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天門町奇譚 魂欠けの剣士と裏庭の姫君  作者: 飛鳥 瑛滋
序章 異界浸食
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序 異界浸食

 序章 異界浸食


 まるで影絵のようだと戸田芳江(とだ よしえ)〈二十五歳 会社員〉は思った。


 商店街の中心に位置する公園だというのに、ベンチを占領する若者やゴルフクラブの素振りに励む中年男性、仕方なさそうに飼い犬の散歩をする女性等の姿が無く、耳の痛くなるような静寂が公園を支配していた。

 午後八時頃にしては、この人気の無さは異常であり、離れた場所に黒く佇む家々と、それから微かに漏れる明かりが独特の雰囲気をかもし出し、この風景をより一層影絵めいたものにしている。

 芳江は警戒するように周囲を見回しながら公園を抜け商店街に出た。

 見渡してみればシャッターの閉まった店舗はともかく、それに連なる住宅さえも雨戸やカーテンを閉め、家屋から漏れる灯りを少なくして黒い箱と化していた。

 まるで住んでいる者たちが目を閉じ、耳を塞ぎ、何かを拒むかのように。

 何かが通り過ぎることを願い、じっと耐えるかの様に。

 外で起こる物事には一切関係がないと、外界との係りを拒絶しているようなこの家々の姿勢を芳江は当然の反応だと納得している。

 なぜなら芳江が足を速める理由もそれであり、自分の住むアパートの一室に帰っても彼らと同じ様にカーテンを閉めて電気を消し、すぐさまベッドに横になり、朝の訪れをじっと待つのだろう。


 この天門町では今年入ってから五月までの間に十九人もの行方不明者が出ており、その内容は二十代の男性が三人、十代の女性が六人、二十代の女性が八人、三十代の女性が二人と男性と比較して女性の行方不明者が多い。

 それ故にこの田舎町では珍しい営利誘拐事件や人身売買事件の可能性ありと警察は捜査を開始したが、事件は全く別の方向へ動き出し、この町の住人はこの事件が自分たちの理解の範疇を超えたものだと認識したのだ。

 この行方不明事件を怪異なものとこの町の住人が恐れるのは、最初の行方不明者である男性と八人目の行方不明者である女子高生が、三月の寒い朝に揃って町外れの雑木林で発見され、その月に行方不明者リストに加わった女子大生が、町の中央を流れる千川で発見されたことだった。


 最初の行方不明者である豊田雄二(とよた ゆうじ)〈二十七歳、会社員〉は、一月上旬、今年最初の大雪の次の日の早朝、屋根の上にぎっしりと積もった雪を父親と下ろしている最中に行方不明となった。

 雄二と父親は一時間程黙々と雪かきに精を出していたが、さすがに寒い中での作業は若い雄二でも辛いらしく、スコップで雪を掬う手を止め背伸びをした後、腰を二、三度叩いて街の反対側にある山々へ視線を転じて凍てつく様に動きを止める。

「何だ、ありゃ」

 息子の声音に異質な響きを感じた父親は、息子の顔を見やり、大きく眼を見開いた恐怖の相を浮かべていることに驚愕した。

 息子は何を見たのか、息子の視線の先へ顔を向けた瞬間、轟音とともに父親は自分の体が浮き上がるのを感じて声を上げる。

 下の新雪に落下してめり込んだ父親は、さらに屋根の上の雪が落ちてくる事を恐れ慌ててその穴から這い出した後、自分の目に入った光景にまたもや驚愕した。

 自分と雄二が先程まで苦労して下ろしていた雪は屋根の上から全て消えており、屋根の上の瓦までもがささくれの様に風圧で(めく)れていたのだ。

 父親は息子も落下して雪の中に埋まっていると思い周囲を見渡したが、人の落ちた痕跡は見つからず、家の周囲を探しても雄二の姿は無かった。

 父親の息子を呼ぶ声を聞き駆けつけた近所の者が庭の雪を掘り起こす等、豊田雄二の捜索は丸一日行われたが、彼は忽然と消え失せたまま行方知れずとなる。


 八人目の行方不明者である新藤雅美(しんどう えみ)〈十六歳 学生〉は、これも大雪の降った二月末日、部活を終えた帰り道に姿を消した。

 新聞部だった彼女は行方不明が多発している為、午後四時に帰宅する様に校内放送があったにもかかわらず暗くなる七時頃迄部室に残っており、下校時には一人であったことが推測される。


 その二人が町外れの雑木林で、早朝の散歩中の老人に発見された時、天門町の人々の間に衝撃と奇妙な安堵が駆け巡った。

 衝撃は彼と彼女が死体で発見された為、天門町で起こった行方不明事件に悲劇的な結末が用意されている事への恐れであり、安堵は、これで得体の知れない連続行方不明事件の目的が分かるかもしれない期待からであった。

 だが二人の発見された状態は、そんな人々の顔色に困惑という新たな色を付け加えた。

 二人の死体は山道沿いの雑木林に入り徒歩五分の位置で発見された。発見者である西田六郎(にしだ ろくろう)〈七十二歳 無職〉は、毎日林道を散歩していたが、林の中にふと目をやると白い雪とは別の色彩が目に入り、それが人間だと分かり慌てて駆け寄った。

 半ば雪に埋もれた二人に近づくにつれ、それがオーバー姿の男と学校の制服を身に纏った女子という組合せから、もしかすると心中事件かと六郎は思ったが、それにしては二人の周囲に木の枝が散乱しており、二人の服も所々破けている。

 特に男性は額から右頬にかけて潰れている為、まるで空からこの場所に落ちて木々に体をぶつけた様に思われた。

 連絡を受けた警察官や現場の調査を行った鑑識も、この二人がどこから落ちてきたのか分からず首を傾げる。しかし二人の遺体を調査した結果、雪山で遭難した者特有の紅色死斑が浮き出ていることから墜落死では無く凍死であることが判明した。

 別の時期に行方不明となった二人が、何故一緒に奇妙な死体となり発見されたのか、警察やマスコミはさまざまな憶測を立てて調査を行うも、豊田雄二と新藤雅美の間に面識は無く事件に巻き込まれる要因も見当たらない為、行方不明事件の捜査はまたも暗礁に乗り上げてしまう。


 そんな中、さらに混乱を招く事件が発生した。町の中央を流れる千川の下流で女性の手首が発見されたのだ。

 発見者の自営業者、吉井直道(よしい なおみち)〈五十六歳〉は朝から釣り糸を垂れるも一匹もかからず昼前に河岸を変えようと腰を浮かせたところ、ドポンと大きな石を川へ放り込んだ様な音が川の中央から聞こえてきた。

 目を向けると何かが川へ飛び込んだらしく、波紋が自分の足下まで広がってくる。

 三月の川の水は冷たく硝子の様に透き通っており、直道は何か大きな影が水中を中洲から上流に向けて泳いで行くのを目撃した。

 何かがいる。何か大物がこの川に住んでいる。

 直道は朝から一匹も魚が釣れないのはこの大物が潜んでいたせいだと考え、急いでゴムボートを取り出し足踏みポンプで空気を送り始めた。

 目標を大物に切り替えたのである。

 中洲に上陸し、巨影の泳いでいった上流に向けて竿を振る。七メートルほど先で糸が落ち水飛沫を上げた。

 しばらくして全長三十センチ程のブラックバスを釣り上げた。先程の巨影の主を狙っているのだが、朝から釣れなかった事もあり、これはこれで嬉しいものがある。

 ブラックバスをクーラーボックスに放り込み再び竿を振り上げたとき、中洲から川底へ続く傾斜の途中で、小魚が集まっているのが見えた。どうやら死んで石に引っ掛かっている魚の死体を啄んでいるらしく、白い腹が見えている。

 いや、と直道は目を細めた。魚にしては形がおかしい。尾鰭に見えているものはもしかして。

 直道は初春の冷たい水の中へ膝まで入った。魚の死体に見えたものが、自分の予想するものかどうか見極めようと、やや離れた水面へ目を凝らす。

 そして、その魚の死体に見えたものが何なのか正体が分かると、彼は唇の隙間から小さく声を洩らし硬直した。

 それは血が抜けた為か、やや青白く変色した人間の肘から先であった。所々魚に啄まれ中身を露出させた人間の腕に間違いは無かった。

 しばらく、その残骸に見入っていた直道だが、ふとある考えに囚われ、川の水温に体温を奪われ白くなった顔色を、さらに白ちゃけたものに変化させる。

 先ほどこの中洲辺りから上流へ向かって行った影は大きかった。

 もし、あれが深く潜っていた為に実物より小さく見えたとしたら、実際は一メートル程度ではなく、もっと大きな怪魚でこの腕はそいつの食べ残しとしたら。

 直道は左右を見回しながらゆっくりと後退し始めた。

 背中を向け音を立てるとその巨影に襲われる、そのような恐怖を覚え中洲の中央まで戻り、のろのろとゴムボートまで歩いていった。

 高価な釣竿や道具等置き去りにしても気にはならず、ただ静かに出来るだけ波を立てないようにオールを動かす。

 数時間とも感じられた数分後、川岸に上がった直道はその場にへたり込み数十分動けなかった。


 直道から携帯電話で通報を受けた警察は、ボートで中州まで乗り上げ問題の腕を確認した後、直道に矢継ぎ早に質問した。質問の口調がやや殺気を帯び直道を怯えさせたのは、その捜査員が先週街外れの雑木林で発見された二人の変死事件の担当者であり、捜査に進展が無いことに苛立っていたのである。

 現場調査と回収した腕の調査を終えた結果、その捜査員はさらに訳の分からない事件が増えたと頭を抱えた。

 その腕は先週に家族から行方不明届けの提出されている女子大生早川音奈(はやかわ おとな)〈十八歳 大学生〉と判明した。家族より本人の特徴のひとつである、右手の人差し指と親指の間の股に火傷の痕が残っていたことが判別の決め手であった。子供の頃、誤って熱せられたフライパンを握ってしまった為出来たものだと、確認に来た母親は魂を失くしたように淡々と語った。

 またもや捜査員や鑑識員を悩ませたのは、肘側の骨の断面に、妙に尖ったもので擦った様な筋が残っており、何かに噛み千切られた可能性を示唆していることだった。類似した歯形は歯筋の間隔の狭いことからワニやサメではなく、トカゲやヤモリに類似していると音奈の通っていた大学の助教授から説明されたが、その助教授は最後に一言だけ付け加えた。

 この歯形を持つ生物で、人の腕を食い千切れるものは存在しない。

 発見現場の中洲を調査した結果、少量の肉片と大量の血液の流れた痕跡を示すルミノール反応によって、その場で凶行が行われた事が判明した。吉井直道は運が良かったのである。

 千川には人を食う何かがいる、と警察がマスコミに緘口令を布いたにもかかわらず、そのような噂が広まった為、それから千川で釣りや漁をするものは激減して二ヶ月経過した今でも千川のほとりは閑散としたままだ。


 今、芳江が足を速め、アパートへの帰り道を急ぐのはそんな町なのだ。

 誰も二十人目の行方不明者にはなりたくない。だからこんな時間帯に自宅へ籠もり、じっと何事も起こらないよう息を潜めているのだ。

 自分の住むアパートのひとつ手前の十字路まで辿り着き、ようやく芳江は足を止めた。

 駅からここ迄十分程早足で歩いてきた為、芳江の心臓は乱暴なリズムをたたき出し、呼吸も肩を大きく上下させる程せわしない。

 しかし何事も無くアパートの前まで辿り着きアパートを視界に入れると、普段は安っぽい灰色の壁もしっかりとした建物に見えてくるのも可笑しなものだった。

 芳江は十字路を渡りアパートの前の歩道へ右足を乗せた時、目の前に何かが落ちて来た事に驚き体を硬直させる。

 それは酷く耳障りな音を立ててコンクリートタイルの上をバウンドしていたが、アパートの柵に接触してコインが倒れるように動きを止めた。

 それは直径五十センチほどのマンホールの蓋だった。重さ五キロは確実にあるマンホールの蓋が落下してきたのである。

 芳江は先程迄自分が抱えていた恐怖も忘れ、憤然としてアパートの屋上を見上げた。誰かの悪戯であろうが、かなり質の悪いものとしか言いようが無い。当たり所が悪ければ死んでしまう事もあるだろう。

 屋上に下を覗き込んでいる人影は見えなかった。おそらくマンホールの蓋を落として、すぐに引っ込んだのだろう。落として人を驚かすことが目的で、当たろうが当たるまいが、どちらでも良かったのかもしれない。

 すぐ管理人に報告して犯人を突き止めてもらおう。アパート前のマンホールの蓋をわざわざ屋上まで持って上がり落とすなんて―。

 いや、それは違う、自分の記憶を探った。先程十字路を渡った時、マンホールの蓋は被さっていたはず。自分はその上を、マンホールを踏んで十字路を渡ったのだから。

 もしかすると、別のマンホールから蓋を外し持って来たかも知れないと、芳江は考え振り向こうとした。


 ごぽっ。


 背後から、詰まったパイプからヘドロが逆流した様な音が響き、芳江はびくんと体を震わせた後硬直した。


 ごぽっ、がぱっ。


 何者かが背後から彼女の前にマンホールに蓋を投げ落とし、彼女の足を止めた。


 ごぽり。


 芳江は、そのマンホールの蓋を投げつけたものがマンホールの中にいる。そんな気がしてならないのだ。

 マンホールから汚物でも流れているのだろうか、不快な臭気が周囲に立ち込めていった。その臭気のもたらす嘔吐感をこらえながら、芳江は振り向いてはいけないと強く思った。それほどまでに、背後からのしかかるような圧力を感じたのである。

 前へ、アパートの中に入らなければ自分は終わってしまう。芳江はゆっくりと一歩を踏み出した。踵が地面につき、次の一歩が踏み出される。

 ごぽり、と一際大きく波立たせるような音が響き芳江の視界が緑色に支配されるとともに、何かが体に巻きついた。

 悲鳴を上げようと口を開けたが、顔にも緑色の粘液に塗れた何かが巻き付き芳江の声を封じる。

 成人の太腿ほどもある、緑色の粘液を滴らせたロープ状の何かは、マンホールの中から芳江の全身に巻き付き、くいっと彼女を引き寄せる様に震えて撓んだ。

 それだけだった。その程度動いただけで芳江と彼女に巻きついていたロープとも触手ともつかないものは消え失せ、そこには蓋を失ったマンホールと、そこに続く変色した泥のような粘液で書かれた線だけが残った。


 三階のアパートの一室のベランダが開き、寝ぼけ顔の中年男が何やら文句をつぶやきながら顔を出した。どうやらマンホールの蓋の落下音が気になった様で、階下を見回しアパートの前に倒れたマンホールの蓋を見つけると「なんでぇ、悪戯か」とつぶやき顔を引っ込めた。

 だが、彼がベランダの窓を閉じた直後、マンホールから出現した触手の様なものがマンホールの蓋に巻き付き、神速のスピードで戻りマンホールに蓋を被せた事に、そして、この町の行方不明事件の被害者が、また一人増え二十人となった事に彼は気が付かなかった。


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