9. とある無知の
「こんにちは。楽しそうですね?」
「は、はい。楽しんでるみたいですが……」
一体誰なんだこの人は。
声からしても性別を判断しにくい。女かな。ナンパ男とか嫌だから女であれ。
「先日、ルアポートの映画館に2人でいるのを見かけましてね? 今日も仲良くしているのを見かけて話したくなってしまったんです」
「映画館……あぁ、ああ!」
ホラー映画の時のめっちゃ目立ってた人だ。
怖すぎて忘れてた。
私が気づいたことで赤黒スーツさんも安堵したようだ。
「あ、あの映画怖くなかったですか?」
あの時の怖さを思い出したせいか若干声が震えた。
「いえいえ、全然大丈夫でしたよ! あまり映画とかで私は驚いたりすることはありませんから。一歩引いて観てしまうというか」
「はあ……すごいですね……」
ホラー映画で驚かないなんて一種の特技でしょ……私には考えられない。
しかし……おそらくまだ席を離れる気はないのだろう。とりあえず話を繋げるか。いいだろう、お得意の接待の時間だ……ッ!
「今日は何しに来たんですか?」
「私は、そうですね、気晴らしの散歩ですかね。あなたは?」
「私は最近あの子と遊んでなかったので久々に連れて行ってあげようかなって」
「娘さんですか?」
「いえ、姪ですよ(いつもの嘘)」
「あの子は家族運がいいですね。姪もしっかり見てくれるなんてあなたは素晴らしい人だと思いますよ」
「いやいやとんでもないです、当たり前のことをしているだけです」
本当は家族運がいいとは決して言えないが、いい人だなこの人。
いや単純だな私。褒められると伸びるタイプだな。
「あなたの仕事は何ですか?」
「まあ、営業とかやったりデスクワークっていう……適度にストレス溜まって適度に平凡な仕事してます。収入がしっかりしてるところが救いですね」
「ほう、とても素晴らしい職場環境ではありませんか」
「そのおかげで姪の面倒を見れるってのもありますね」
嘘と真実がごった返してるが、初対面だしいいや。
「いいですねぇ、うちの職場はその点最悪かもしれません。もれなく全員獣になってしまいますから」
「は、はぁ」
「おや、同僚に言うと笑ってくれるんですけどね」
赤黒スーツさんの笑みに少し困惑が混じった気がする。
ちょっと言ってることがわからなかった。
初対面で笑わせるのは至難の技だというのは知っている。私も詩乃と会った時笑わせようとしたんだけどね。あんな有様だった……。
というか話広げるべきなのかな。初対面だからこの辺で止めてもいいけど……色々知ってそうだからちょっと話聞いてみたくもある。
「ちなみにあなたは何されているんですか?」
「詳細を述べると長くなってしまうのですが、私は、"教育"の立場にいる者とだけ言っておきます」
「え! そうなんですか!?」
めっちゃいい人じゃん。正直言うとこんな格好だから変なことしてるのかと思った。
「どの世代を教えてるんですか? 小学生とかですか?」
「そうですねぇ、比率でいえば高校生とかが多いですかねぇ。それこそ詩乃さんのような世代ですね」
「そうでしたか~なんか意外ですね」
「よく言われますよ」
座ってきた時と同じ笑みを返してきた。
高校生って受験とかあって大変そうだよなぁ。私も頑張ってたし、家庭も家庭だったから先生に迷惑かけたしお世話にもなったな。
懐かしいなぁ
――あれ?
今詩乃って……
「あの、すいません。今、あの子のこと名前で呼びましたよね……?」
指摘すると赤黒スーツさんはキョトンとした顔をしていた。
「なんで知ってるんですか?」
油断していた。
いきなり見知らぬ私の隣に座ってくるなんて只者じゃない。
いや、まさか私も知られて?
「いいや? 私はあなたが呼んでるのを聞いただけですよ。今大きな声でおっしゃっていたじゃないですか。それで今日もいることに気づきましたから」
――え?
あ、やばい、恥ずかしいやつだ。
「あ、ハハ、そうですよねぇ。すみません怪しんじゃって!」
呼んだかもしれない……遠くから詩乃呼んでたとしたらたしかに大声だったかも。すごい恥ずかしいな。
「話は戻りますけど」
「あぁどうぞ! 続けてくださいッ!」
恥ずかしさで照り上がった顔を冷ます時間をください……。
「仰る通り高校生は面倒ですよ。自意識の根がかなり伸びていますから、加えて反抗心も強いです。
ですが、彼らは有望なのです。これから"社会の一部"になっていく重要な方々です」
「あ、はい……?」
「なら、私が"教育者"たるにはどうすべきか。到達点は、淘汰されるべき現社会の思想を持ってしまった方々を矯正し、彼ら彼女らが、より平等な"新社会の一部"となってもらうこと。
私の役割は、その一部になるための道を提示することなのです。私は社会にとって最重要な存在なのだと、誇りを持っています」
「…………」
一体何なんだこの人は。
何言ってるかわからない。
考えたら終わる。だから、感じた。
この人は――
「す」
「?」
「素晴らしいじゃないですか!!!!」
「……?」
あれ? またキョトンとしてるぞ? まあいいや。
「教育者たるべき考えをお持ちのようで……すごいです……! 感動しちゃいました!」
「……ほう。面白いことを言いますね、貴女は」
「え!? なんでですか! あんなに夢を熱弁していたのに!?」
「私の話を聞いて心の底から感動する方を初めてお見受けしたので。平常であれば話を最後まで聞けないか、聞いたとしても恐れ慄いてしまいますから」
「そんなクズは放っておきましょうよ! あなたの考えは素敵だと思います!!」
「あぁ、そうですか」
赤黒スーツさんは変わらず笑顔を保っている。
でも耳の下あたりの髪の毛を人差し指でくるくる絡めている仕草が見れた。
これ、困らせてるな。変なこと言ってるつもりはないんだけど。
とにかくしっかりした信念があることは理解した。
私は特に生きる上での信念がなかったから、こんな考えをいつも持ってるとは尊敬に値する。
「そう言ってくださるのなら、私もやりがいがありますね?」
「ぜひ! これからも続けてください!」
動揺してると言いつつ笑みを崩すことはない。
でもこの時だけは目がどこかうつろになっているように感じられた。
なんかごめんなさい。
「じゃあこの辺で失礼しましょうかね」
「いえいえ、こちらもなんかお話聞けてよかったです……!」
「それはよかった。では、ごきげんよう、夏菜おねえさん」
そう言って赤黒いスーツの異様人は椅子から離れてゲーセンの出口へ向かっていった。
私と同じ長イスに座っている間、笑みを崩すことはなかった。心の底からいい人なのだろうな。
「あ、そうでした!『ストレスが溜まる』と仰っていましたね」
少し離れた場所から、何かを思い出したかのように振り向いて話しかけてきた。
「あ、はい! 言いました!」
ゲーセンの音にかき消されないよう、私も声をはっきりと出した。
「私はストレスを気にしない魔法の言葉を知っていますよ。海外での仕事が多いので外国語ですが、これはシンプルなので理解が容易いかと。簡潔ですが、洗練された美しい言葉。それは――」
「それは?」
「――それは、"Everything is OK."〈すべてうまくいく。〉 です」
「おわったよ~たのしかったぁ」
詩乃が上機嫌で戻ってきた。
あの人と5分くらいしか話してなかったのか。部長の薄い話と違ってすごい密な話しちゃったから30分くらいの感覚だった。
「? どうしたの?」
「…いや、なんでもないよ」
「?」
詩乃が無垢な笑顔をこちらに向ける。
「もうしなくていい?」
「うん! まんぞく!」
「じゃ、帰ろっか!」
私たちは家族のように暖かい会話をしながら帰る。
"Everything is OK." 英語に疎い私でも勇気づける言葉というのはすぐに分かった。
いい言葉、と思った。
私にしっくりきた。いつかこの言葉に救われる気がする。
結局赤黒スーツさんはどっちだったんだろう。
私が安心して話せたから、おそらく女なのだろう。
いい人だったな。
名前聞きそびれた。
時刻は17時。次第に日も伸びている。春が近づいていることを実感する。
私は自分の世界がまた一つ広がった開放感とともにルアポートを後にした。
こんな平和が続いていけばいいんだ。
そう思ってたんだけど――。
「夏菜おねえちゃん、いやだ。こないでよ……」
とある日、私の家で詩乃が落胆した顔で私を見ていた。
明らかに嫌悪感を示した顔。
どうしてこうなった。