4. 赤黒い裏
1週間だけだ……まだ……
まだ希望はある。
小暮詩乃を、助けなければ……。
1週間経つと助けようという意志と使命感がひしめき合っていた。
そんな決心をした時には、すでにまたベンチの並ぶ歩道に出ていた。
莉里と別れたあとのように日の当たりが消えた歩道。
時刻は23時。
そこに詩乃はいなかった。
だが今日こそは諦めない。
私はベンチに座り、行方の知らない詩乃を待ち続けることにした。
再びこのベンチに戻ってくれることを信じて。
深夜のこの歩道は異常者らしき人物がよく見られる。彼らは遠くの光に吸い寄せられるように、あの夜街に向けて歩いてるようだった。
大声で叫ぶ酔っ払い男。
鼻歌を歌いスキップして通りすがる黒フードの男。
さらに私の隣のベンチにはホームレスがダンボールを布団代わりにして寝ていた。
こんな奴らが蔓延るこの社会。
到底15歳の女の子が無事に生き残れる状況ではない。
一刻も早く見つけ出さなければ。
焦る気持ちで夜街を駆け巡りたくなる。
だが、会える保証が薄すぎる。
1番会える自信がある行動が、ベンチで待つことだった。
30分、私は諦めない。酔いによる眠気と戦い続ける。ここで寝たらチャンスを逃す。
1時間、来る気配はない。
2時間、なにも変わらず。
3時間、希望は薄くなる。
4時間――
午前3時、小暮詩乃は、やってこなかった。
小暮詩乃は、もうこの世にいないのではないだろうか。
夜の街には異常犯罪者たちがうごめいているはずだ。最近も連続殺人事件で街中は騒いでいたそうだ。だから…。
ここまで会えないと、私にはどうしてもその考えがよぎる。
詩乃は生きていくために必死だったのだろう。親には恵まれない。だから自分で稼ぐしかない。
望まないこともやらなければならない。それがどんなにいやなことでも。
その結果が、死……?
残酷すぎないだろうか。たった15歳で社会に放り出されて生きていく術も知らず、いつのまにか社会の裏に迷い込んでしまった女の子。
「……!!!」
悔しさで唇をかむ。
涙が頬を伝う。罪なき幼い子に襲う不条理。
不条理に対し、何もすることが出来ないという私の非力さ。
怒り、悲しみ、この世の全てを嘆きたかった。
私がなぜこんなに心配してるのか、いまだにわからない。
思い当たるとすれば、それは同情、なのだろうか。
私が15歳だったら、何もできない。
ある意味、尊敬しているのかもしれない。
しかし私にこの現実は残酷すぎた。
必死に生きた末に姿を消してしまう現実。
私が解決するにはあまりに大きすぎる話だった。
感情を存分にさらけ出し、抜け殻同然となった私。
無力を痛感した。
もう、帰ろう……。
その時……
誰かがこっちに向かってくる……
か弱い体のシルエットが私の目に飛び込んだ……
「小暮……詩乃……?」
願いは通じた。
そこに、詩乃は現れた。
見覚えのある姿だった。
初めてすれ違ったときと同じ格好をしてこちらに向かっていた。
こちらも詩乃に向かって歩を進める。
私のことは覚えているだろうか。
覚えていて欲しい。
私は、小暮詩乃を、救いたい。
私と詩乃は三度出会いを果たした。
詩乃も、泣いていた。
私はさっき、共鳴していたのだろうか。彼女の感情に。また、ひどいことをされたのだろうか。
私たちは向き合った。
「ケガは……ない?」
「……」
口を開かない。
1週間、私はアプローチの方法を考えた。
喋ることが苦手とみられる子にどう接するか。
私は、もうチャンスを逃がさない。
言葉が無理なら、行動で示すしかない。
私は、優しさを込めて、右手を差し伸べた。
詩乃が絶対に傷つくことのない、最大限の慈しみを込めた手。
すると、詩乃は呼応した。
彼女は、私の手を握った。
私のことを信頼してくれたのだろうか。
詩乃の手は震えていた。
当たり前だ。冬にこんな露出の多い服を着ていたら寒いに決まっている。
「ごめん……」
服従女だなんて思ってしまって。
私はスーツの上着を詩乃に着せた。
詩乃は離れないようスーツの襟を震えた手で掴む。
「さあ、いこうか」
「……」
言葉はない。だが私と詩乃は通じ合っていた。
私と詩乃なら、どこへでも行けるはずだ――
――いやちょっと待とう。
勝手に盛り上がってしまったが、私飲み会のあとのせいか判断能力が鈍っている気がする。
感情も昂ってるし。
いくってどこにだよ。
いい雰囲気でかっこつけちゃったよ。
……とりあえず……どうしようか。
******************
「デュヒヒ……しのちゃん……! しのちゃん……!!」
下腹部の垂れ下がった男は汚い笑みを浮かべながら独り言を呟いていた。
詩乃との行為を終え、よい気分で光の絶えない夜街を歩いていた。
*
夜の日織区繁華街では、社会的立場の弱そうな女を見つけてモノにする実態がはびこっている。
1ヶ月前、そんな楽園のような噂を聞いた。
最初は疑った。
そんなことができるのだろうか。
男は妄想に耽った。
可愛い女の子が自分のモノになる……?
想像しただけで笑いがこみ上げてしまう。
男は夜の都会へ躍り出た。
可愛い女の子はすぐに見つかった。
貧相な服装、服に傷みが見られた。
無気力で、生命力がない。
社会的立場の弱そうな女の子だった。
「ど、ども! いい仕事あるんだけど! お金あげるお!」
「……」
「お、おい! 無視すんなお!」
「……!」
男は華奢な女の子の腕を掴んだ。
女の子は抵抗を一切しなかった。
(あれ……? したいの?)
抵抗しないのなら信頼してる証拠だ、と男は確信した。
男は女の子を引っ張り、ホテルに連れ込んだ。
「お名前は、なんていうの?」
「……小暮詩乃……です」
「しのちゃん! いい名前だね! よろしくね!」
その女の子はまるで抵抗しなかった。
言われたことを受け入れてする。
この子ならやってもバレない、そう思った。
自分で都合よく支配できそうだった。
完全に自分のモノにすべく、自分好みの露出多めの服を買ってあげた。
連絡方法も作ってあげた。スマホのおかげでガラケーは格安になっていた。
しかもスマホでは、表社会の情報が女の子に知られてしまう。それは少し都合が悪かった。
だから、ガラケーを渡した。
今や、連絡を一本入れれば彼女は自分の望み通りの服装でほぼ時間通りに来てくれる。
完全に男の所有物となったのだ。
そんな所有物を使って欲を満たす。そんな毎日である。
*
しかし今日は詩乃の様子がおかしかった。
途中から泣き出してしまったのだ。
詩乃に何かがあったのだろうか。
それともしている行為がそんなに嬉しいのか。
(僕が気持ちいいんだから、しのちゃんも気持ちいいに決まってる!)
男はそう妄想に耽って楽しい気分になった。
「デュヒヒヒ……」
不敵な笑いを浮かべる。
男は今人生史上最高の満足感を味わっていた。
「デュヒヒヒヒヒ……ヒ?」
愉悦に浸っていたが、目先の異変に気づいた。
人々が男と同じ方向に歩く中、赤黒いスーツを着た人が男の方を向いて仁王立ちしていた。
(僕……じゃないおね……?)
男は唐突に現れた不気味な人に困惑していた。
「僕じゃないお……僕じゃないお……」
男はボソボソ呟きながら赤黒スーツを通り過ぎようとしたが――
「……!!!」
赤黒スーツは、通り過ぎようとしたルートに堂々と立っていた。
「お……!」
(違う……!僕じゃないお!!)
男は困惑していた。
偶然に違いない。
ルートを変えて必死に知らないフリをして通り過ぎようと――
『君ですよ。デュヒデュヒ鳴いてるブタみたいな、君です』
「ヒィィッ!!?」
赤黒スーツは中性的な声とともに蔑みを含んだ笑みを浮かべてブタ男の目前に待ち構えていた。
ブタのような男はたじろいだ。
「ぼ、僕は何もしてないお!! そんな他人に怪しまれることは――オボッ!!」
赤黒スーツはブタ男のだらしない腹に食い込むほど拳を力強くいれた。
男は悶絶しその場に倒れる。
「た、助けてくれお!! 殴られたお!!」
ブタ男の悲痛な叫びは夜の数少ない歩行者には響かない。
あろうことかスマホで無残な男の姿を監視している者もいた。
「僕が何をしたっていうんだおぉ! 僕はなにも――」
「煩わしい口ですね」
「モゴッオゴゴッ!!」
赤黒スーツがブタ男の口を力強く押さえる。
すらっとした体型からは想像のつかない力だった。
「『僕が何をした』? 面白いジョークですね。私のジョークより面白いかもしれません」
「オゴッ!!」
「君は自覚しているはずです。君の所有物は未成年、ですよね」
「ヒッ!」
「君みたいな方が未成年と承諾有りでできるわけないですよね? ということは……あの社会では罪ですね」
赤黒スーツは、息を大きく吸い――
「君を、強制性交の罪で、逮捕しまーす!!!」
腕を大きく広げ、高らかに声を響かせた。
空虚に夜街に広がったブタ男の罪。
終わった。刑務所行きだ。
絶望した男は無様に失禁していた。
赤黒スーツは失禁したブタ男の耳元で囁く。
「――ジョークですよ。面白かったですか?」
「えっ……?」
赤黒スーツはブタ男を慰めるように肩を叩き、笑った。
ブタ男は弄ばれていた。
彼はもはや赤黒スーツが作った混乱の渦の中心にいた。
赤黒スーツに対して、優位に立てない。
ブタ男は抗うことをやめた。
「安心してください、そんな表社会のルール、私は知りません。私はそんな社会の住民ではありませんから」
「!??」
「実はですね、私は君にあるお願いがあって会いにきたのですよ」
「お願い……?」
「そうです。その願いとは……」
赤黒スーツはブタ男の耳元で――
「君の所有物、小暮詩乃を差し出してほしい、のです」
――衝撃の言葉をささやいた。