第1章 農夫の子(5)
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「採集班の制服だ」
ルシアスが言った。
正確には「制服の一部」である。ルシアスが手に取り眺めているそれは、明らかにずたずたに切り裂かれており、制服の原型をとどめてはいない。かろうじて、シルヴェリア王国のガルシア国王の紋章が残っている部分を確認できたためそれと分かったのだ。
「やはりな……」
ルシアスの表情はあきらかに険しくなっている。
「ダジム。もう感づいているとは思うが、これは獣の類によるものではない。奴らがまた現れたということだ」
父はおおよその予想はしていた様子で、だろうな、と一言応えた。
「ただ、それほど大きな獲物じゃない。魔素量がかなり低い。おそらく、小鬼クラスのしわざだろうな」
魔素? 小鬼? 何のことを言っているんだ? 獣の類の仕業じゃないだと? じゃぁ何をどうすれば制服がこんなぼろきれになるというのか?
父が私のほうを向いて告げる。
「アル。周囲に気を配って警戒を怠るな。この森には特に大きな獣は生息していない、せいぜいランデルの群れがいる程度だ。問題はそいつらじゃない。遠目で見て子供のような背格好をしているものがいたら静かに合図をしろ。間違ってもそいつに声をかけるんじゃないぞ。わかったな」
こんな森に子供なんているわけがないだろう? なのに子供を見かけたらだって? 何を言っているのかよく理解できてはいないが、とにかく子供みたいなやつを探せってことだな――。
私は、無言でこくんとうなずいた。
私たち3人はこれまでの隊列で先に進み始めた、途中、ルシアスが何度か進む角度を変えてはいたが、おおむね森に入った場所から東へまっすぐ来ていると思われる。
ほどなく進むと、目の前に岩壁が立ちはだかってるのが遠目で見えた。地形から察するに、森を囲む山の岩肌であろう。この岩山の向こうには、海が広がっているはずだ。
一行はさらに東へと進み森を抜ける手前まで来ていた。森が切れたところは少し草地になっており、その先に岩肌が屹立しているのが見える。
不意にルシアスが進行を中止する。そして私たち二人に腰を低くするよう手で合図を送った。私たち3人は森を抜ける一歩手前で、腰をかがめて停止した。
「見つけた……。マソウだ」
幸いにして、道中、子供のようなものに出くわすことはなかった。しかし、マソウと言ったが何のことなのか。
「アルバート。詳しく説明している暇はないかもしれんから、簡単に言う。理解はいらない。ただ言葉のままに受け取れ」
ルシアスはそう前置きをすると、話をつづけた。
「目の前の岩壁に洞窟のような穴が見えるか?」
よく見ると、確かに腰をかがめれば入れるぐらいの裂け目が口を開けている。だがそれは、ただ岩肌の裂け目に穴が開いてるというようには見えない。なんというか、ぽっかりと空間が消え失せていて、その先にはおそらく「なにもない」ように見える。
「あれが、マソウだ。そこから小鬼がやってくる。といっても、いつ出てくるかは見当もつかんがな。あれをそのままにしておいたら徐々に裂け目が広がってもっと大きな奴が出てくるようになる。その前にあの穴を閉じなければならない。これからそれをやる」
ルシアスがさらに続ける。
「ダジム。助かったよ。おそらくこんな事じゃないかとは思っていたが、今となっちゃ、あれをどうにかできるのは王国にはもう俺しかいない。それでも、一人でやるしかないなと思っていたのだが、お前に出会えたおかげで、だいぶんと楽にできそうだ。あの大きさならまだ大した小鬼はいないだろうから、このまま処理することにするよ。」
父は、フンと鼻を鳴らした。なら、さっさと済ませてしまおう、お前が当然先陣で行くのだろう、と返す。
いくぞ、というルシアスの掛け声で私たち3人は前進を開始する。ルシアスを先頭に、そのあとに父、そして私の隊列で、まっすぐにマソウへと向かい、その速度のまま腰をかがめてその中へ入っていく、まず、ルシアス、そして父――。
マソウは本当にただの「穴」だった。空間がぽっかりと口を開けている。虚無の空間だ。いうなれば、何も映らない真っ黒な鏡のようなものだ。二人に続いて私もその中へ足を踏み入れる。一瞬もためらわなかったといえば嘘になるが、二人に続くしか選択肢はない。
中は、なんというか、「通路」になっていた。足元の地面は土のような感触で、高さは大人がたっていられるぐらいの高さ、幅は二人が並んでいられるほどだ。岩肌の中にこんな空間があるとは思えない。何かがおかしい。だが、たしかにあの「穴から入ってきた」はずなのだ。後ろを振り返っても、さっきのような「穴」はもうなく、ただの突き当りになっている。
先に入った二人が私が入ってくるのを確認すると、それぞれの武器を用意する。ここから臨戦態勢ということらしい。
通路は細長く前方に続いており、約10メルほど先に「扉」がある。それはもう「扉」というしか形容のしようがない、完璧な「扉」だった。その前まで来ると、ルシアスが小声で言った。とにかく迷わずすべてを殲滅するんだ、と。
ここまで来たら、もう迷いも何も言われたことを実行するだけだ。ただ、「殲滅」する。
一瞬の呼吸ののち、ルシアスは「扉」を開け放つ。扉の向こうは「部屋」になっていた。直径約10メルほどの円状の空間だ。その中に、子供ぐらいの何かが見て取れた。いち、にぃ、さん、しぃ…。数えるうちにルシアスがそのうちの一体に長剣を振り下ろす、そいつは真っ二つに切り裂かれた。続いて、父のこん棒が別の一体の頭にめり込む。頭はまるでかぼちゃがつぶれたように破裂した。さすがに、相手も侵入者に気づき戦闘態勢を取る。残りは、いち、にぃ、……3体だ。それぞれがなにか小型のナイフのようなものを握りしめ、こちらに向きなおって構えを取る。構わず、ルシアスが前進し、そのうちの一体に切りかかる。父も、続いて別の一体にこん棒を振り下ろす。
残りの一体が私の方へ向き直って構える。
こうやって対峙してみて初めて相手の全容を見た。背丈は子供ほど、頭は剥げていて髪らしいものはうっすらとまばらに生えているようだ。目はまるで蛇か猫か……いずれにしても、人間のそれではない。服のようなものは着ておらず、何というかただ、腰に布を巻き付けているような感じに見える。上半身は裸で、皮膚の色は暗い緑色をしている。手足はひょろひょろと木の枝のように伸びていて、ただ、体の大きさの割に異様に長い。手にナイフのようなものを持っているように見えるが、材質まではわからない。持っている手に何か違和感があるので、注意してみてみると、指の数が何かおかしい。足りないのだ。
おもむろにそいつが口を大きく開いて何ごとかを叫んだ。
あきらかにこれまでに聞き覚えのない、とにかく、気色の悪い叫びで、金属と金属がこすれ合うような、耳にとんでもない不快感を覚える。
次の瞬間、その小鬼がこちらへ飛び込んでくる。ナイフをまっすぐにこちらへ向け、手を伸ばしながら、突進してきた――。
突きがくる! 異常に速い!
私は、右足に力をこめて左足を右足の後ろへ引き、上体をそらしながら左方向へ体を反転させる。寸でのところで相手の突進を交わす。小鬼は私の目の前を通り過ぎてゆく。
次の瞬間こちらの右手がその背中に向けて振り下ろされる。もちろん手には「木の短剣」が握りしめられている。右足に力を入れたままぐっと左足を踏み込み、腰をすえて振り下ろす。今度は父の声はしない。
短剣は小鬼の右肩からその体内へ吸い込まれてゆく。途中、がつがつという手ごたえがあったが、小鬼の胸のあたりまで吸い込まれたところで止まった。
ずるずると小鬼は崩れ落ちた。それはもうすでにただの肉塊となり果てていた。
傷口からはどくどくと体液があふれ出していたが、それもしばらくして止まった。色は赤ではない。
「お見事。初陣だな」ルシアスが声をかけてくる。
ふぅと一息吐いた後、周りを見渡すと、「小鬼」の死骸が5つ、目に入った。