take4
野宿をして夜を明かした翌日――
ぼてっ。
鎧を脱いで体が軽くなればこけないと思っていたが、そうはいかなかった。ラクサはこけた。
「負ぶってやろうか?きっとこけないだろうし。」
シンプソンの言葉を無視してラクサは進む。盗賊の一件以降、ラクサもミリカも言葉少なになっていた。
「ほら。もうすぐでニッコウだ。」
森を抜けた途端、二人を圧倒したのはケンザン連峰であった。偉大なる壁のように大地を仕切っていた。
だだっぴろい畑が広がる道を行くと、ときたま農家と顔を合わせた。しかし、彼らは決してシンプソンたちに挨拶をしようとはしなかった。
「随分不愛想だな。」
ラクサが言った。
「まあ、俺が帰ってきたから、だろうな。」
不愛想なお前が言うか、と思いながらシンプソンは言う。何かを察したのかラクサはその後言葉を続けることはなかった。村人が避けるように村を進み、ケンザン連峰の入り口かと思われるような場所までシンプソンは慣れた足取りで向かった。ポツンと一つ一軒家があった場所は村の一部として扱われているのか疑わしいほどに最後の家屋を見てから大分離れていた。
「ラクサ。お前はこれからどうするんだ。」
その返答を聞いて、何かを決めようとしているのをラクサは感じ取った。
「北の連峰がなくなる場所まで歩いて帰るさ。ミカド国にな。私の役割は偵察だけだったからな。」
そうか、と安堵する様子でもなくシンプソンは呟いた。
シンプソンは家の敷地内へと足を延ばす。柵で囲われた場所から少し歩いた所にある玄関の扉まで来ると、少しためらう様子を見せた。息を精一杯飲み込み、玄関に手をかける。そして、思いっきり扉を開く。
「ただいま!」
家中に響く声だった。もともと小さな家で部屋も一室しかない。それゆえであろうか。年頃の娘が着替えていた。
「きゃああああああ。」
ああ、こうなるのか、と思いながらシンプソンは叫ぶ。
「サーシャ。俺だよ。シンプソンだ。」
「あんたなんて知らない。」
近くにあった花瓶を投げられシンプソンは避けようとしたが、
「どうした?」
呑気にも入って来ようとしたラクサにぶつかり、避けられなくなった。結果、顔面に衝突し、辺りが急激に光を失った。
「大丈夫ですか?ご主人様。」
ミリカの声でシンプソンは目を覚ます。どうやら気を失っていたのは数秒らしい。
「なんでこんなところで着替えてるんだよ、サーシャ。」
まだ痛む顔面が話す度痛みを伝える。
「アンタがノックもしないで入ってくるからよ。」
サーシャと呼ばれた少女は台所から包丁を取り出し、一行に向ける。
「そんな物騒なことはよせ。冗談では済まされないぞ。」
「さっきから馴れ馴れしく私の名前を呼んで。一体なんなの?」
サーシャ目は本気であった。シンプソンは自分が全く知らない世界に迷い込んだようで困惑する。
「お前の兄じゃないかよ。そりゃ誰にも言わず出てったのは悪いとは思ってるさ。でも、こんな仕打ちはないだろ。」
「うちには兄なんていないわ。ママと私と、死んだパパだけよ。」
「お前、何言って――」
「これを見なさい。」
サーシャはタンスの上にあった写真立てをシンプソンに向かって投げつける。その写真はシンプソンの持っていたものと同じもののはずであった。死んだ父と若い母、幼いシンプソンとその妹サーシャが映っているはずのそれは、本来シンプソンのいるべき場所が空白となっていた。切り落としたり脱色してしまったりといった形跡は見当たらない。
「どういうことだ。」
目を見開いて、シンプソンは驚愕の表情を見せた。目が泳いで焦点が定まらない。
「あんたら、ひとんちの前でなにやってるの。」
外から聞こえたのは紛れもなく母親の声だった。
「母さん!」
シンプソンは母親に顔が見えるように姿を現す。
「母さん?」
その訝しげな表情でシンプソンは悟った。
「うわあああああ。」
何が何やら訳が分からなくなり、シンプソンは写真立てを放り投げて走って行く。行き先などどこにもない。
「おい、下衆。」
「御主人さま?」
ラクサとミリカはシンプソンを追いかけた。
家が見えなくなったところでシンプソンは三角座りをして、遠い空を見上げていた。
「逃げ足だけは早いとはこういうことだな。」
追いついたラクサは言った。
「ご主人様――」
「ごめん。一人にしてくれないか。」
「みんな。探したよ。」
一体誰だと一同が声のする方を向くと、そこにはカプサルがいた。
「とても大変なことが起こったんだ。」
だが、一同の表情は暗いままだった。
「パルムが化け物に襲われてる。今こそ救世主の力が必要だって。」
「何故私が行かなければならない。」
「なんだって?」
「何故私が生まれ故郷でもなんでもない町を守らなければならないんだ。」
「多くの人の命が奪われるんだ。」
「化け物がだろう?でもな、化け物がやらなくてもいずれ人がやる。人は化け物なんかより数倍質が悪いんだよ。」
「そんな・・・だって・・・」
ラクサは去っていった。
「アーニーさんは――」
「悪い。今は一人にしてくれ。」
「何を言ってるんだ。今、多くの人の命が――」
「なにが起こってるのか分からないんだよ!」
シンプソンは頭を悩ませながら怒鳴った。
「俺は俺のことで精一杯なんだ。他人がどうこうなんて、そんなことを考えられる余裕はないんだ。」
ミリカはカプサルにそっとしておいてあげよう、というジェスチャーをする。カプサルは渋々その場を後にした。去っていく中、カプサルに芽生えていたのは二人に対する憤りではなく、自分自身に対する迷いであった。カプサルにはシンプソンたちが自己中心的であるというより、自分自身のことについてよく考えている、と感じたのであった。それはカプサル自体が、今回の状況に自分の頭で何かを考えることなく巻き込まれてしまっているからであり、それを彼自身が望んだからでもある。
「おーちゃん。ニンニクさんに皆さんをお呼びするようお願いできましたかー?」
「ハイ。身体ニトクト教エコンデヤリマシタ。」
「流石おーちゃんですー。我が一族の秘伝をもう体得してしまうなんてー。」
第二の城壁の中でパニエとおーちゃんは話していた。そのそばには多くの兵士がいた。
「しかしー、商業都市の分際でー、これほどの兵力を有してるとはー。かと言ってー、興味もないんですけどー。」
城壁に集まっている兵士はパルムの兵士であった。しかしその実、兵士たちは富民街の出身であり、大した訓練もしていないのを誰もが知っていた。職のないものに職を与える、ポンコツ王にしてはよい政策であったのだが、実用性は皆無である。その証拠に、兵士たちは緊張感無く、大声で話しあったり、酒を飲んだりしている。
「初めから富民街の城壁を守ることだけを考えているなんてー。あのポンコツ王がー、考えそうなことですー。ねえ、コングロマリットさん。」
「君はいつになったら僕の名前を覚えてくれるんだ。」
縄で体を縛られたジャンが言った。
「というか、僕は戦いたくないからな。」
「ではー、その縄を解いてしまいますよー。」
ジャンは亀甲縛りにされていた。
「僕にどんな趣味があると思っているんだ。」
ジャンは紛糾したが、誰も聞く耳は持たない。すると、パニエはあっさりと縄をほどく。
「別にー、逃げようと構いませんよー。私だってー、この町に、いいえ、家に愛着はありませんからー。」
じゃあ、なんで戦おうとしているんだよ、とジャンは問いたくなって止める。深入りはしたくない。
「まあ、お前たちが懸念するほど大した化け物じゃないだろ?まあ、悠長に構えてやるさ。」
ジャンはそう言って町の中へ引き返していった。
「お嬢様。」
老執事がパニエのもとに訪れる。
「セバスチャン。準備は整いましたか?」
普段のパニエとは違い、きりっとした声である。
「はい。」
「油断してはいけませんよー。あの方、とってもお強いですからー。」
パニエはキャラを思い出し、口調をもとのものに変える。
「お嬢様。私は第一城壁で敵を叩き潰すのが最善であると考えます。」
執事はへりくだりながらも自分の意見をしっかり言った。
「ええー。その通りですー。私たちが生き残るという意味でもそうですねー。」
傍にいる富民の兵士には分からないだろうが、パニエと執事、おーちゃんにはこの戦いの行く末さえ分かっていた。
「私はー、スラムを戦場にしたくないんですー。あそこには富民街よりも多くの人が住んでますー。富民街はそのうち立て直されー、亡くなった方の魂も丁重に葬られますー。でもー、スラムの方はそうはいきませんからー。」
おーちゃんは未だにパニエの底力を測れずにいた。彼にとっては例の男と同じく化け物としか考えられなかった。それほどに彼は自分の能力を過信していた。
「さあ、そろそろですねー。」
パニエの言葉とともに、北門に配置されていた兵士の目にも目標が確認された。さすらう旅人のように男は北門の綺麗に整備された道を歩いていく。
「まだだぞ。」
隊長は言った。弓の射程距離のことを言ったのである。兵団の中で唯一弓の射程距離を測れる人物であった。
彼にだけ見えている射程距離の線を男が足を踏み入れた時だった。
「撃て。」
無数の矢が城壁から男に向かって雨のように放たれた。
「ご主人様。」
ずっとうずくまっていたシンプソンにミリカは言った。少しシンプソンから離れた位置に座った。シンプソンは何も言わない。
「ご主人様。私はご主人様に会えて本当に幸せでした。」
それはミリカの心からの言葉のように感じた。
「私はこう見えてもとっても心配性なんです。記憶がなくって、どこだか分からないところに飛ばされてしまって、頭がおかしくなっちゃいそうでした。でも、ご主人様がいたから、なんとかなったんです。」
俺はなにもしていない。
「最初はご主人様だって驚いたと思います。でも、すぐに仲良くしてくれた。私を特別扱いする訳でもなく、ひどく扱うのでもなく。まあ、少しは特別扱いしてくれてもいいんですよ?」
ミリカはとても楽しそうに言っていた。
「でも、私だけがこんなに幸福でいいのかなって、悪いことが起こるんじゃないかなって、とっても怯えてたんです。それが、現実になってしまったんですね。」
「お母様やサーシャちゃんが記憶を無くしたのは私のせいですよね。」
「私が召喚されてしまったから。私を呼ぶためにガチャに写真を捧げたから。」
「きっと写真だけじゃなくて、家族との絆まで代償にしてしまったんです。だから――」
ミリカは胸が苦しくなった。罪悪感で何もかもを失ってしまいそうになっていた。
「すまない。」
シンプソンはやっと言葉を発した。
「俺は家族との絆を失ってしまった。立ち直れなかった。」
こんな暗い気分でも空は青いんだな、とシンプソンは思った。誰かがずっと守っているみたいに美しい青。
「でも、そのお蔭で新しい絆に、仲間に出会えたんだ。そんなことを、そんな大切なことを忘れてしまっていた。大切な仲間を泣かせちまった。」
シンプソンはミリカに近づき、今まで見たこともなかった桃色の髪を乱暴に撫でる。
「もう、くよくよするのにも飽きちまった。」
逃げたり諦めることは誰も一瞬あればできるから探し続けよう。
「ご主人様!」
ミリカの涙に濡れた雨模様は誰かに守られている青空のように晴れ渡った。もしかしたらこいつが青空の守護者なのかもしれない、などとシンプソンは思っていた。
君にしかできないことがある。青い星に光がなくせぬように。
「ところで、お前、なんで写真のこと知ってるんだ?」
引っかかったことをシンプソンは聞いた。
「塩の湖の時、実は私とハナコちゃんでお二人をこっそり見てたんです。ハナコちゃんがご主人様がカプサルさんを襲うんじゃないかって言うもんですから。」
「は?」
「いやあ、私はカプサルさんが襲うんじゃないかって思ってそう主張したんです。そしたらハナコさん、そっちもありじゃなって。」
「あいつ、どんな頭してるんだ。お前もだけど。」
シンプソンはもう一度嬉しそうにミリカの頭を撫でた。
男に向かって放たれた矢は全て外れた。正確には外れたというより、どれ一つとして傷を負わせることさえできずに終わった。
「そんな・・・化け物だなんて・・・」
隊長はその場に腰を下ろしてしまった。腰が抜けただけだが。
「まあ、予想通りですねー。」
矢が地面に無数に刺さっている光景を楽しみながらパニエは言った。
「さあ、私達の出番ですよ、おーちゃん。セバスチャン、メイド隊の皆さんを頼みましたよー。」
おーちゃんはパニエをお姫様抱っこし、城壁の上から落ちる。高さ十メートルの場所から降りたので、地面には大きな穴が空いたが、おーちゃんは無傷であり、パニエもまた、平然としている。パニエはおーちゃんの腕の中から降りた。
「君が相手かい?合成人間。」
男の言葉におーちゃんは動揺し、パニエをそっと覗く。パニエは耳に入っていないかのようにじっと男を見ていた。
「おーちゃん。全力でいきなさい。」
普段の声とは違い芯の通った声でパニエは言う。やはりあらかた正体はばれていたことをおーちゃんは悟った。
「ふぅ。しゃあねえ。お嬢。ちーっと、退いてな。」
「いいえ。あなただけでは彼は倒せません。」
二人がかりでも倒せないのは分かってるだろうに、とおーちゃんは溜息を吐く。
と、パニエ髪が大きくたなびく。風は吹いていなかったはずである。
「ショックウェーブねえ。音速での攻撃。でも、僕には効かない。そして、僕に触れたら死ぬ。体のバランスとさっきの攻撃の威力から見て、君は近接戦闘向きだろ?」
「ああ、そうだ。だから、試作機止まりだったんだよ。」
「まあ、僕も弱い者いじめって好きじゃないんだ。だから、ハンデをあげるよ。」
男はガチャ玉を取り出す。そこから出てきたのは百本の槍の入ったバッグであった。
「百槍、展開。」
百本の槍が太陽めがけて宙を舞う。そして、矢の如く地上に降り注ぐ。おーちゃんとパニエは見事に躱す。
「さあ、ゲームを始めよう。」
男は一本の槍を持った。
「なるほどー。いい槍ですね。」
パニエは槍を一本手に取って言った。
「お嬢、それ触っても大丈夫か?」
「ええ、むしろ、これがゲーム攻略の鍵ですー。」
男はおーちゃんに向かって突進してきていた。槍が機械の体を貫かんとする。それを防いだのはパニエの槍であった。
「うそっ。お嬢そんなに俊敏だったのか。」
「軽口叩いてないで、槍を使ってください。」
パニエは男の槍を弾いて言った。
「ふうん?」
少し男の顔が曇る。
「弐式。」
男は弐本の槍でパニエを狙う。
「双槍。」
男の頬を下方からの槍がかすめる。男が下方の槍に気を取られていると、体を別の弐本の槍が貫く。
「まさか、百槍の技能を越えるとは。君、一体何者だい?」
男の体に刺さった槍は男の体の反対側から飛び出すことはなかった。衣擦れのような音を立てて、男の体が槍を飲み込んでいく。天から弐本の槍が落ちて来て、地面に刺さる。
「あらー。しがない没落貴族の娘ですー。」
その笑顔が只者でないということを示していた。パニエは俊敏に男の前から去る。パニエの影からおーちゃんが飛び出す。男は近くの槍で防ぐが、男の槍はおーちゃんの槍に軽く触れるだけで天を舞うように弾かれた。そして、槍は男の体を再び突く。
「槍を振動させたわけか。さぞかし切れ味は抜群だろう。」
「飛連無限式。」
おーちゃんが男から退いた瞬間、その影から無数の槍が男に刺さる。パニエが槍を投げ続けている。その正確性も驚くべきところであるが、ずっと投げ続けられる体力は常人の域を超えている。おーちゃんは遠くの槍を拾い、パニエに渡し続ける。そして、全ての槍が、百本の槍が男に刺さる。その姿はハリネズミを想像させた。
「僕としたことが、思わず本気になってしまいそうだ。」
百本の槍が男に吸収される。天から百の槍が降り注ぐ。
「百槍零式。」
男は何も持っていないにも関わらず、槍を構える姿勢をとった。
「なんだ、あれは。」
男の周りに陽炎のようなものが漂っているのを見ておーちゃんは言った。それはだんだん男の手元に集まり、槍のようなものを形成していく。
「魔力をもたない君たちには使いこなせない技能さ。数多ある魔槍のなかで多く共通しているのは、必殺であるということ。その必殺の魔槍がこれさ。」
二人が逃げ出そうとした時にはもう遅かった。必殺の魔槍は男の手から離れ、閃光のように二人の元へ向かっていく。槍が体を貫くまで男がどちらを狙ったのか分からない。そして、それは最後まで分からなかった。
「君が聖剣使いか。」
槍を切り裂いたのは聖剣バターナイフであった。
隊長は城壁の外での闘いを見て、正常な判断ができなくなっていた。敵の異常性もさることながら、都市を守ろうとする者も常人ではなかった。
「隊長。一体どうすれば――」
「大砲だ。」
大量に購入した者の、誰もしっかりとした使い方が分からず武器庫の邪魔になっていた代物を隊長は咄嗟に思い出していた。
「しかし、火薬の分量など、誰も知りません。」
「そんなもの、適当でいい。」
隊長の目は色が変わってしまっているようだった。
「あの化け物どもを粉々にさえできれば。」
かくして兵士たちは武器庫から大砲を取り出し始めた。
「さて。あとどのくらいで全市民を避難させられるかな。」
男はふと城壁を見て言った。
「一時間やそこらじゃあ、どうしようもないだろう?」
「何もかもお見通しのようですね。」
パニエは言った。
「でも、他人を助けて何になるんだい?」
「あなたが作るオブジェがこの上なく嫌いなだけです。」
「ふーん、正義感という感情はどうも理解しがたい。よく分からないよ。」
男はラクサの方を見る。
「君はどうしてここに来たんだい?」
「そこの女とは違い、この都市の住民は多くは我らと同じ人種。見過ごすわけにはいかない。」
「どいつもこいつも素直じゃないね。合成人間。君は?」
「もう俺は死んだも同然だからな。お嬢についていくぜ。」
「所詮は合成人間か。つまらない回答だ。」
男は再びラクサに目を向ける。
「聖剣使い。恐らく君が唯一僕を倒せるはずだった。でも、やはりその聖剣を使いこなせていないようだ。あらゆるものを斬る、終の聖剣。」
ラクサは数メートル離れているところから男に向かって一閃する。男にその閃撃は到達するが、男は無傷であった。
「さあ、もっと楽しもうじゃないか。」
男が三人の元へ近づこうとした時だった。爆発音とともに男のいた地面が炸裂する。
「なんだ?きゃっ。」
ラクサは強い力で引っ張られた。ラクサを引っ張ったのはおーちゃんだった。
「くそっ。あいつら、俺たちも巻き沿いにしようってのか。」
城壁の上に現れたのは移動式の大砲であった。ネズミを逃がさないようにと何台も横一列に並べられている。
「撃て、撃て、撃てっ!」
隊長の目は血走っていた。もう現実が見えていない。
「もう、ゲームオーバーだ。」
砲弾の降り注ぐ中、一瞬だけ人の影が見えた。それはすぐに消えた後、城壁の上に姿を現す。
「撃てっ。」
兵士たちでも至近距離で砲弾を撃てばどうなるか見当はついた。それ故、誰一人として指示に従うことができなかった。隊長は無理矢理兵士から松明を奪うと、大砲に火をつける。
砲弾は男に当たることはなかった。大砲が暴発したのだ。理由は火薬の入れ過ぎ。隊長の体は跡形もなく消え去った。その爆発によって周りの大砲にも引火する。誘爆を起こした。兵士たちは全員死亡した。爆発により、近くの建物は倒壊し、人々はパニックに陥った。
「愚かな。」
転んだ人を踏みながら逃げていく市民を見て、悲しそうな目をして男は言う。
「北門の方だ。」
耳をつんざく爆音に、ジャンは町に起きている異変に気が付く。酒場を出たジャンは雪崩れ込んでくる人並みに命を奪われそうになった。
「こらっ、踏むな。痛い。これは高級品のジャケットなんだぞ。」
なんとか逃げ延びて、火の手が上がっている方角を見る。
「ふふん。ヒーローは遅れてやってくるってな。」
火の上がっている方角に進んでいこうとした時、ジャンは何者かに突き飛ばされる。
「なんだよ。」
ジャンを突き飛ばしたのはメイド服姿の女性たちであった。普通のメイドと違うのは手に何らかの武器を有している点であった。
「武装メイド隊。早く誘導を完了しろ。パニエ様を助けに行かねば。」
武装した老紳士が叫んでいた。
「こんなパニックの中、平然と歩いている。つまり、お前が怪物だな。」
平然と歩いてくる男を見た時、ジャンは本当に怪物なのかと疑った。それほどに特徴のない男であったからだ。
「お前、人をぐちゃぐちゃにできるんだってな。」
そんなはずはないと高をくくりながらジャンは言った。
「ああ、そうだ。君は一体何?」
「僕か?僕はジャン・エンチャンター。救世主様だ。」
胸を反らしてジャンは言った。
「なるほど。君が老龍使いか。僕の邪魔をするの?」
「ああ。君には僕の踏み台になってもらう。」
ハイイロドラゴン、というジャンの掛け声でガチャ玉からハイイロドラゴンが姿を現す。
「コイツを黒焦げにしろ。」
ハイイロドラゴンは口から火を吐き、男を包む。
「なんだと?」
灼熱の炎から黒い陽炎となって歩いてくる男を見た瞬間、これは悪夢であろうとジャンは現実逃避した。
「あまり彼に炎を吐かせてはいけないよ。この龍はもうすぐ命を終えようとしている灰色の龍なんだ。どれだけ頑張ったって、一か月の命さ。」
「なんだって?」
悪魔の声を聞くまいと耳を防いでいたのに、どうしてもその言葉だけはジャンは許せなかった。自分の命が危機にさらされているというのに、自分の所有物をバカにされただけで腹が立つとは自分も幼稚だと内心自分自身を嘲りながら――
「僕の下僕になんて言葉を吐いてやがる。」
そのジャンの怒気に呼応するかのようにハイイロドラゴンは尻尾で男を吹き飛ばそうとする。
「おい、待て。考えもなしに――。」
結果的にジャンの言葉は届くのが遅かった。その言葉を発した時にはハイイロドラゴンの尾はちぎれ、ちぎれた尾は男の体の中に沈むように消えていったからである。それでも龍は主を助けんと男に突っ込む。
「止めろ、ハイイロドラゴン!ガチャ玉に戻れ!僕の言うことが聞けないのか!」
ハイイロドラゴンは最後にジャンの顔を見た。人の瞳のように小さくはないが慈愛にあふれる瞳は、あなたの言うことだから聞くことはできない、と別れの挨拶をしていた。
「やめろおおおおおおお。」
ジャンはハイイロドラゴンより早く男の元へ向かおうとした。自分が倒せばハイイロドラゴンは死なずに済む。ジャンはこのときはじめて誰かに死んでほしくないと感じていた。
ジャンは両親と食事を共にしたことがない。あるとしても何らかのパーティーの時ぐらいで、その時でさえ両親は有力者やら金持ちやらと親睦を深めていた。いつも温かい食事を一人で食べていた。執事やメイドなどの奉公人は主と共に食事することを許されない。いつの日にかジャンは食事を温かいとも美味しいとも思わなくなっていた。
友達はいないこともなかった。ジャンは彼らを友達と言えるのか常に疑問に思っていた。その友といえる存在の見せる顔はジャンの両親がパーティーで見せる、決してうれしくともなんともない、警戒させないだけのお面に見えたのだ。君は友達だ、と惜しげもなく誰にでも言える自分自身に時折吐き気を催すこともあった。
ハイイロドラゴンと出会ってまだ数日である。ハイイロドラゴンはよく働いてくれる下僕であった。ただ、時々、妙な目でジャンを見つめることがあった。そんな哀れみの目をジャンは向けられたことがなかったので、ムシャクシャしたし、同時に妙な気分にもなった。それが心配されているなどと毛にも思わなかったのだ。自分が誰かに機嫌以外で気にかけてもらえるなど少しも思い至らなかった。
「僕の友達に手を出すなあああああ!」
無情にも男の背後から爆発が起こる。炎に何かが引火したのだろう。その風圧によってジャンは後方に吹き飛ばされる。壁にぶつかると同時に上からがれきが落ちてきて、ジャンは生き埋めにされた。そのままジャンは気を失う。
「安心してよ。君の龍は死んだわけじゃない。混沌の渦に飲み込まれたんだ。まあ、そこでは実体はなくなっているだろうけど。今はまだ概念として生き残ってるさ。でも、すぐに他の概念と融合して反発し合って、何者でもなくなってしまう。僕のように、ね。」
ジャンの眠る場所で立ち止まり男はそう言った。
ジャンが気が付いたとき、自分が身動きが取れない状況と理解できないでいた。夢から覚めるように全てを思い出した時、ジャンは恐怖に駆られた。煙の臭いが辺りに充満していた。状況を確認しようにも、顔にがれきが覆われていて、確認しようがない。出血や打撲でさえどうなっているのか確認できない。自分はこのまま死ぬのか、とあきらめかけていたときである。急に塞がれていた視界が明るくなる。
「おーい。ここにケガ人がいるぞ!」
汚い服装の若者が立っているのが見えた。
「待ってろ。今行く。」
数人の屈強な男たちがみるみるうちにジャンの上にのしかかっているがれきを取り除いていく。
「お前たちは貧民街のやつらだな。どうしてこんなところにいる。」
「お前は助けてほしくなかったのかよ。」
貧民にそう言われてジャンは黙ってしまった。本当はそのような言葉を言いたかったわけではない。
「おい。変な、というか、全く変でもない男はどこに行った?」
若者がジャンに聞いた。
「あっちだ。」
ジャンは左足を引きずりながら言った。かすかに痛みがあった。
「おい、大丈夫か。捕まれ。」
若者に肩を貸されてジャンは仕方なく体重を預ける。若者の体中から発せられる臭いが想像を絶するほど臭かった。何度もせき込みながらジャンはどこかへ連れて行かれる。
「どこに行くんだ?」
「療養所に決まってるだろうが。」
療養所にはよく知った顔がいた。
「聖剣使いにラットス嬢。どうしてこんなところに?」
「呆けているのか、お前は?」
聖剣使いが憎まれ口を叩く。その聖剣使いも右肩に負傷を負っているようだった。これでは刀を扱うこともできまい。
「あらー、ぽぽんさんも負けちゃいましたかー。」
パニエがにこやかな笑顔で言う。
「だから、いつになったら僕の名前を覚える。君は昔からそうじゃないか。」
「へえ、ジャンさんとラットス様は昔からお知り合いだったんですか。」
水の入った盥を持ってカプサルが出てきた。
「お前まで。あの貧民はどうした?」
「シンプソンは、結局――」
「ふん。敵前逃亡か。最も情けないな。」
ジャンはついさきほどまで傍にいて戦っていた龍のことを思い出した。ガチャ玉を取り出す。色を失ったガチャ玉はジャンの手の中で泥団子のように崩れ、地面に落ちるまでに砂粒になっていた。
その砂の上にだけ雨が降った。
「まさか、ドラゴンは――」
「ああ。僕の言うことも聞かず、突っ込んでいった結果がこうさ。本当にバカだ。本当に――」
こらえきれなくなったジャンは嗚咽を漏らして泣いてしまった。
「その男の人がこのヒャクソウを持ってたんだね。」
カプサルはガチャ玉を見せる。それは男が落としていった百槍のガチャ玉であった。
「やっぱこの騒ぎを起こしてるのはヤツなのか。」
ジャンを運んできた若者が言った。
「お前、あの男のことを知っているのか。」
ラクサが言った。
「アイツは一日だけだけど、俺の同居人だった。」
「なんだと?あの化け物と一夜を共にしたと?」
「ああ。」
若者は目を伏せた。
「僕の友達もアイツに殺された。」
カプサルはガチャ玉見つめて言った。
「アイツに勝てるわけがない。」
おーちゃんが誰とも目を合わせずに言う。
「逃げるが勝ちだ。幸いヤツは俺たちに何の興味も無いらしい。」
「けが人を置いてか。」
多くのけが人は爆発で負傷した兵士であった。
誰も療養所から動けないでいた。
診療所の様子をそっとうかがっている者がいた。
「みなさんに何も言わなくていいんですか?」
ミリカはシンプソンにそう言った。
「お前は残ってていいんだぞ。」
「ご主人様。いい加減怒りますよ。」
「分かってる。だが――」
「私がそうしたいんです。私の最初で最後のわがままですよ。」
「ミリカはいつもわがままだからなあ。」
シンプソンとミリカは王宮を目指した。
「国王。早く避難しないと。」
「今さらどこに逃げると?」
参謀の意見を頑なに拒否した。
「そりゃ、わしは親から国を引き受けた。別にわしの意思じゃないし、親なんてどうだっていい。でも、まだここに残っているものがいる以上、わしは逃げちゃいけないと思うんだ。」
「まあ、齢四十過ぎにて初めて国王らしいお言葉をおっしゃって。」
「ずっと思ってたけど、お前結構失礼だよね。」
兵士の半分は敵前逃亡した。王宮の守りは万一のことを考えて警護のプロ、傭兵に頼んでいたが、その傭兵が一目散に逃げてしまったのだ。
「わしは間違えていたのかな。」
「いいえ。そんなことはありません。」
ガチャのある王の間には王と参謀しか残っていなかった。残った兵士たちは王宮まで迫った怪物相手に必死に戦っている。
「王は例え自分の政策が間違っていたと考えていても、決して間違えっていないと言い張らなければ民が可哀想です。」
「その政策を考えてたのが参謀だろうけどな。」
王宮が大きく揺れる。もうこの場所も長くはないのだな、と二人はぼんやりと考えていた。
怪物はただ歩いているだけだった。時たま何者かが彼に攻撃を加えようとするが、それらは意味もなくこの世界から消え去る。正確には全く新しいものに変わっているのだが、本質として消失と変わりはない。
怪物はただ怒りの感情で前に進んでいた。彼は神に対し怒っていた。
今、兵士の一人が果敢にも体で怪物を倒してしまおうとする。その体は怪物の中を沈み込むようにして吸い込まれる。そして、兵士は帰ってくることはなかった。
「王宮というのは案外広いものだな。」
そして、入り組んでいる。きっと侵入者対策で迷路のように入り組んだ作りになっているのだろう。時間がかかることは怪物にとって問題ないことだった。
「僕は神に復讐する。」
狭いらせん階段を上りながら怪物は呟いた。上からも下からも兵士が迫る。それを気にすることなく上へと上っていく。逃げそびれた兵士がこの世の終わりだという形相で階段で動けなくなっていた。急いで逃げていった兵士に蹴飛ばされたようだった。
「僕はね、僕みたいな怪物を生み出した神を恨んでいるんだ。」
怪物は兵士を踏み潰す。兵士は歪み、オブジェと化す。怪物は平気な顔をして階段を上っていった。
「へえ。まだ残ってる人がいるなんて。」
怪物の言葉に国王と参謀は震え上がる。怪物は笑顔を見せて言っているが、それが一層恐怖を引き立てる。
「ガチャはどこ?」
「お前は一体何を望む。この国を亡ぼすのが目的ではないのだろう?」
「僕が質問してるんだけど。」
人に反感を覚えさせないような柔和な話し方がより不気味さを引き立てる。大人しく、話で解決しようとしている様がより奇妙に二人には映った。とはいえ、決して油断するつもりはない。
「まあ、教えてあげるよ。君らが偶然発見したとでも思っているガチャ。そいつは世界を歪ませるんだ。だから、僕は壊す。別に自分自身を消そうとは思ってない。実のところは僕の存在がどうなろうとあまりそんなことは気にしてないんだ。僕はただ、憎き神々の邪魔をしてやりたいんだ。彼らに、自分のしたことの反省をしてもらいだけなんだ。あいつらの気まぐれにはもううんざりしてしまっていてね。」
「ガチャがお前を唯一倒せるものだから、壊そうとしているのではないのか!」
参謀が勇気を振り絞って言った。すると、怪物は一瞬驚いた顔をし、今度は笑い始めた。
「そうかもしれない。」
笑ったかと思うと急に真顔に戻って怪物は言った。
「生物は無意識に敵を攻撃しようとする節がある。僕に生物的な何かがあるのなら、それは十分に考えられることだ。まさか、人間如きに教えられるなんて。」
「お前は人間ではないのか。」
少し落ち着きを払って参謀は言った。
「うん。違うに決まってるじゃないか。君たちは一体どんな報告を受けてたんだい?」
「では、お前は一体なんだと言うんだ。」
「そうだね。あまり深くは考えたことなかったけど、もしかして、いや、もしかせずとも世界の補正とかいうものなのかもね。」
国王と参謀は怪物の言っていることを理解できていなかった。目の前のどこにでもいそうなことくらいが特徴な外見の男は自分で勝手に疑問点を見つけて、勝手に答えを見つけている。
「つまり、体の中にウイルスとか入ると自動的に攻撃を開始する抗体。僕はそんなものなんだろうね。」
怪物は満足したように二人を見る。
「君たちこそ、どうしてガチャを守るんだい?世界の危機とかって、君たちには関係ないよね。」
そうだよな、と怪物は呟く。
「救世主たちだって、兵士だって逃げればいいものを、どうして僕に挑んできたんだろうね。これが人間の意地って奴かな。まさか、本気で世界の危機を救おうなんて考えてはないだろう。王様たちも早く逃げた方がいいよ。邪魔するなら、殺すよ。」
「嫌じゃな。」
王が口を開いた。
「今の言葉で分かった。絶対にお前には、負けてはならぬ。人の心が分からぬものに、戦ったものが守りたかったものの象徴であるガチャを壊させるわけにはいかん!」
参謀は王の脚がひどく震えているのを知っていた。それでも王は立ち向かった。参謀が木偶の棒だと思っていた王が初めて国王らしく見えた瞬間だった。
「流石大人って感じだな。」
別の人間の声がしたので二人はその声のありかを探す。怪物が上ってきた階段から一人の男が出てきた。
「やあ、やっと来たんだね。」
怪物はゆっくりと振り向きながら男を見る。
「シンプソン。」
「お前こそ元気そうじゃねえか。」
男の後ろから桃色の髪の乙女が顔を出す。
「ケイオス。」
シンプソンは意地の悪い笑顔を浮かべる。
「シンプソン。君も僕の邪魔をするのかい。」
ケイオスは一瞬顔をしかめる。だが、すぐに何でもないような普段の顔に戻る。
「そうだな。邪魔させてもらう。」
「君では僕には勝てない。」
「そのくらい、分かってらあ。」
シンプソン剣を抜く。
「死ぬのが怖くないの?どうして人間はこうも愚かなんだ。」
「俺にはお前を倒す理由なんてないんだ。こんな町どうなってもいいし、母親だって俺のことを覚えていない。俺は家族を失ったも同然。村がどうなろうと関係ない。」
「じゃあ、どうして。」
「お前を止めるためだ。」
ケイオスは訳が分からないという顔をする。
「友達にこれ以上罪を負わせるわけにはいかない。」
「友達!」
ケイオスはこの時、底知れぬ怒りに近い感情を抱いていた。虫唾が湧く。それは彼が神に抱いている感情と同程度の不快感であった。
「なんだかよく分からないけど、不快だ。」
シンプソンは声を上げながらケイオスに斬りかかる。近づいてきたシンプソンをケイオスは仕留めようと頭を狙い腕を振るうが、シンプソンは躱し剣をケイオスの体に突き付ける。剣は簡単に吸い込まれてしまう。振り下ろされるケイオスの拳を躱そうとシンプソンは地面を転がり避ける。シンプソンがいた場所にケイオスの拳が空振りする。
「お前の身体、どうなってるんだ?」
荒く息を吐きながらシンプソンは立ち上がる。
「身体なんてものが存在するのか僕にも不明だけどね。」
ケイオスの目が怪しく光る。
「ご主人様!逃げて!」
ミリカの言葉にシンプソンは体を後ろにそらす。ケイオスから数メートルは離れており、攻撃は届かないと思っていたが、咄嗟に避ける動作をとる。その瞬間、ケイオスの目から光の槍が放たれる。それはシンプソンのすぐそばを通り、ケイオスが天井を向くと光線も同じく天井に向かっていく。
「目からビームなんて最後に見たのプリキュアだぜっ!」
天井が崩壊する。細かいがれきが頭に落ちてきた瞬間、シンプソンは天井が崩壊することに気が付く。必死に逃げようとしたが、時はすでに遅く、多くのがれきがシンプソンの動きを封じた。がれきがシンプソンの体に振ってくる瞬間、王と参謀がいた場所が光線によって抉られていることをシンプソンは確認した。
「ぜえ、ぜえ。これで、全てが終わる。」
ケイオスの要望は変貌していた。目は赤く獣のような光を宿し、体は強張っているように一回り大きくなったようだった。より怪物に近づいた風貌。
ケイオスは前へ進む。もうシンプソンなどもとからいなかったように無視をする。
「ご主人様!」
まだ細かいがれきが落ちてきて、いつさらに崩れてもおかしくない場所をミリカは走って行く。シンプソンがいるであろう場所を必死に探す。
「ミリ・・・カ・・・」
シンプソンの声を聞き、声のした場所を必死にかき分ける。探し出したシンプソンの顔は流れた自身の血で半分が汚れていた。
「大丈夫ですか!早くシスターのガチャ玉を出して下さい。早く治療しないと。」
ガチャ玉はしばらくすると普段の色を取り戻していた。それは再び能力を使用できることを表していた。
「まあ、やっぱり無傷だろうね。」
ケイオスはガチャの前にたどり着いていた。ガチャだけが元の姿を保っていた。
「これで終わりだ。」
ケイオスはガチャに触れる。ガチャの周りには結界のようなものが展開され、ケイオスを受け入れまいと防いでいた。
「うおおおああああ。」
ケイオスは力任せに結界を突破せんとする。渾身の力を込めているのか、歯ぐきから血液が流れ出していた。
「うぐっ。うおおおおお。」
徐々に結界にひびが入っていき、パキンという軽快な音とともに結界は崩れた。それと同時にガチャはケイオスを吹き飛ばさんばかりの勢いで爆発した。
「きゃあ。」
ミリカとシンプソンのいる場所にも爆風とガチャの破片が飛び散る。
「ふふ。はははははははは。」
ケイオスは両腕を伸ばして笑っていた。
「見たか、神よ。僕はお前たちをとことん邪魔してやる!」
ケイオスが喜んでいたのか定かではない。
「ご主人様、早く治療を!」
「それよりアイツを止めないと――母さんやサーシャが――」
家族のことなどどうでもいいなんて嘘だとミリカは思った。例え覚えていなくてもシンプソンが家族を思う気持ちは失われない。それは自身の記憶が無くなろうとも、絶対に。
「ミリカ。あれをこっちに・・・」
シンプソンの指す先にはガチャのレバーとガチャの出口があった。が、どう見たって壊れていて、動かせそうもない。
「ご主人様・・・」
「いいから、早く!今戦えるのは俺たちだけなんだ。」
シンプソンは正気であるようだった。ミリカはガチャの破片をシンプソンの傍に持ってくる。シンプソンは唯一自由のきく右腕でガチャを回す。
「運命のタクトでショウタイム!」
奇跡は、起こった。
ガチャから黄金の光を放つガチャ玉が放出された。それはすぐに開かれ、ミリカのもとに光となって彼女の体を包む。光の柱が消え去った時に姿を現したミリカは露出度の高めな鎧を身に纏い、右手には剣が、左手には盾が握られていた。その体は宙に浮き、背中からは純白の羽を生やしていた。羽で宙に浮いているわけではなく、羽は一切動かず、ガラスの上に立っているように宙に固定されていた。
「それは、ヴァルキリーの神衣⁉何故お前が着ることができる!何者なんだ。」
「ケイオスさん。あなたはご主人様のお友達です。だから、一撃で倒してあげます。」
「お前が、ミリカだったのか――」
ミリカの振るった剣は天をも貫く光の刃となり、ケイオスの体を包み込んだ。刃はケンザン連峰山を二つに割った。刃が消え去った後に残ったのは都市を真っ二つにし、大地さえ割った刀傷だけであった。
ミリカの纏った神衣はすぐに消え、ガチャ玉は黄金の色を失った。その後、神衣のガチャ玉が色を取り戻すことはなかった。
半分崩壊したパルムは今、復旧工事が進んでいる。流石に富民街の人間だけでは人数を賄いきれないので、貧民街の者たちも参加した。富民街の者たちは貧民街の者たちに指示を受けながら働いていた。富民街の者の多くが建築の作業に関わったことがないからである。終日へとへとになり、倒れ込みそうになった富民たちは朝早くから働いている貧民のことを尊敬し始めていた。自分たちが地位にすがり何もできない人間であったことを再認識したのであった。その一方、貧民たちも富民を蔑視することが無くなっていた。農村出身である貧民たちはむやみに仲良くすることを好まなかったが、しきりに話しかけ、あまつさえ尊敬のまなざしを向けてくる富民たちに心を開き始めていた。また、学のない貧民があくどい商人からの被害に遭わないように富民がアドバイスしたということもある。
よくも悪くもアイツのお蔭でこの都市も少しはマシになりそうだ、とシンプソンは思った。
「お怪我の調子はどうですか?」
ミリカは壊れた富民街を見ているシンプソンに聞いた。
「ばーか。こんくらい、怪我の中に入んねえてえのっ。」
額に巻かれた包帯がまた痛々しいのでミリカは思わず笑ってしまった。
「ラクサやカプサルはどうしてるんだ?」
「どうもみなさん、タンムリに行かれるみたいですよ。」
「どうして宗主国なんかに?」
「ラクサさんは例の通り、ショコクマンユウノタビ?とかみたいです。パニエさんも馬車でタンムリに向かわれました。大きな荷物を積んでらっしゃったので、ちょっとした旅行のつもりなのかもしれません。」
「カプサルは?」
「カプサルさんもタンムリに。」
「ゲッコウ村はどうするんだ?誰かが守ってやらないと危ないだろう。」
「それについては助言してくださる方がいらっしゃったんです。」
「ああ、僕の噂をしているのは君たちだったのか。」
物陰からジャンが現れた。ジャンは仲間になりたそうにこちらを見ている。
「変なモノローグつけないでくれないか?」
ジャンは苛立った口調で言った。
「なに盗み聞きしてるんだよ。」
「盗み聞きなどするわけないじゃないか。」
鼻が腐りそうな声であった。
「臭いならともかく、鼻が腐る声ってなんだよ。」
「何の用だ?」
シンプソンは軽くスルーした。
「塩について助言してくださったのがジャンなんです。」
「僕だけ呼び捨て⁉」
「だって、ジャンはジャンじゃないですか。ジャン以上は決してあり得ません。ジャン以下は大いにあり得ますが。」
「それってどういうこと?」
「お前は人間以下のチンパンジーってことだ。」
「海外ドラマで言いそうなセリフで僕を愚弄するな。話が進まないじゃないか。」
深くため息を吐いてジャンは続ける。
「秘密を知った者は仲間にしてしまえばいいってことだ。金とか利益で丸め込む。よっぽどのバカでない限り、どこの都市や国でも僕の商会のような斡旋組織があることを知っている。」
「ふーん、お前がそんなヤツとは知らなかったよ。」
「どういうことだ。」
「俺は知られたら問答無用で殺せばいいと思ってた。どこの村にもそんな掟がある。でも、殺さない方がいいよな。」
「当たり前だ。人力は財だ。身分がどうであれな。」
「やっぱり変わったな、ジャン。」
「気安く呼ぶな。僕が一番自分の変化に戸惑っている。」
「そういや、カプサルはどうしてタンムリに?」
「それは世界を救うためですよ。ご主人様の雄姿に刺激されたそうです。」
「ああ、そんな設定あったなー。」
「君はどれだけ呑気なんだか。」
「金儲けのことしか考えてなかったもんな。」
「まあ、僕にはもう関係ない事だ。」
「どうして。」
去ろうとするジャンにシンプソンは言った。
「もう僕は救世主じゃないからさ。」
「待てよ。」
シンプソンはジャンに近づいていく。何事かと身構えたジャンだったが、シンプソンはジャンの右手をとり、掌に何かを載せた。
「これは――」
「ああ、ハイイロドラゴンの鱗だ。」
「どういうことだ。」
「お前らに殺されそうになった時、服に引っかかってとれたみたいだ。」
「そうじゃない。こんなもの渡して何のつもりだ。」
「ガチャは一つじゃないかもしれない。」
ジャンはじっとシンプソンを見つめた。
「これを代償にすればもう一度会えるかもしれない。」
ジャンは微塵も反応を示さない。
「どうする?タンムリに行ってみるか?」
「言われなくとももとより行くつもりだったのさ。なんせ、僕は救世主様だ。」
はっはっは、と笑いながらジャンは去っていく。涙が出るほどに喜びながら、感謝しながら。
「ご主人様はどうされるおつもりですか?」
ミリカはシンプソンに聞いた。
「別に俺はな、お前が何者だって関係ないと思ってる。お前はお前だ。」
「何格好いいことを言って誤魔化そうとしてるんですか。」
「きっとタンムリでは俺の雄姿が轟いていることだろう。これで一儲けするぞ!」
シンプソンは先に進み始めた。
「ありがとうございます。ご主人様。」
ミリカは聞こえないようにそっとシンプソンに心からの感謝を述べた。
避けた地面の中に男が仰向けで倒れていた。その男は特徴と言うべき特徴もなく、あるとすればどこの世界にも居ておかしくないような、そんな平凡さが特徴であった。
「空のヒビがさらに大きくなっている・・・」
消え入りそうな声で男は言った。
「神め・・・最後まで僕の邪魔をして・・・しかし、あのミリカとか言うやつは何者なんだ・・・別の世界からの漂流者なら僕が分からないはずがない・・・神のことだって僕はよく知っている・・・なんなのだ、あの女・・・」
悲鳴を上げる身体から自信の死を感じ取りながら、男は星々が輝く夜空に走った亀裂を眺めていた。その亀裂から数個の光が地上に降り立つ。
「そうさ。僕は一人だけじゃない・・・新たな僕の降臨を見届けられて、僕は幸せだ・・・」
男は消えゆく意識の中、ある男の言葉を思い出していた。
友達・・・か・・・
男は生まれ落ちてくる新たな自分に、次はその意味が分かるようになることを望んだ。男は世界から消え去った。
Better-fly dream
fine




