彼と顔と
アラタはどうしてもこっそりハルトの顔を拝んでやりたくて、ガイアの店の入り口を、物陰から潜み見ていた。帽子とマスクでちょっと顔を隠して、あの朝、電話から漏れ聞こえた予約の日付、食事が終わるであろう時間にだ。
しばらくすると、スーツ姿のサラリーマンらしき男女のグループが出てきた。会社の同僚と来るなどと言っていたから、きっとこの中の誰かだと、アラタはジッと目を凝らした。
そのグループは、駅に向かうためだろう、アラタの立つ方へ歩いてきたので、携帯の画面を見ながら人でも待っている風を装った。自分の目の前を通る時に、上目遣いでちらりと顔を確認する。
そして、衝動的に声をかけてしまった。だって、あまりにも……。
「……ひょっとして、“ハルト”?」
急に声をかけられた側は、驚いて歩みを止めた。
「ハルトさんのお知り合いですか?」
女性がハルトと思しき男性に聞いた。
「いや?……えーと? ごめんなさい、失礼ですけど……」
そこでアラタは声をかけてしまったことにハッとして、少しでも怪しまれないようにと、帽子とマスクを取った。
「いや、ガイアが、名前を言ってたことがあったので……」
「あ、なるほど。ガイアの知り合いなんですね!」
ハルトはパッと表情を明るくして笑顔になり、言葉を継いだ。
「僕は聞いたことなかったけど、話題に上るのはわかるかも。マスク取ってもらってちょっとびっくりしましたもん。僕でも声かけちゃうな。だって──」
「引き止めておいて、ごめんなさい。ちょっと、気分、悪……」
アラタはハルトのせりふを遮りながら、その場にうずくまった。知ってしまった事実にめまいと吐き気がした。
「わ、大丈夫ですか⁉︎」
ハルトが心配そうに手を貸そうとしたが、アラタは反射的に、それを払いのける。
「飲み過ぎただけなんで……」一言発すると同時に腹の中のものが出てきそうで、一度ぐっと口をつぐむ。「……すみません、どうぞ、放っておいて、ください」
何度か声をかけたけれどアラタが頑なに介助を拒否するので、ハルトは後ろ髪をひかれつつ、同僚と一緒に帰るしかなかった。
アラタは気分が少し落ち着くと、ふらふらとガイアの店に入っていった。
閉店間際の店には、都合よく客は一人もいなかった。アラタは隅のカウンター席にすわると、しばらくぼーっと、片付けをしているガイアを眺めた。
「ガイアって、本当は、とんでもなく一途だったんだな」
「ん? なんか言った?」
アラタの言葉が洗い物の水音でかき消えたので、ガイアは蛇口をひねって水を止めた。
「さっき、ハルトの顔、見てやった」
「は?」
「すぐわかったよ。だって、だって……
俺に、そっくりだった……!」
世界には自分そっくりな人が三人いるというけれど、信じられないことに、生き別れた双子ではないのかと思うほどに、アラタとハルトは顔も背格好も瓜二つだったのだ。
「逆か。俺が“ハルト”にそっくりなんだ。
ハルトとの関係は壊したくない。けど、欲求は満たしたいって、そういうことでしょ。俺はただの身代わりで、かけてくれた言葉も愛情も、何もかも全部全部、ハルトに向けたものだったんだ!」
「違う。それは、違う!」
あまりの衝撃のためになりをひそめていた怒りがわきあがって来て、アラタは声を荒げた。
「何が違うって言うんだ。バカにしやがって! 好みのタイプとか雰囲気が似てるとか、そういう次元を逸脱してるだろ!
そりゃあ、さあ。薄々は感じてたよ? 俺は、本命ではないんだろうなってことくらいは」
ガイアは動揺を隠そうと、客の残したワイン瓶をラッパ飲みでぐいっと飲み干した。そして覚悟を決めたようにアラタをまっすぐに見る。
「正直に言う。
きっかけとして……あくまできっかけとして、ハルトに似てたから、アラタに興味をもったのは否定しない。ハルトが好きだったことも、その通りだよ。──けど、はじまりはそうだったけど、今はアラタのこと……」
「いままで一度も言ってくれなかったことを! この流れで! さらっと言わないで! 頼むから!」
遮るように、アラタは叫んだ。
「それ言って、心にもないことを言って、ガイアは俺をどうしたいわけ? 初恋の相手そっくりなやつと、付き合い続けようっての⁉︎ どんな気持ちで⁉︎」
アラタは血がにじむほどに、自分の頬に爪をつきたてる。
「どんなにがんばったって、俺がこの顔である限り、お前はずっと、俺の外面の“ハルト”を愛し続けるんだ!」
彼の言うことは、きっと、正しかった。反論できることなど一つもない。
「無理だよ、もう。俺が、無理。ガイアのこと、本当に本当に好きだけど、だから、なおさら、ほかの男の代わりだなんて、耐えられない」
「ごめん、本当に、ごめん……」
「マジな顔で……認めんなよ……」
あまりにも惨めで頬を伝った、血の混じる涙が、ぽたぽたとカウンターに落ちた。