつの誤算は人を殺していないのに、俺がこの村を訪れたことだろうね。焦ったこいつは君を脅したんだろう? 大方、レッドフードを殺してこい、さもなくばお前を殺してやるぞ…とかかな」
「……年老いた両親を人質に取られました」
クロードの予想は当たっていた。
アンは元々村に住んでいた人狼だ。
人狼の夫婦の間に生まれて育ってきたが、両親共々人を殺して食べたことがない。食べようとも思ったことはない。
人を食べること、人狼の姿がバレてしまえば村人に怯えられ村にいられなくなるから変化してはいけないと厳しく教えられ、そして守ってきた。
その教えを破る羽目になってしまったのが、新しい神父が赴任してからだ。
彼は人を殺すことなど何とも思っていない人狼だった。人の姿の時は神父然としていて温厚だったが、血に飢えて羊を殺していた。
人狼は人狼の匂いがわかる。アンたち家族は神父がやってきてすぐに人狼だとバレてしまった。正体がバラされたくなければと互いに沈黙を守り羊殺しも黙認していたが、レッドフードであるクロードが現れてから状況が変わった。
クロードに怯えていた神父は、アンたちに彼を殺すように命じた。年老いた両親とアンでは、何人もの人を殺して食べてきた神父に適わなかった。それでも三人が結託して自分に刃向かわないように、神父は両親を人質にし、アンにクロードの下に行くよう命じたのだ。
「こいつにとっては君の計画がうまくいって俺を殺しても良かったし、君が俺に殺されても良かったんだ。村にいた人狼を討伐して解決したと帰ってくれたら良かったんだから」
神父はアンを監視していた。まさか告白の時まで監視しているとは思っていなかったが、神父はクロードが油断をした隙に襲おうとしたのだろう。アンの本性がバレて攻撃するときを狙ったのかもしれない。
実際は、返り討ちに遭ってしまったわけだが。
「……人を殺さなかったら、いいモフモフなのに」
神父を見下ろしながらクロードはぼつりと呟く。そしてくるりとこちらに振り向いた。
ぞわりと、血の気が引く。
勝てないのはわかっていた。今更襲いかかっても爪が彼を捉える前に、アンの眉間に風穴が空くだろう。あの神父のように。
アンは人の姿に戻ると、地面に手をついた。
「……私は殺しても構わない。だけどお願い。お父さんとお母さんは殺さないで。あの二人は人を殺したことも食べたこともないの! 本当よ。だから殺さないで…!」
アンは叫んだ。
近づく者は皆疑うと言っていたクロードにとって、この懇願はずる賢い人狼の罠に見えているかもしれない。だけど、アンにとっては嘘偽りない気持ちだった。
だが、アンの懇願はクロードの絶叫にかき消されてしまった。
「待って!? 何で人に戻ったの!? 良いモフモフだったのに!!」
「……もう攻撃しないって、姿で示したんだけど」
クロードはアン以上の叫びを上げていた。アンのほうが困惑してしまうほどだった。
「最初に言ったじゃないか。俺はケモナーだって。モフモフが好きなんだよ。できれば殺したくない」
「でも…」
クロードはアンに手を伸ばす。恐る恐る人に戻った手を伸ばすと掴まれて、アンは立たされた。
「あの神父の人狼は人を殺した。だったら仕方がない。俺は狩人だからね、人を殺したモフモフは殺すよ。悲しいけどね」
すっと金色の瞳を細めたクロードに首筋が震えたとき、彼はふっと微笑んだ。
「でも、君は違う。君の両親が人を殺したことがないということ信じるよ。だって君から血の匂いがしないからね」
「じゃあ…」
「それに君の計画はお粗末だし、こちらを襲いかかったときも迷いを感じた。本性を指摘しただけで化けの皮が剥がれるなんて、未熟そのものだしね」
人を殺したことがないのはその通りだが、何だか馬鹿にされているようでムッとしたとき、クロードがアンを呼んだ。
「アン」
優しい声だと思ったら、クロードはアンの目の前で片膝をついた。
「俺は昔から、人を殺したことがない人狼の女の子と出会いたいと思っていた。君は俺の理想の女の子だ。……結婚を前提にお付き合いしよう」
「……え?」
「さっきの告白の返事だよ。付き合って欲しいんだろう?」
「な、なんで?」
意味がわからなかった。自分は人狼で脅されていたとはいえクロードを襲ったのだ。それなのに告白の返事をするなんて、どういう意味だろう。
胸の鼓動が速くなる。頬が熱くなる。
クロードを襲おうとした先ほどと同じ身体反応だけど、動悸の意味が変わっていることにアンは気づいていた。
クロードが離したばかりのアンに手を伸ばす。
春のそよ風が花弁を散らし、彼の背後に舞っていた。自分でセッティングした魅惑的な光景にクラクラして、無意識に手を伸ばしそうになった。が。
「さっきも言っただろう。君は人を殺していないモフモフだから」
「…それだけ?」
「うん」
……そういえば言っていたっけ。ケモナーだって。モフモフが好きなんだって。
納得するのと同時に、徐々に怒りが湧いてきた。
じゃあ何だ。彼は私が人狼、モフモフしているから好意を抱いてくれているだけで、私が一生懸命可愛らしい女の子であろうと、服装に気遣い、言葉に気遣い、好かれようと頑張ったことは眼中になかったということか。
……私の努力は無駄だった、と?
相手が自分の命を簡単に刈り取れる狩人だとしても、アンは声をあげずにはいられなかった。
「毛皮しか興味がないなんて最低! この変態! お断りします!」
「ええ!?」
伸ばされた手を叩いたアンは、そのままクロードに背を向けると大股で歩き去った。
待ってよ、違うよ、俺は毛皮が好きなんじゃなくて…とクロードは追いすがったが、ますます彼女の火に油を注ぐばかりだった。
その後、落としたい子がいるんだ、と村長に相談したクロードは村の滞在期間を延ばし、今度はアンが彼につきまとわれる羽目になるのだが、そのときのアンはまだ知らなかった。