3. 後悔 顔に現る
営業、嫌い。
営業といいつつほんとに嫌なクズ男野郎の接待と化している。このクズは何かするたび文句をつけてくる。こちらが完璧に仕事をしても必ずだ。
「あれ!? こんなにいらないよ~! 何をやってるんだね君は~!」
「大変申し訳ございません! 確認不足でした……」
(こっちは確認ちゃんとしたよ。テメーが直してねぇだけだろ。玉潰すぞ)
「なんか仕事なってないねぇこれだから最近の若者は~」
「すみません! 若者ですみません!」
(潰すぞ。)
「全く……礼儀もしっかり教育してほしいものだよ君の会社は……」
(潰す)
「もういい……」
(潰す)
(潰す)
「潰す」
「えっ?」
……あっやべ、今日の仕事思い出して声が出ちゃった。隣には敬語でお馴染みの同期水野が飲んでいた。水野は驚いてたのか、やや鋭い目を見開いて、ようやく平均の人の目の大きさにまで広がっていた。
「……聞こえた?」
「はい、『潰す。』って言いましたね」
「聞かなかったことにして」
「はい」
いつまでこいつは敬語なんだろうか……。
「水野さぁ同期で同い年なんだし敬語やめたら? 何年かもう経ってるのにずっと堅苦しいよ?」
「え、いいんですか? それならお言葉に甘えて……」
水野は一呼吸おいて、初めてタメ口で話す。
「よろしく、有森さん」
「結局さん付けかよ……よくわからんわお前」
今は部長の誕生日会で飲み会をしている。こうやって大人たちは難癖つけて何度も飲みたがるのだ。
部長はいい気分になって腹踊りをしている。部下たちはいい気分にさせようと部長を持ち上げている。誰が見たいんだよこんなの。汚ねぇもん見せやがって。
こうしていつものごとく男どもを蔑んでいると、珍しく水野が自分から私に話しかけてきた。
「そういえば、有森さんは誕生日……いつ?」
タメ口に慣れてないせいか少し辿々しい。
「4月2日」
「あれ、たしか下の名前"夏菜"だよね?夏かと思ってた」
「うん、それ今までの人生で何度言われてきたことか」
「なんでなんですかね?」
「うん、また敬語になってるし」
「すいません……あっ」
「まったく……」
水野の敬語癖はかなり染み付いてしまっているらしい。
「……まあ、夏菜って名付けたのは親だからね。親に聞かないとわからないよ。でも父さんはどっかいっちゃったし、母さんは過労で倒れて今も入院してるし、いま聞けるような状況ではないけどね」
「へぇ……割と壮絶……」
「でも、せめてもう少し遅く産んでほしかったなぁ。私の誕生日早すぎて誰にも祝ってもらえないからさ。親も仕事で忙しかったし。さみしくなるから私は春は正直好きじゃないんだよね」
そう、孤独を感じてしまうのはこの早すぎる誕生日のせいだった。みんなは学校の帰りとかにたくさん祝われてて、とても羨ましいなと思った。私の場合、みんなとの関係は薄くて家にまできて祝ってくれるほどの友達なんていなかった。社会人になってからも祝ってくれる人ができたわけでもない。誕生日はいつも自分にご褒美を買って、1人で過ごすのが普通だ。寂しさがより増してしまうのだ。
私が春に心を寄せる日は多分ないと思う。
「じゃあ僕が祝いますよ。寂しいのなら」
「猫の手も借りたいもとい、水野の手も借りたい、てね」
「面白いですね」
「真顔で言うなし」
「ハハッ」
「「おぉい!君たちも来るんだね!一緒に踊ろう!」」
「すいませーん! トイレいってくるんでー!」
「踊らないんですか?」
「踊るわけないだろ……部長のきったねぇもん見たくないし」
「口悪いですよ」
「本当だし……ちょっとトイレいってくる」
部長のきったねぇもんから逃れるためにトイレに駆け込む。
実は部長から逃れるためだけにトイレに向かったわけではない。少し、考え事をしたかった。
私は隠していたが、正直今呑気に喋れる状況ではなかった。
私は今、人生の中で一二を争う後悔に陥っている。
その原因は、小暮詩乃。小暮詩乃と先週の金曜初めて会話して1週間が経った。「後悔先に立たず」とはよくいったものだ。そして後悔というものは時間が経つにつれて増大していくものだ。
あれから1週間、詩乃と会うことはなかった。
詩乃が逃げていってしまったときは、どこか他人事だったが、日に日に彼女が陥っている状況がとんでもないことに気づき、一刻も早く助けなければいけないと思った。土日には詩乃と会話したベンチの周辺の歩道を探していた。かなり離れた場所も探した。この歩道を繁華街の反対を歩くと小さな川がある。日織区との境界線にもなっている。その川沿いの土手も歩き注意深く周辺を探した。しかし見つからなかった。
後悔は、徐々に大きくなっていく。
平日は定時で上がれるよう、いつもより頑張ったのだ。無事、今週は全て定時で上がれた。そして毎日あのベンチに座って1時間以上待った。スーツ姿の私が毎日同じ時間に長時間座っていてさぞかし不思議に思われたのだろうか。
月、火、水、木……私は待ち続けた。
しかし詩乃が私の元へ来ることはなかった。
私は、幼い彼女に謝りたかった。小暮詩乃は従う必要のないものに従っている。私があの時もっと強くその場で引き止めなければならなかった。私はいつもこんな後悔をしている。まるで成長しない。
金曜である今日。ヤケ酒である。無様に酔っ払いたいと願いながら。私はもう諦めかけていた。1週間会えなくて心が折れてしまった。もういい。後悔に苛まれるくらいなら酔わせてくれ。そしてできるだけ覚めないでくれ――――
酔いも中途半端、気持ち悪さも中途半端という一番苦しくなる結果となってしまった。詩乃を逃してしまった罰だろうか。水野の肩を借りて帰るみっともない事実が私をさらに苦しめる。
「大丈夫ですか?」
「うぅ……」
水野が心配そうに声をかけてくる。彼の口調は敬語に戻っていた。
「僕の家泊まります? すぐ寝れますよ」
「うん……」
承諾しかけたとき、私のクズ男メーターが反応した。
「いやいやいや! ダメだ! クズ男野郎には屈しない……!!」
「え、えぇ? ち、ちん……」
「ハッ!?」
勢いで言ってしまった……。引かれてしまう……。
「と、とにかく! 私は泊まらない!」
「はぁ」
水野はあきれた顔でこちらを見ていた。さっきの発言はもう忘れろ! はよ!
「まあ怖いならしょうがないですね」
「こ怖くないわ! 男が嫌いなだけだわ!」
「面白いですね」
いちいち鼻につくやつだ。そういえば酔っているのかもしれないが、水野が意外にもフランクだったことに少し驚いている。
「あ、そういえば最近有森さん何かお悩みでもあったんですか?」
「は?」
「仕事は早く終わってましたけど何かに焦ってるようにみえたので。今日もいつもより元気がないのかなって……気のせいですかね?」
「……」
「とりあえず今日は休んでください。何かお悩みがあるのなら、僕がいつでも聞きますよ。直接でもラインでもなんでも。それでは」
水野はそう言い残すと、私の帰り道と違う方向へ歩いて帰っていった。
悩みがあることが顔に出てしまっていたのか。
でももう終わったことだ。
何も考えずに帰ろう。人間観察もしない。
頭をスッキリにして――
『……小暮詩乃……です』
――いいのか?
このまま見捨てるのか?