1-2
「ふうーー、やっと終わったーー!」
今日の仕事を終えたミユリエは盛大なため息をつきながら、帰り支度を整える。
(お店の電気も消したし、戸締まりもおっけー。忘れ物はないよね。)
確認を済ませ、店を出ようとしてドアノブをまわすと、
「気をつけてね。」
あの声がフラッシュバックしてきた。ミユリエは不吉な予感に頭をぶるりとふると、急いで店を後にした。
外にでると彼の言った通り見事な蒼月が空に浮かんでいた。なんとなく不気味なそれを見ないようにミユリエは顔をふせて家へと向かう。彼女の家は町のはずれに位置しているため、森の中を通る必要があった。彼女はいつもより静かな森に足を踏み入れると、バサバサと勢いよくコウモリが飛び出してきた。思わず身を竦め、空を見上げると、そのコウモリたちが家の方面へと飛んでいくのが見えた。
(やっぱりなにか嫌な予感がする!)
ミユリエはそう思うやいなや一気に家の方へと走り出す。
「母さん、母さん……!!」
彼女は時折草木にぶつかりながらも、懸命に走っていると、漸くして家についた。
「なにこれ……?」
家に着いて彼女が一番最初に目にしたのは先程のコウモリの群れより3倍以上いるであろうそれだった。
家にぶら下がっているもの、家の上をぐるぐると飛んでいるもの。それらは時折赤く目を光らせながら、キイキイと不協和音を奏でていた。
その光景に鳥肌をたてながらも、ミユリエは母の身を案じ、家の中へと入っていった。
「かあさん!!かあさん!!!!」
いつもならすぐ返ってくるはずの返事も今は聞こえてこない。居間の扉を開けると、そこにはボロボロの家具やらが散乱していた。先程とは比べ物にならないほど冷たい汗が頬を伝う。
「どこ?!!!かあさん!!!!」
母の寝室まで階段をかけ上がると、暗くてよくは見えないが、倒れた母親らしき人と、その横で一人の男が佇んでいるのが見えた。
「かあさん!!!!しっかりして!!」
「ミユ……リ…………エ?」
駆け寄って体を抱き締めると、いつにもまして母の体温が低くなっているのがわかった。それもそのはず。彼女の首からは真っ赤な血が溢れだしていた。
(血……血を止めなきゃ!!!)
辺りを見回すと、そこには見覚えのあるパンが転がっていた。
(……まさか!!)
ミユリエがはっと顔を上げると、昼間見た彼がマスクを外して長い牙を唇から覗かせているのがわかった。
「ああ、こんばんは。お仕事お疲れ様。」
「どうして……どうしてこんなひどいことを!!!?」
「ひどくはないさ。そいつは罪人。しかもかなり重い罪を犯したやつだ。死罪の決定が出てる。」
「母さんはそんなことしてない!!」
ありったけの勇気を振り絞ってミユリエが睨み付けると、彼はおどけたように、
「あれれ?君が一番の被害者だと思うけど?人間界になんて連れてこられちゃってさ!」
まるで自分が別世界の住人だと言わんばかりの口振りにミユリエは声を荒げた。
「あなた!おかしいわよ!!!何言ってるの?!」
「何かわからないことがあるんだったら、そこの女に聞きなよ。」
彼は視線だけミユリエの母に投げると、口許を歪めた。
「母さん!どういうこと……? わけがわからないよ!!」
その言葉に母は苦しそうに息を吐きながら困ったように笑った。
「ごめんね、ミユリエ……。」
「母さん、何で謝るの?」
ミユリエは目に涙を溜めながら母親の体を抱き寄せた。それに応えるように母親も少し身を起こすと、
「……こういうことだよ?」
そう言ったとたん、彼女の瞳が赤く染まった。そして、ミユリエは首筋に鋭い痛みを感じて首を下に向けると、母親だったはずの人が自分の首もとにむしゃぶりつき、鋭い歯をたてているのが見えた。
「痛っ!!!母さん、どうして……!?」
その言葉は母には聞こえてこないらしく暫くミユリエの血を吸った後、母の傷が回復するのが見えた。
「やっぱりお前の血はうま」
うまいと言おうとしたのだろうか。その言葉が最後まで紡がれることはなく、彼女の首が遠方まで飛ばされるのが見えた。
「姫君に噛み付くなんてちょっとおイタが過ぎるんじゃない?」
その方へ目を向けながら彼は形のよい唇を歪める。
ミユリエは母の変わり果てた姿に一瞬動きが固まった。
「い、いや!いやぁ!嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
母の変貌、死が一気にミユリエを襲い混乱の渦へと誘った。母の遺体にすがり付きながら泣くミユリエに彼は問う。
「ねえ、君。ヴァンパイアって信じるかい?」
滴る血。真っ赤な口元。そう問うてくる瞳はおぞましくありながら、何よりも美しかった。