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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

スピーカーズ・コーナー

作者: 200ホールマーク

 僕が立ち直るまでにかかった時間は、三十秒かそれくらいだったと思う。三十秒。多分、そのくらいの浪費。

 

 その三十秒という数字が長いか短かいか、致命的だったのかそれとも多勢に影響が無かったのかは解らない。判断のしようがない。


「過ぎ去ったこと、過去のことにいちいち気をとられて悩みすぎるのは、ナガトミさんの悪い癖だと思います」


 管制官の女の子に言われた、そんな言葉を思い出した。


「悩むことは、あとからでも出来るです。今しかやれないことをやってください。悩んだり叫んだりすることは、その後です」


 彼女はとても魅力的な女の子だ。僕は彼女の魅力に敬意を表して、こっそりと彼女のことを『チャーミー』と呼んでいる。


 チャーミーが指摘してくれたその悪癖を、僕は今ここで克服することにしよう。僕は三十秒という数字とそれにまとわりつく多種多様な感情を、精神の隅っこのほうに押しやった。テーブルタップとそれにからみついているたくさんの電源コードを、足で部屋の隅っこへと追いやるようなイメージ。テーブルタップは、いともたやすく部屋の隅っこへと押し込まれる。


 克服完了。なんだ、簡単なことじゃないか。



 僕は太陽へ向けて落下し続ける宇宙船の、そのコンソールにしがみついている。現在座標とベクトルの算出、推進力エンジンの再起動と光速通信リンクの確立。そして、それらを実行するために、何よりも電子系統制御の回復。やった方が良いこと、やらなければ控えめに言って死ぬ羽目になるようなことが、山のように連なっている。


「このままいけばあと二時間で『お星様』だね。……比喩とかじゃなく」


 そんな言葉を口にする。一人乗りの宇宙船が持つ長所の一つに、『どんな不謹慎な軽口を叩いても他の誰からも眉をひそめられることが無い』という点がある。僕はそのメリットを、単座型宇宙船が持つ全ての特徴の中で、二番目に気に入っている。何でも好きなことが言えるということは、精神衛生上、とても良い。

 誰からも聞きとがめられることが無いので、僕はこんなことを口に出したりも出来る。


「死にたくないなぁ。死ぬのは怖いなぁ」


 僕は結婚して子供が出来て、自分の子供にも配偶者が出来て(もしも自分の子供が娘だとしたら、娘の伴侶たる男には『貴様に娘はやらんっ!』とか言っちゃったりなんかりして)、やがて孫が産まれて、その孫がハイティーンになって、彼もしくは彼女が若さゆえの冷淡さと残酷さをもって、耄碌した僕のことを邪険にあつかうようになるまでは死にたくはないし、死ぬ気もさらさらに無いのだけれど、残念ながら人の生死というものは案外自由意志ではどうにもならない点も多々ある。

 

「まあ、僕ほど日ごろの行いが良い人間なんて滅多にいないから、助かるに決まっているんだけど」


 僕はそう嘯いてみた。当然ながら、その軽口には反応してくれる人は誰もいない。咳をしてもひとり。


 ワープ航法という言葉自体は、きっと誰もが一度くらいは聞いたことがあるんじゃないか、と思う。


「この世界ではね、光の速さよりも早く移動することなんて出来ないんですよ!」


 そんな世界の法則をつきとめたアインシュタイン先生が理論に対する抜け道として、テキーラ人の科学者が提唱し、全世界のSF作家達がすこぶる気に入った理論のことだ。空間を捻じ曲げることで移動距離を短縮し、結果的に光よりも早い速度で移動する。この航法が実現するとしたならば、人類の活動圏を一気に拡大することが可能となる。

 

 そんな夢物語について、結構真面目に実現方法の模索をしていた人類は、三百年という年月を費やしてようやくその夢の影を踏むに至った。冷静に考えたらドン引きする程の資金と人的資源を費やして、ワープ航法基礎論を確立させたのである。


 最初はネズミ、次に犬、最後には牛を乗せたワープ実験は無事成功に終わり、いよいよ有人でのテスト実施をする段階を迎えた。かつては空想でしかなかったその技術の尻尾を、人類はようやく掴み取ったわけだ。

 その尻尾がフェアリーテールでさえなければ、人類の情熱の大勝利! と言えたかもしれない。



 有人ワープ航法、人類史上初の快挙になるはずのその実験は、今ここで惨憺たる結果に終わろうとしている。ワープ飛行自体は確かに成功したのだが、実験機がワープした先は、これまでに確立してきた理論では到底説明出来ない位置だった。


 地球と火星の間の宇宙空間で行われた実験、理論上では地球へすら到達しえない距離しかワープ出来ない筈なのに、今回、実験機はやたらと張り切った。当代最高の智者達がはじき出した計算を気持ちよく無視し、当代最高のチェシャぶりを人類に見せ付けてきたのだ。ほぼ実証されていた筈の計算式に基づく結果を無視し、天文単位レベルでの跳躍を成し遂げた実験機は、そうして太陽のごく近く、重力圏内へと跳躍した。同時に、その太陽が持つ重力の、強大でがっしりとした腕に掴み取られた。

 

 先達たるネズミや犬や牛と比較して運か日頃の行い、そのどちらかが悪かった(個人的には前者の可能性を強く推す)パイロットは今、必死になって太陽が持つ筋肉質の腕から逃れるための手段を模索している。

 

「一人で死ぬのはやだよう。せめて誰かと一緒に死にたいよう。道連れが欲しいよう」


 どんな不謹慎な軽口を叩いても他の誰からもとがめられる事が一人乗りの宇宙船がもつメリットだ。僕はそのメリットをとてもとても気に入っている。

 単座式の宇宙船が持っている数多くあるメリットの中でも、その長所に勝るものはたった一つしか存在しない、そう僕は思う。

そのメリットとはつまり、このようなものだ。


「何かのトラブルや失敗にまきこまれ、もう本当にどうしようもない事態に陥ったとしても、その被害にあうのが自分一人で済む」

 

 今頃、管制塔はパニックに陥っているだろう。いつまでたっても捕捉できない実験船の姿。彼らは“跳躍可能範囲”と見積もっている空間の中で、実験機のことをそれこそ血眼になって探しているだろう。

 

「たとえ見当違いのことだとしても、誰かのために頑張ったことは、認められるべきで、その想いは報われるべきだ」

 

 これは僕の父親の言だ。その言葉を是とするならば、僕には全くもって無意味な領域を走査しつづけているに違いないチャーミー達の努力を報わせるという義務がある。

 無事に生還して、「残念、君達の努力は徒労だった!」と笑ってやる。それが今の僕に課せられた義務だ。


 僕の父は腕の良い料理人である。父は、バナナについてアレルギー反応を起こす体質だ。

 昔、僕がまだ小さな子供だった頃、僕は「父がバナナを食べられない」ということが信じられなかった。バナナはこんなに美味しいのに! 小さな子供の僕には、父の言うことが不条理であるとすら思えた。父は嘘をついているんだ。きっとそうだ。

 僕はそう思った。優しい父は、僕にたくさんバナナを食べて欲しくて、自分の分のバナナも僕にくれているに違いない。父や母が度々口にする「あれるぎー」という言葉は、きっと「やせがまん」と同じような意味の言葉なのだ。僕は真剣にそう思っていた。


 僕には妹がいて、妹は僕よりもさらに幼かった。妹もバナナが大好きだった。妹も父が大好きだった。

 僕と妹は、父の誕生日に料理をつくった。簡単な料理だ。スライスした食パンに、スライスしたバナナを挟んだだけのサンドイッチ。バナナが脇からのぞかないように、僕らはパンの端の部分を潰した。サンドイッチはいびつなUFOのような形になった。きっとこれなら、父も遠慮なくバナナを食べられるに違いない。僕はそう確信していた。

 

 そして僕と妹は、父にそのバナナサンドをプレゼントした。

 父は、僕らから受け取ったそれを前に少しだけ考え込み、それから意を決したかのように、口を大きく開け、父にとって毒でしかない筈のプレゼントを、笑顔で食べきった。


「うん、美味い。ありがとう、二人とも」


 バナナサンドを嚥下したあと、父は僕らにそう言った。やった、成功だ! 僕と妹は喚声をあげた。父も嬉しそうに微笑んでいた。父が何を食べたのかに気付いた母だけが、その顔を引きつらせていた。

 

 その後、父はすぐにじんましんを起こしてぶっ倒れた。


 病院で、僕と妹は母にこっぴどく叱られた。僕がアレルギーという言葉の意味を正しく知ったのはその時だ。


 母は、ベッドで寝込んだままである父のことも叱った。わかっていて口にするなんて、馬鹿げていると言った。その時、父がもごもごと口答え(そういう表現が一番しっくりくる)した言葉が、前述のものである。


 僕の父はそういう人である。父は僕の誇りだ。


 この試験飛航に参加する前、父は僕にこう言った。


「考えすぎないようにしなさい。そうすればお前はすべきことをこなせるはずだ」


 母はこんな言葉をくれた。


「とにかく無事で帰ってきなさい」


 妹に至っては、こうだ。


「お土産よろしく」


 かくして僕には妹にお土産を渡す約束があり、その約束を果たす前に太陽へダイブするわけにはいかないのである。



 僕と一緒に麻痺状態に陥っていた、電子制御系統がやっと回復した。悪あがきも、やってみる価値はあるものだ。


「努力は報われる。それがこの世界の真理なんだぜ」


 僕は上機嫌でそんな独り言を呟いて、それから現在この船が位置する宇宙座標の位置を算出させた。コンソールには、予想よりもはるかに太陽に近い座標が表示された。控えめに言って、完膚無きまでに絶望的。


「誰だ、『努力は報われる』なんて楽観論を持ち出してきた奴。出てこい」


 もちろん、誰も名乗りをあげない。突っ込みも入らない。さすがは単座型宇宙船である。

 素晴らしい。


 努力は報われるべきだ。父はそう言った。僕は、それを正しいことだと思う。少なくとも、他人の努力をキッチンペーパーで拭き取り、ダストシュートの中に放り込むような真似をすることを、僕は由としない。


 僕は復活した制御機能を操って、推進力エンジンにめいいっぱいの出力を指示した。がんがんいこうぜ。


 僕が指示した景気の良い出力では、すぐに燃料が尽きてしまうだろう。そこまでしても太陽から重力から逃れられるわけでもない。せいぜい、数分の間だけ今の場所に踏みとどまれるのが関の山だ。放熱の関係で、先にエンジンがいかれてしまうかもしれない。

 だけど数分の間、たったそれだけの時間でも、光速通信リンクを確立するため、同じ位置に踏みとどまる必要があるのだ。


 無事、光速通信リンクが繋がった。僕は安堵する。ここから一番近い通信衛星は、太陽光発電衛星のものだ。その宇宙規模の“ローカルエリアネットワーク”は、僕らの管制塔へも繋がっている。僕は通信機のチャンネルをあわせる。

 

「……β9C区画、走査。……結果、該当無し。β9D区画、走査。……結果、該当無し。ちょっと、ナガミネさん、いい加減にしてください! どこにいるんですか」


 スピーカーからチャーミーの声が聞こえてくる。懐かしさになんだか泣きそうになる。僕の感情とリンクして、というわけでもないだろうけれど、チャーミーの声も半ば泣き声だった。おいおい、普段のクールさはどこになりを潜めたんだ?


 管制塔とこの実験機の間には、およそ一宇宙単位の距離がある。つまり、光速通信とは言えどもその通信ではおよそ五百秒のタイムラグが存在するということだ。彼女の声は八分前のもので、僕がこれから何かを伝えたとしても、彼女がそれを聞くのは八分後、その返事が返ってくるのはトータルで十六分後である。これでは快闊な言葉のキャッチボールというわけにはいかない。

 

彼女が喋っているのは、今から五百秒前、僕が予想外ワープを成し遂げてからまだそれほどの時間がたっていないころのものだ。

 少なくともそれから十六分は、彼女はそうして半分泣き声で僕への呼びかけを続けることになる。


 女の子を不安にさせ続けるのは、あまりいい趣味ではない。早く教えてあげよう。僕はマイクのスイッチをいれた。

 

「君達がこの通信を聴いている頃、もう僕はこの世にはいないと思う。……こちら実験機、搭乗員ナガミネです。」


 まずは軽いジョークから。フェアリーテールにはブラックジョークが良く似合う。


「まずは、状況の説明から。一言で言えば予想外。あまり時間はないので、実験結果のデータ送信へと切り替える」


 そう言って、座標や機体が負った障害などの各種データをリンク上へと流す。その間も、コンソールはエンジンの温度が危険域へと到達した旨をヒステリックにわめき続けている。まあ、待てってば。そうわめくなよ。どうせあと少しだけなんだから。


 もう少しだけ、僕に付き合ってくれよ。


 スピーカーからは、七分前のチャーミーが僕へと呼びかけを続ける声が環境音のように流れ続けている。既に、彼女はだだ泣きだった。泣きながら僕を探してくれていた。ありがとう、チャーミー。惚れてしまいそうだよ。僕のことなんてもういいから、もう泣かないでね。あと、勝手に影で「チャーミー」なんて呼んでごめんね。


 データ転送、完了。エンジン、限界。太陽の放射熱で、室内温度もさすがにじんわりとあがってきている。断熱タイルの悲鳴。


 そろそろ、潮時だろう。


「では、そういうわけで、最後に」


 僕はもう一度マイクをとった。ええと、何を言おう。

 僕のために泣いてくれているチャーミーに、あるいは、僕の無事を祈ってくれているはずの、父と母に。お土産を待っている妹に。


 僕が誰かにメッセージを伝えるのは、これで本当に最後だ。だから、言いたいことを言おう。


 誰が眉をひそめても、かまわない。思ったことを、言いたいことを、言ってしまおう。僕はマイクに向けて、こう伝える。


「ワープ航法を諦めないでください。宇宙へと続く道を、決して閉ざないでください。……以上。」


 そして一つ息を吐いてから、僕は最後にジョークを一つ付け加えた。誰かしら、笑ってくれるといいのだけれど。


「なお、当機はこのメッセージの送付後、自動的に消滅する」


 きっと、誰も笑ってはくれないだろう。怒る人すら出てくるかもしれない。だけどまあ、冗談とはそういうものだ。


 絶賛オーバーヒート中のエンジンは、もはやどうしようもない。リタイア間近、緊急脱出を勧める警告がディスプレイ上に乱立する。雨後の筍。

 脱出してどうするんだよ。僕は一人でそう笑う。空気すら無いよ。放射熱で、一発アウトだよ。


 アラームがあまりにもうるさかったので、コンソールディスプレイをシャットダウンした。チャーミーの声も聞こえなくなるけど、これ以上チャーミーの泣き声を聞いていると本気で惚れてしまいそうになるので、それも仕方ないことと割り切った。


 それでも、思ったよりは静かにならなかった。エンジンが、ごうごうと悲鳴のような嘆きのような声をあげ続けているせいだ。


 まあ、それもノイジーな伴奏だと思えばいい。それはそれで、味があってよろしい。

 そう思って、僕は伴奏にあわせて口笛を吹いた。曲目は、『威風堂々』。こんな曲を最後に吹く気になったことに、ちょっと驚く。


 口笛を吹き終える直前に、エンジンが崩壊する。大きな振動と共に到達する破裂音、圧倒的なその轟音。僕は口笛での演奏を続ける。

最後のフレーズ。自由により得られし、真実によりて、保たれし、汝の帝国は強盛となるべし。

 背中には、最後の爆発音とその振動がひびく。僕の口笛に対する評価。まるで暴力のようなスタンディングオベーション。

 僕は、威風堂々とした態度を崩さずに振り返る。そして、そこで

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