二章 学園闘争曲(10)
腕組みをして考え込んでいる冬峰の背後で、校長室のドアから茶色のコートを着た人影が足音を殺して忍び寄って来た。
冬峰は気付いた様子も無く一人で何かをブツブツと呟いている。
人影の右手がコートの左脇に差し込まれ、肩から吊るされた散弾銃の銃床を握った。それと同時に冬峰の右手が若鮎の如く跳ね上がり、長脇差の刀身を背後の人影の首筋に突きつける。
「またあんたか。正義の味方だかフリーのジャーナリストだか知らないが、御苦労な事だな」
そこまで言うと、冬峰は教室の空いた扉から教室内の惨状へ目を向けた。
「それに建物の出入口は蛍光灯から電線を伸ばした上、床を濡らして近付けば感電するように罠を仕掛け、窓から室内に入れば爆発物が巧妙に仕掛けてある。ようやくそれを乗り越えるとあんたが待ち構えているわけだ。ジャーナリストに必要な技術とは思えないけど?」
「昔、爆破マニアの教授の下でこき使われていてね。罠の仕掛け方については年季が入っているのさ」
自慢するように腕組みをするフェランだが、冬峰はそれに取り合わず鞘を拾い刀を納めてから生徒用昇降口に向かって歩き出した。
暫く歩いてから冬峰は振り返って、フェランがコートの下に吊った散弾銃を指差す。
「なあ、それ表の二人に効果あるの?」
フェランはどこか意地悪そうな笑みを浮かべながら一言、「さて、どうだろうな?」と片目を閉じる。
冬峰とフェランは暫く見つめあったが、冬峰がフェランへの興味を失ったかのように再び歩き出したので、フェランは慌てて後を追う。
「まあ、待て。効果が有る事は有るが、結構時間が掛かる。あいつ等の鱗と筋肉は非常に丈夫でな、破ろうとすると軍用のライフルを持ってこないと効果が無いんだ。しかも生命力が強い。あいつ等を確実に殺そうとするなら強力な火勢で焼き尽くすか、身体をばらばらにするに限る」
「やっぱり、良い板前と料理人が必要って事か。でもムニエルと刺身にしても、きっと美味しくないだろうな」
今朝、その生命力の強い生物を刺身にした少年の呟きに、フェランは「日本人の食生活は理解しかねる」と呟いた。どうやら冗談と思ってないらしい。
「私としては厄介な奴が来る前に、裏口からこっそりと逃げる事をお勧めするよ。あの石も万能じゃないからね」
フェランの意見を聞いているのかいないのか、冬峰は生徒用昇降口のガラス戸の向こうにいる黒コートの二人組を暫く眺めてから、ポツリと一言だけ呟いた。
「任せた」
「ちょっと待て!」
さっさと踵を返し校舎内に歩み去ろうとする冬峰の背に、フェランは慌てて呼び止めようとするが、不意に校庭から響いてきたエンジン音を耳にして振り返った。
校庭から見覚えのある闇が結晶したかの様な黒いワゴン車が、スピードを落とさず猪のごとく昇降口に突っ込んでくる。
黒コートの二人組が外見とは裏腹に、機敏な動作で左右に分かれ黒ワゴン車をやり過ごす。
「全く、無茶をしてくれる!」
一言叫んでその場に伏せたフェランの背に扉のガラス戸の破片が降りかかる。
ワゴン車は七人乗りの車体前半分を靴箱前の靴脱ぎ場に突っ込み、エンジンを停止させた。
運転席の男が伏せたフェランを見るなりワゴン車から身を乗り出し拳銃を抜こうとするが、その右肩に刃渡り八センチ程の両刃の投げナイフが突き刺さり悲鳴を上げさせる。
のけぞってワゴン車から地面に倒れた運転手の背に革靴を履いた右足が乗せられ、次の瞬間鈍い音を立てて彼の背骨は粉砕された。
大量の血を口から吐いて運転手が絶命する。
運転手を踏み潰した人影は昨晩、冬峰と千秋の前に現れた灰色の長い髪に石仮面を被った大男だった。
「くそ、奴が来たか」
フェランは立ち上がり散弾銃を腰だめに構えた。
しかし前回に二発の散弾を撃ち込んでおり、この武器が石仮面に通用するとはフェランも信じてはいなかった。
さらに屋外からひしゃげた引き戸を踏み締め、黒コートの二人組がのっそりと昇降口に現れたのを目にしてフェランの口許から何時もの皮肉めいた笑みが消えた。
黒コートの二人組が石仮面より前に乗り出すと同時に身体が二廻りほど膨らんだ。
天を仰いだ顔の凹凸が少なくなり、眼球がせり出す。コートの下から鱗に覆われた四肢が現れ、手足の付いた古代魚のような【深きものども】の正体をさらけ出し大きく咆哮した。
変身が終了するのを待たず、フェランは散弾銃の引き金を引いた。銃口から廊下中に響き渡る轟音と共に、左側の深きものどもにまず一発浴びせたたらを踏ませる。
シャコッツとフォアエンドを前後させて次弾を薬室に装填、続けざまに散弾を撃ち込んだ。
「ガッツ、ゲハッツ」
くぐもった声を上げて、深きものどもは二歩ほどのけぞって後退した。
二匹に各二発ずつ、計四発を撃ち込んだ結果は鱗の表面にヒビを入れた程度であり、深きものどもは何の痛痒も感じていないようにゆっくりとフェランに迫って来る。
フェランは後退りながらコートのポケットから鹿撃ち用の一発弾を取り出し散弾銃に装填し始めた。
通常散弾銃の弾はシェルショットと呼ばれる筒の中に数発の細かい弾が入っており、発射後拡散することにより、点より面の攻撃で敵を圧倒する。一対多数の戦いで効果を発揮するが、欠点は一発あたりの口径が小さく貫通力の乏しい事だ。
その点スラッグ弾はシェルショットに一発だけ口径の大きな弾が入っており、その貫通力はライフルに匹敵する。
しかし、フェランの散弾銃は全長を短く切り詰めており、最大四発までしか装填出来ない。これでは例え運よく一匹倒せても、弾を装填している最中にもう一匹に殺されるのがオチである。
「やれやれ、後ろ盾が使えないのは痛いねえ」
命の遣り取りに慣れているのか、それとも生き死にについて達観しているのか、飄々とぼやき散弾銃を構えるフェランの襟首を背後から伸びた手が掴み引っ張った。
「ぐえっ」
「逃げるよ」
フェランは冬峰に引き摺られながらも、右手に持った大きめのテレビのリモコンを昇降口に向けてボタンを押した。
【深きものども】の右隣の靴箱の足下で爆発が起こり、彼らに向かって倒れ掛かってくる。更に左隣の靴箱も覆い被さる様に倒れてきて【深きものども】と石仮面を下敷きにした。
靴箱は高さ一メートル八十センチ、幅三メートル程ありしっかりとした造りをしている。それが二つ重なればかなりの重量と衝撃になるだろう。
フェランは更に昇降口の両隣にある靴箱も倒し、それがドミノ倒しの様に昇降口の中央に向かって倒れこんでいくのを目にした冬峰は憮然とした表情をフェランに向ける。
「散らばった靴は後で拾っておくように」
フェランはすべての靴箱を倒し終わると、リモコンをコートのポケットに突っ込み、踵を返して廊下の反対側にある階段に向けて走り出した。
「言っておくが、あの程度で奴等は死なないぞ」
「期待はしてないよ」
平然とした冬峰の答えにフェランは苦笑を浮かべた。
先程見せた投げナイフの腕といい、どう考えても普通の少年ではない。ひょっとしたら自分より危険な場数を踏んでるかもしれない。
「なあ、君はいったい何処でその技術を」
階段の一段目に片足を乗せてフェランが先を行く少年の背中に問いかけた時、生徒用昇降口から轟音と共に靴箱が廊下を横断して壁に叩き付けられた。
四散した靴箱を踏みしめ【深きものども】が廊下に姿を現す。




