chapter44「案外簡単かも?」
異世界化現象が解除され、響夜達は地球側へと無事帰還した。
異世界化は元々屋敷周辺をに覆いかぶさるように発生していたので、大扉を開けて外に出てくるだけで脱出が完了したのだ。
藤宮 葵の一件と比べるといくらか楽で、脱出ポイントに向かって走る必要は無かった。
しかし、狭間家に到着した後の事―――
「―――……ッ。」
「早彩!!」
「折本!!」
「早彩ちゃん!!」
早彩は倒れた、この一件で大きく消耗していたのだ。
憑魔による恩恵で魔法を使い、憑魔による精神汚染からの脱却し、憑魔を無理やり体から引きはがしていた。
それに加え―――
―――魔術師としての覚醒、心器触媒の開放と能力の使用。
更には、ハーモニー・オーブの影響下に置かれての戦闘による疲労と消耗―――
―――そして、C・Aの行使。
どれも、事前の知識を無しにして挑むには負担が大きすぎる物ばかりだった。
数日間、早彩は眠っていたが―――
「問題ない、そのまま寝かせておいてやれ。」
アイリスからはその一言だけであった。
「単に魔力を激しく消耗しただけ」と言う説明もあり、一先ずは落ち着いた…………かに見えたが、問題は残った。
未だ、はぐれ魔術師の存在があるかも分からない折本家に帰すわけにも行かず……響夜は困り果てていた。
2020年6月2日(日) 朝
「はぁ……どうするかなぁ……―――。」
響夜は、朝食を作っている。
フライパンには落し蓋をしているが、中が見える様になっているため食材の様子が見て取れる。
水を入れた事によってフライパンの中は蒸気が充満していて若干見辛くはある物の、目玉焼きが愉快にぽんぽこ跳ねている様子を見ていると、悩んでいるのがどうでもよくなってくる。
〝パチッ……パチッ……〟
〝ペンッ……ペコン……〟
ベーコンの弾ける音も愉快に聞こえる物だ。
何もせずにフライパンを見つめていると時間が止まっているかの様な気分になるので……響夜は料理と言う物は案外好きでやっている、アイリスと出会った事で響夜も変わったのだ。
だからなのか?こうやって、料理をしたりする時間は大切にするべきだと考える様にもなった。
ただ〝死の訪れ〟をゆったりと待つだけだった響夜にとって、変化を恐れ閉じこもってしまった早彩の言う事は―――
「解らなくもない―――」
―――そう思った。
早彩を解き放ったあの時―――響夜は感情をぶつけて早彩の心を動かそうとした。
自分もそれを乗り越えて戦うべきだと考えた1人である。
それもまた間違いではない、1つの選択肢だ。
しかし、実際に早彩をあの暗闇から引っ張り出したのは―――シェインだった。
響夜は早彩が強くならなければこの状況を乗り越えられないと思ったが、シェインがとった行動は違った。
「『―――もし君が〝恐しい〟と言うのなら……〝最初だけだ〟最初だけ手を引いてやろう。』」
意外でもあった。
少し前、徹底して〝殺す〟事を主としていたシェインの起こした行動だった。
早彩は変化を受け入れて、戦いに臨んだ。
変化したからではなく、これから変化する事への恐怖と躊躇いをシェインは拭っただのだ。「子供が初めて水面に顔を着ける恐怖」となんら変わりは無かったのかもしれない。
(そこに、シリウスがつけ込んだ……ってだけなんだよな。)
今思えば、響夜が魔族と戦う決心をさせたのも奏の存在が大きいと言えるだろう。
早彩にとってのそれが、シェインであった……と言うだけの話だ。
(オレ、今回何かしたっけ……あんま……早彩の助けになるような事した覚え……ないや。)
彩王子駅でボコボコに叩きのめされ、魔法魔術の特訓の成果は出ず、結局はシェインに戦いを任せた。
他にも響夜はいろんな事を考えていた。
敵が魔族だけではない事。
アイリスが呼んだであろう増援も、なかなか到着しない事。
早彩をこの戦いに巻き込んでしまった事―――
―――考え出せばきりがない。
「…………あぼーん。」
響夜は料理をする間は別の事を考える様にしていたのだが、思考の大部分がそんなもので埋め尽くされているせいで、料理の間に考える物が何もなくなってしまったのだ。
今なら〝無の境地〟にだって至れるかもしれない。
この状態で寺に運ばれて座禅を組まされても、警策(お坊さんが肩を叩くやつ)で叩かれる事なく1日を終えられるのでは無いだろうか―――。
響夜は、最早それすらも考えてはいないだろう。
〝バチッ……バチッ……!!〟
「おっと、危ね。」
油の跳ねる音で思考を取り戻す。
目玉焼きを焦がす、と言うベタな展開を起こす事は無い。
最近、叔母は食事を作るために家へ戻る事をしていないが、それは響夜が「自分でやるよ心配しないで」と進言したからである。
叔母も、最近の様子を見て「問題なさそうだ」と判断したらしい。
そんな朝の食卓に向かって遠慮がちだが、足を運び降りて来る1つの足音があった。
響夜の独断で目玉焼きは半熟になっている……今日の目玉焼きは3人分だ―――
1つ目は自分で、2つ目は一美である。
そして3つ目は……。
「―――響夜。」
「〝!!〟早彩……!!」
リビングの扉をゆっくりと開けると、そこへ隠れる様にしながらちょこん、と顔を出したのは早彩だ。
まだ少し眠いからなのか少しだけ目元を細めている。
「えへへ……なんだか良い匂いがしたもので……。」
「あぁ、アイリスがそろそろ起きるだろうって言ってたから、3人分作ってたんだ―――顔色は……うん、良さそうだな―――先に座んなよ。」
響夜はこう言っていたが、早彩は思っていた。
(響夜の事だから、毎日3人分作っていたのでしょうね……。)
そんな事を考えながら、早彩は引かれた椅子に腰を落とす。
着替えがいつの間にか変わっていたが、響夜には妹がいる事を知っていたので別に驚く事は無い。
ここ数日間寝ていたのだと……早彩もすぐに察した。
「はい、出来立て。」
「わぁっ……。」
「早彩こういうの好きかなって思ってさ。」
「ええ〝大好き〟です。ありがとう、響夜―――」
「あ、あぁ……。」
使用人が10人寝そべってようやく埋まるだろうと言う様な長い机の食卓が早彩の知る物である。
それとはかけ離れていた食卓だった。
早彩が目玉焼きに目を輝かせているのは良いのだが、その一方で響夜の心境は複雑な物だった。
寝ぼけているとは言え〝大好き〟などという言葉を笑顔で向けられたのならば、心が揺れ動かずにいられるかと言う物だ。
「おはよー。」
「おはようございます。」
「ふぁ~~…………ふぁっ!?」
欠伸をしながら入出した一美は俊敏に響夜の後ろに隠れた。
人見知りなのは仕方が無い事だが、多少なりともオーバーなリアクションに早彩は握手の手を引っ込めた。
時に、無自覚な行動こそが他人を傷つける。
「一美……ほら、平気だから……取って食おうってんじゃないんだから―――」
「(ガクガクガクガク)」
「〝取って食う〟……ですか。」
「あ……ごめん早彩。」
「良いんです……。一美さんは響夜の隣が良いでしょう。」
シリウスを退け自らの過ちを直視した早彩にとって、恐ろしい程に平穏である狭間家で朝を迎えた、窓の外を眺めると塀の上で猫が寝転がっている。
鳥は木々に留まり、ごみ収集車が住宅街の中を走っていたり、あいさつを交わす隣人であったりと……早彩から見ると、ある意味で現実から切り離されたようにも感じられる。
まるで夢の中に居る様だ。
間違った方向に進んでいたのは分かった……次は、行き先だ。
早彩が今後考えるべき課題は山積みである。
今回の事件で、早彩は自らの育ちや環境を否定せざるを得なくなった。
自身の母親や周囲の大人達でさえ狂気に走った……ただ1人、早彩を守るために。
そんな早彩が狂わずにいられるかと言われれば、難しい。
(罪の意識?…………それと、何か……迷ってる?……いや、決めかねてる?)
ここも……本来居るべき場所ではないと考えていた。
「……私は―――」
早彩が何かを言いかけた時だった。
「よいしょ。あんちゃん、しょうゆ。」
「……あ。」
4人掛けのテーブルだ。
一美は響夜の隣でなく早彩の横へ座った。
「ふっ―――……あぁ、ほらよっ。」
それを見て響夜はしょうゆをテーブルの中央へ置いた。
響夜が自然と笑みを零したのは誰も見ていない台所での話である―――もちろん、早彩と一美は知る筈が無い。
「あむ……ほぐっ……あむ。」
「―――……。」
「ご馳走様!!」
早彩が口を開けてぼうっとしている間に一美の目の前に置かれた食事は片付いてしまった。
一美は、やや忙しなく朝食を終えると1足先にリビングを飛び出そうとする。
「随分急ぐんですね―――」
「朝練、なので!!」
一美は、緊張しているからなのか目を合わせてはくれない。
よく見ると腕が震えていた。
(きっと、知ってるんですね……私に関わる何もかもを……。)
「……羨ましいです。」
「え……?なで(なんで)?」
一美はアホ丸出しの返事をした、目が点になっている。
余りに突拍子も無い言葉だったのはもちろんだが、雲の上のお嬢様からそんな事を言われるとは思っていなかったので混乱するのも無理はないだろう。
「お母様に言われてしまったのです『意思が見えない』と……確かに私は色々な教育を受けました。バイオリンも、ピアノも、馬術も……勉強もたくさん……けれど、どこにも私の意思はなかった。」
ドキュメンタリー番組を見ている気分になった一美は、ぼうっとした顔でそれを聞いていた。
「シリウスに向かって剣を振るった時……私は自分の意思を貫いて振り切ったつもりでいました。ですが、それもなんだか、こう……流されたような気もするのです。私自身が考えてやったことでは無いようにも思えて来る……だから羨ましいのですよ、何かに真剣に取り組むあなたを見ていると……一美さん。」
早彩は、ぎこちなく淡い笑顔を向けると一美へ向けた。
「―――早彩、さん……。」
一美の口が開くのを見て、早彩はまた俯いてしまうが―――
―――しかし。
「私……そんな難しいこと考えて生きてない……!!」
「え……。」
「んぐ……ぷっ―――!!」
早彩にとっても、それは予想外の返答だった。
「くくっく……ぶ、ふ、ふふふ~~~~ーーーー!!」
堪えようとしても出て来てしまっている響夜の笑い声は、耳に入っていない。
早彩は、一美が早く食事を済ませてしまった事とは別の感触の疑問と困惑を覚えた。
「え、あ、え????ナニ?お金持ちの人ってそんな難しいこと考えて生きてるの!?私わかんないです……ごぇんあさい!!」
「…………そう……なんですか??????」
「だって……あんちゃんがやれって言って始めたし、私。」
「えぇ~~~~~~~~~??」
「なんか、すぃあせん。」
早彩が「何で教えてくれないんですか?」と言う目線を送ってくるのだが、響夜は笑いをこらえるのに必死でそれどころではない。
宇宙に放逐された2匹の猫同士が見つめ合っているだけの空間が、そこにはある。
「でも、私―――空手やる内に思ったんです……〝助けてくれた人を助けられる様になりたい〟って……でも、そんなのは初めて見ないと分からなかった…………あんちゃんは私に空手をやれって言ったけど、そこまで考えてなかっただろうし。」
「……そうなんですか?」
「いや、その辺はオレに聞かれても……。」
「だから、あれですよ。その―――」
一美が片づけ忘れてた食器をシンクに突っ込むと、今度こそリビングを出ようとした。
「……そんな難しいこと考えなくても、目的も〝居場所〟も案外その辺に転がってるのかも―――そんで、意外なところにあったりするのかも―――」
「一美さんにとっては、部活動がその、居場所だと?」
「?……―――よくわかんないけど〝居場所って1つじゃなきゃいけないんですか〟?」
「…………あ、いえ。」
「……あ、こんどこそ時間だ……行ってきます!!」
「あいよ。」
目をぱちくりとさせながら、出て行った扉の方を見つめたまま固まる。
早彩は自分の考えがこんなにも凝り固まった物だったのだ、と客観的に認識した―――これが初めてだ。
一美がリビングから飛び出して行くと、少しして重めのドアが閉まる音がした、家を出たのだ。
「ふ、ふぐ……あははははははは!!」
「もう、響夜―――!!」
「いあ、ごめん……まさか一美を相手に手を焼くなんて思わなくって……あぁダメだ、また笑いが―――」
「あー、もう!!」
「あはははははは―――うぉへ!!げほ!!げほ!!」
ひざ元に視線を落とした早彩は唇を尖がらせていた。
赤面している様子はキッチンからでも分かる程である。
「私……皆さんと一緒に居て……ここ居て良いんですか?」
「え、あ……そんなこと考えてた?」
「はい―――。」
「何言ってんだよぉ、そんなの―――」
響夜は、ポケットからある物を取り出した。
桃色に輝くビー玉の様だ―――〝ハーモニー・オーブ〟である。
「んんっ……エホン!!『―――証だ。』」
「……それは、シェインのマネですか?」
「……………………うん、どう?」
〝チャラリ〟
細目のチェーンがついているので、そのまま首に下げていられる。
早彩は受け取ったハーモニー・オーブを身に着けると、顔を上げてこう言った。
「全然、似てないです!!あはは!!」
「だーもう、ほら、早く食べる!!お腹がすいてるから辛気臭いことばっかり……考えるんだ!!」
「はい、頂きます―――!!!」
響夜が向かいの席に座った時、その顔が赤くなっているのを見て胸がいっぱいになる気持ちを感じた。
早彩も手を合わせて食事を始める。
1口ずつ口にしまって行くが、急がずに焦らずに……味わった。
「ごちそうさまです。」
朝食を全て食べ終わると、箸をおいて横向きにおいて手を合わせた。
その食事は大変、美味であった。
早彩の行くべき道は決まったらしい。





