余命5分
「えー、あー、あー。マイクテスト。
本日は晴天か、はたまた豪雨か。
わかる術もなく、今更興味もありませんが……。
現時刻をもって、予定通り、余命5分を宣言します。
各自天国への旅立ちに備えて、悔い無きよう、有意義な余生をお過ごし下さい」
ハモリングするスピーカーから発せられた、軽口のアナウンスに苦笑しつつ、左手の袖をめくれば、なるほど、自慢のBウォッチは正解に残り5分を指していた。
「さて、では最後の仕事を済ませるか」
ヘル・カピチーンは誰のためでもなく大きな独り言を呟くと、トレードマークである帽子を今一度正して、狭い廊下を胸を張って、姿勢良く堂々と歩く。
途中、聞き覚えのある一節を耳にし、仮眠室のドアを開けると、口々に祈りを捧げる者たちがいた。聖書と十字架を握りしめて、神に救いを求める彼らは、誰一人としてヘル・カピチーンに気がつかない。無礼な態度を咎めることもなく、それどころか邪魔してはならぬと、ヘル・カピチーンは彼らのために重い鉄の扉を静かに閉めてやった。
さらに進めば食堂、やはりと言うか人は大入りで、残りの酒ダルをカラにしてしまおうと、男たちが競って飲んだくれていた。
もっとも、陽気にはしゃいだり、ぐちぐちと小言を喚いたり、はたまた泣きじゃくったりと、同じ酒でも効用はそれぞれのようだが。
「おや、ヘル・カピチーン。旦那も一杯どうです?
我が国は偉大な発明をしました。カメラと戦争と、そしてビールですぜ」
「いや、結構。まだ職務が残っていてね。
代わりに、ここにいる者に、ヘル・カピチーンの名において命ずる。
食料庫の棚奥に、カニの缶詰がまだ残っていたはず。敵から死守すべく、すべて処分するように」
「承知です!ヘル・カピチーン!」
命令を聴くや否や、競って隣の食料庫へと向かう男たちに苦笑しつつ、彼らの背中に小さく敬礼し、ヘル・カピチーンはまた歩き出す。
食堂隣の厨房からは、食欲をそそるハーブの香りがした。中には恰幅のいい中年が、小鍋で白ソーセージを煮込んでいる。中年は、ヘル・カピチーンにとって、気心の知れた者だった。
「やあ、シェフコーフ。
この世とのお別れまで5分をきったと言うのに、こんな時まで料理かい?もう食べる時間もないだろうに」
「やあ、ヘル・カピチーン。
こんな時だからこそ作るんでさあ。
うちは代々肉屋でね。朝から晩まで白ソーセージこさえては、やれ秘伝のレシピだのと押し付けてくる親父が大嫌いでね、逃げるように海軍に入ったはいいが……。
なんでしょうね。こう、いざ死を意識すると、あれだけ嫌いだったソーセージが、無性に懐かしくなりましてね。
食べたいとは違ってだね、こう、何というか、携わりたいと言うか……。
後悔はしてないつもりですが、肉屋の店主を全うするのも、思うほど悪くはなかったかもなと」
そう言ってバツが悪そうに頬を掻く中年の男が、ごつい体型に似合わず、ずいぶんと照れ屋なことを、ヘル・カピチーンは知っている。
普段無口な彼が、これだけ語ったことに十分に満足し、ヘル・カピチーンは軽い敬礼の後、踵を返した。
目指す操舵室も、あと僅かとなった。
最後の扉に手をかけた瞬間、後方でガチャリと撃鉄を起こす音がした。
ゆっくりと振り返れば、若い兵士が銃を向けている。
「好きに死ねとおっしゃいましたね。
なら、あなたを撃ち殺してから自害と言うのも、当然許されるのですよね!」
「ああ、もちろんだとも。
特に若い君には、その権利がある。
我々年寄りが始めた戦争に、若者を巻き込んで本当にすまない。
さあ、君の好きにすればいい。
ただ……」
ヘル・カピチーンは刺激しないようゆっくりと軍服から拳銃を抜き、引き金に指はかけずに、自身の銃を若い兵士に渡した。
「君のワルサーは勘弁だ。それは所詮、コソ泥の銃だよ。
私の眉間を撃ち抜くなら、どうか愛銃のルガーで。
気品が違うだろう?」
戦場では鬼と謳われたヘル・カピチーンの見せた優男の笑顔に、若い兵士はすっかり毒気を抜かれてしまった。
渡されたルガーを握りしめたまま、ヘナヘナとその場にへたり込む。彼の背中を軽く叩くと、ヘル・カピチーンは背を向けてドアの向こうへと歩みを進めた。
「これはこれは、遅い帰還で。ヘル・カピチーン。
このまま間に合わなければ、もう5分延長とアナウンスするところでしたよ」
操舵室には、冒頭のアナウンスの主である、青年が待ち構えていた。先ほど銃を向けて取り乱した兵士と、見た目で言えば、それほど歳は変わらない。しかしながら、このごに及んで軽口を叩く胆力は、ドアの向こうでヘタリ込む若い兵士と雲泥の差である。そのことはヘル・カピチーンもたいそう買っており、だからこそ適任と、彼に留守を任せたのは、他ならぬヘル・カピチーンなのだ。
「それは勘弁してくれ。流石にこれ以上、皆を抑えきれない。
もう酒ダルの底が見えていたからな」
そりゃ大変だと、屈託なく、二人は笑う。
思えば、この二人が、これほど腹の底から笑い合うのは、長い戦禍のなか初めてであった。
Uボート最強と名高いヘル・カピチーンと、逸材ともてはやされた若きステーサトレンダ・カピチーン。腹を割るには、抱えた荷が重すぎた。
死を目前に、今初めて分かり合える。
ヘル・カピチーンは差し出されたマイクを受け取り、最後の仕事へと取り掛かった。カピチーンとしての、最後の挨拶である。
「本日は晴天か、はたまた豪雨か。
なるほど、この海底では知るよしもない。
敵軍の砲撃を受け、自力浮上が不可能となり、ちょうど丸一日が過ぎた。
本潜水艦の回収方法はなく、また、援軍との交信も不通である現状からして、本艦の帰還は不可能と判断する。
酸素残量は乏しく、また、軍事機密保持の観点から、これより、本艦は自爆処理を実施する。
ドイツ国民希望である本艦を失うこと、多くの優秀な人材を、未来ある若人までの命を、この場で失うはあまりに申し訳なく、すべてはカピチーンである私の不徳である。
しかしながら、皆、今日までよく戦った。
共に本艦に乗船したことは、どの勲章にも変え難い、私の何よりの誇りである。
天国への入国許可は、私が責任を持って神に交渉する。
それでは、皆、最後の休息を。アーメン」
アナウンスを終えたヘル・カピチーンはそっとマイクを置き、代わりに自爆のスイッチへと手を伸ばした。
「ご一緒してもいいですか?」
若きステーサトレンダ・カピチーンが横に立ち、やはりスイッチへと手を伸ばす。
「助かるよ。正直数十名の命を握るのはストレスだ」
「もちろんですよ。同時に押しましょう。
艦長大尉殿、ご一緒できて光栄でした」
「私もだよ、副艦長殿
君ほどの才能を失うのが、何よりも残念だ」
ちなみにシェフコーフは料理長。
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