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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
一章 侵略神
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一章 侵略神(1)

  一章 侵略神


                    1


 そこは闇の中であった。

 鈍い光沢を放つ石材で作られた高さ二メートル、横幅一〇メートル、奥行き一〇メートルの立方体。その上面は四隅に立てられた柱に掛けた暗幕によって、すっぽりと覆われている。

 その内側の闇の中、低く呻く苦鳴が反響する。女の声のようだ。


 不意に弱い明かりが点り、石の床に敷かれた布団の上に、若い女性が仰向けに寝かされているのが浮かび上がった。身重らしく膨れた腹を上に苦しそうに身をよじり苦鳴を漏らす。


 他にも薄闇の世界に浮かび上がった者達が居た。


 黒色の紋付袴姿が四人、それぞれ笛、太鼓、大鼓、小鼓を携え女より離れた場所に横一列に並び腰掛けている。奇妙なことにその者達は両目を黒布で覆っており視界を遮っている。

 女の傍にも三人の人影があり、一人は黒色の紋付袴姿で足元に正座して何かを待つように目を瞑りじっとしている。残り二人はさらにその背後二メートル程の位置に控えていた。

 その内のひとりは敷物の上に腰掛けた細身の体形から女性と思われるが能面の一つ増女(ぞうおんな)を被り、男物の烏帽子(えぼし)紅無(いろなし)狩衣(かりきぬ)に小豆色の袴を身に着け、中性的な雰囲気を醸し出していた。

 もうひとりは増女と同じく紅無の狩衣に小豆色の袴姿であるが二歳程度の乳児であり、その小柄な身体を敷物に沈めている。

 闇を照らす蝋燭の揺らぐ明かりにより、一言も口を開かず座したままのこの者達は、まるで幽冥境に潜む異界の者のようにその影を揺るがせていた。


 暗幕の内側へ蝋燭の灯りとは別の白い光が闇を切り裂くように差し込み、左右に広げられた黒布の中央に二つの人影が浮かび上がる。

 ひとりは金地の鳥兜を被り、黒地に金糸の楓が散らされた長絹の表着の下に厚板と呼ばれる小袖を着込み、金地に金糸の雲海が刺繍された大袴を身に着けていた。

 その顔は笑尉(わらいじょう)と呼ばれる柔和な印象を与える能面で覆われているが、豪奢な衣装と肩幅が広く恰幅のよい体格は威圧的であり、その人影が暗幕内に足を踏み入れると、乳児を除く者達は低く頭を垂れて平伏していく。

 もうひとりは、三歳程度の艶やかな黒髪をした童女であり、身に着けた衣も増女同じく紅無の狩衣と小豆色の袴姿だが首より掌大の鏡を吊っている。左手は笑尉の袴を掴んでおり、この二人が親しい関係であることが伺える。

「神楽の用意は整ったのか。先に依童が生まれてはいかんのだぞ」

 笑尉の低く太い声は大きくは無いものの押し殺した恫喝のように聞こえ、女の足元に控えていた人影はびくりと身を震わせた。

「御心配には及びません。産屋と産道の間は札で塞いでおり、赤子が出でる事は御座いません」

 黒袴の男は傍らで苦鳴を漏らす女に目を向けた。

 女の臍の上に黒地に赤い文字の書かれた札が貼り付けられている。

 黒袴の言葉からこの札により女の出産が引き伸ばされているようだが、それによる陣痛がどれ程のものか、女の苦鳴が酷くなっていくのも無理も無いことだろう。

「念願の男児を授かったからには、なんとしても岩戸を開きこの者をスサノヲの器とせねばならん。わしにとっても最後の機会じゃ。失敗は許されんぞ」

「我が命に代えましても、必ず岩戸を開いて悲願を達成致します」

 笑尉は平伏する黒袴に背を向け、傍らに控える童女が首から掛けていた鏡、正確には銅鏡を受け取った。それを苦悶する女の股の間に置く。

冴夏(さえか)、神楽を始めい。巫女に岩戸を開かせるのだ」

 笑翁に恭しく一礼した増女は両手に鈴を持ち、肩の高さまで上げて小さく振った。

 笛の風が鳴るような高い音色、小鼓の柔らかい打突音と大鼓の乾いた木々を打つ様な固く鋭い音。規則正しく足踏みをするような間隔で打たれる太鼓の音にあわせ、増女はくるりと身体を反転させて鈴を振る。


 しゃらん。

 えんやーっ、えんやーっ。


 四人の奏者の掛け声が薄闇の中に鳴り響く。


 いよーっつ。


 掛け声を終えると共に大鼓が打たれる。


 増女は女の周辺を鈴を鳴らしながら回り続ける。

 女の苦悶の声の感覚が短くなるのにあわせて、奏者達の奏でる音色も大きく激しく闇を震わす。更に増女の足運びも、最初はすり足だったが、今では足踏みに変化している。


「千引きの岩を置き引きて」

 黒袴が能の地謡のような太く響く声で唱う。その声圧に押されるかの様に震えだす。

黄泉比良坂(よもつひらさか)の戸となさん」

 奏者の掛け声が響くと共に増女の足踏みは踏み下ろしに変化して、その足裏が石に打ち付けられ鈍い音を立てる。

 増女の面を被っている為、演者の表情は伺えないが、石の上にて神楽を舞うのは在るとしても、このような激しい足運びでは石を何度も蹴りつける様なものでかなりの苦痛を伴っているに違いない。

 大鼓(おおつづみ)小鼓(こつづみ)太鼓(たいこ)の打ち鳴らされる間隔はどんどん短くなり、増女の歩調と合わさっていく。

 笛の音色の高さは石舞台の中央で苦悶する妊婦の悲鳴の様であり、笛の音に合わせて女は身を海老反っていった。

 その狂乱に気圧されたのか、増女と共に居た子供は大きな目を見開き石舞台の中央、苦悶する女の真上をじっと仰ぎ見た。そこは暗幕が波紋を広げるように波打っている中心であり、まるで石舞台を覆う暗幕の上に誰かが乗っかっており、笛や太鼓に合わせ増女と共に舞を舞っているように見て取れた。


 いよーっつ。


 黒袴の掛け声に合わせ、だんっつと石の床を蹴り増女が宙を舞う。増女の纏う紅無の仮衣が天女の羽衣の様に広がり波打つ。しかし人である宿命か、増女は地に引かれて石舞台の硬い床の上に足裏を叩き付けて落下する。ぶしっつと異音と共に白い足袋から赤い血が飛び散った。

「ああああーっつ」

 それを見て気が動転したのか、子供の叫び声が響く。しかし増女は舞を中断することもなく、妊婦の周囲を回り続ける。

 ようやく子供の叫び声が途絶え、再び黒袴が掛け声掛けようと口を開いたとき、それは起こった。

 硝子が割れるような音と共に、波打つ暗幕の中央から女の股間の前に置かれた銅鏡を繋ぐかのように光の柱が降ってきて周囲を照らし出す。

「岩戸が開いた。産道を開くのだ」

 黒袴が妊婦の下腹部に貼られた赤い札を剥がすのと同時に、女の股間より血が噴き出し赤子が臍の緒を靡かせながら女の体内より弾き出される。

 奇しくも銅鏡の上に滑り込み、その胸の中央より左寄り、心臓の真上を光の柱が貫いているかたちとなった。

 その赤子の火の点いた様な泣声と子供の叫び声に触発されたのか、赤子の胸を貫く光の柱は益々輝きと太さを増していく。

 暗幕も荒れる大海のごとく波打ち、この石舞台をひとつの世界とするなら未曾有の天変地異に襲われていると見て取れた。

「おお!」

 笑翁が短く驚愕するように声を漏らした。

 光の柱の中に、青白く光るシャボン玉の様な球体が現れ、ゆっくりと赤子に向かって落下していった。それは赤子と子供の声に応えるかのように明滅を繰り返し徐々に大きくなっていく。

「ついに天の岩戸を超え、手力が舞い降りてきたわ。この赤子は間違いなくスサノオとなるぞ。

 そしてワシは其の肉体を手に入れる」

 笑翁の興奮した独白も耳に入らぬかのように増女は鈴を鳴らし舞い踊っていたが、子供の方は体力の限界が訪れたのか不意に頭を揺らめかせると敷物の上に突っ伏した。

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