六章
先週の土曜日に不吉な夢を見て、次の日の日曜日にそれが現実になって、その次の月曜日にもう一度現場を訪れ、その現場の真向いにあるカフェで彩夏の担任の工藤先生に会った。その後、カフェの店員に聞き込みをしたが成果はなく、日曜日にもう一度来いと言われた。土曜日の朝になったので、僕は彩夏を亡くなった美里の実家に預け、日曜日の朝、もう一度カフェに出向いた。店長に、日曜日なら、飛び降りを目撃している店員がいるかもしれないと聞いていたからである。
日曜の朝のカフェの店員の顔ぶれは、先週の月曜日に訪れた時とガラッと変わっていた。僕は「しめた!」と思った。そして、手が空いている女性店員をつかまえて、「先週起こった投身自殺を目撃していないですか?」ときいた。そしたら、その子もその隣にいた店員もみんながみんな目撃していて、あの日は本当に大変だったと言った。それを聞いて、ほっとしている自分がいた。
「本当にびっくりしましたよ。若い女の人だったそうで、お気の毒でしたね……」
「あなたは、一部始終を見ていたんですか?」
「いえ、飛び降りがあって、人だかりができてから気付きました」
「……」
僕はその言葉を聞いて少しがっかりした。もしかしたら、僕が知らない事実を彼女が知っているかもしれないと期待していたからである。
「目撃した人はいっぱいいたんでしょうけど、ほとんどの人が通りすがりでしょうしね」
「すぐそこで、ティッシュ配りをしている男の子に訊いてみようかな」
「そうですね、いいかも。ほとんど毎日ティッシュ配りしてますし。同じ人かどうかは分かりませんけど」
「じゃあ、さっそく訊いてみます。お仕事のお邪魔してしまってすみませんね」
「あ、そういえば、ちょっと待って……今、思い出した!」
「えっ、な、なにを?」
「いつもここを利用してくださる常連のお客様が言ってたんです! あの女の人はいつも電車で一緒になる人だったから本当にびっくりした、と確かおっしゃってました!」
「そうなんですか!」
「ええ。でも、今日はそのお客様はまだお見えになっていませんけど……」
「じゃあ、待ってたら、そのお客さんに会えるかもしれないんですよね!」
「はい、その可能性は大きいですね」
「そうですか、どうもありがとう!」
そう言って僕があまりにも喜んでいるので、その店員の女の子は瞬きもせずにまん丸な目をして、僕をずっと眺めていた。そして、急に怪訝な顔をすると僕に訊ねた。
「あのぅ……」
「え? なに?」
「もしかして、刑事さんか何かですか?」
「違うけど、まぁ、似たようなもんかな。どちらかというと探偵に近いかも……」
「そうなんですか」
「うん」
僕がそう頷くと、彼女は眉間に皺を寄せたまま、くるりと踵を返し、すぐに仕事に戻っていった。
僕はホットのカフェオレを手に、窓際のカウンター席に座り、例の客が来るのを待つことにした。さっきの店員の女の子には、その客が店に来たら知らせて欲しいと丁重にお願いしていた。するとその客は、それから四十分ほどしてから店に姿を現した。中年の小太りな男性だった。ここから五分と離れていない場所で働き、ほとんど毎日来店しているらしい。僕は、彼に近付くと、「あの唐突で申し訳ないのですが、お話を聞かせて欲しいんです」と懐から名刺を取り出し彼に渡した。名刺には「ミステリー作家 片桐浩紀」とだけ書かれていた。ミステリー作家なんて珍しくもなんともないと思っていたのに、やはり世間的には少数派なのか、彼は僕の顔と名刺を交互に見比べ、びっくり仰天していた。けれども、「ミステリー作家」という肩書きに興味を持ってもらえたのか、「どうそ、お座り下さい」とテーブルの向い側の席に座るようすすめてくれた。そして僕の顔をじっと見ると、くすくす笑い出した。今度は僕のほうが唖然とする番だった。
「あなた、この間、向かいの歩道にずいぶん長い間、這いつくばっていた人でしょ?」
その中年の男性は笑いを堪えながら言った。
「え、ええ、そ、そうですけど……」
「何か見つかったんですか?」
「はい、まあ。だけど、僕は喋りませんよ。彼女のプライバシーが侵害されますからね」
そう僕が言うと彼はもっと笑い転げた。
「ちょっと、そんなおかしな話はないでしょう? だって、あなたは今からその彼女について、僕に何か訊ねようとしているんじゃないですか?」
「はぁ、まぁそうですね……」
「まぁ、いい。とにかく、何が訊きたいんですか?」
相変わらず彼は笑いを噛み殺すのに、必死な様子だった。
「店員の女の子から聞いたのですけど、えっと……」
そういえば僕は彼の名前を知らなかった。だから、彼のことをなんと呼べばいいのか少し戸惑っていた。彼はその僕の様子に気付いたらしく「ああ、失礼。あなたの名刺をもらっておいて、僕の名刺を渡すのを忘れていました」と言って懐から名刺を取り出した。その名刺には「東方電器グループ 第一営業部 営業部長 原田政和」とあった。
「原田さんは、飛び降りた彼女といつも電車で一緒だったんですよね?」
「ええ、そうですね」
「朝の通勤の時ですか?」
「そうです。僕はいつも同じ時刻に、ホームの同じ場所から電車に乗るんですよ。彼女もそうでしたから、ホームでよく会いました。それに降りる駅も一緒だったもんだから、勝手に彼女に親近感がわいてましたね。それに彼女はとびきりの美人だった。だから、すごく目立つ人ではありました」
「そうだったんですか」
「ええ、だから、ショックでしたよ……」
「……そうでしょうね」
「だって、人だかりの中を掻き分けて、倒れている人の顔を覗いてみたら、彼女だったんですから」
そう言って原田は思い出したように、急に顔を曇らせた。僕も彼の悲痛な顔を見ていると、刑事でもないのに、こんな余計なことをしている自分が急に恥ずかしくなった。けれども、ただの興味本位でこんなことをやっているわけではないのである。そう自分を奮い立たせるともう一度彼に訊いてみた。
「じゃあ、彼女はただの顔見知りで、特別親しいという訳じゃなかったんですね」
「ええ、そうです」
「……そうですか、わかりました」
そう言って、彼と別れた。別れ際、彼から他の情報ももたらされた。乗車する駅名、彼女がいつも使う改札、朝、駅から出て彼女がいつも向かう方角等々……。乗車駅、降車駅周辺の店で聞き込みをするしかないなと思った。
次の日、僕は乗車駅の周辺の店で聞き込みをしていた。まず最初のターゲットは、駅に隣接しているコンビニである。亜由美が残した手紙に同封されていた写真を僕は引き伸ばしてカラーコピーし、それを店員に見せた、「この女性を知りませんか?」と。見せた店員は全員が「あ、知ってますよ!」と口を揃えていった。だけど、その先を知るものが一人もいない。
「彼女は綺麗な人だから、みんな覚えていると思うけど、いつも朝の忙しい時間帯に来るせいか、店員とほとんど会話したことがないんじゃないかな。よくパンと野菜ジュースを買われてましたね。そんな情報はあんまり役に立たないかもしれませんけど……。会話らしい会話をしたことがないから、彼女がどういう人なんだか、みんな知らないと思いますよ」
と店長は言った。僕はそれを聞いてがっかりした。それでここでの聞き込みは終了かと思ったのだが、「そう言えば、彼女、いつも大きなカメラを首から下げてたなぁ。三脚を持ってることもあったし……」と彼は思い出したように呟いた。
「え?」
「もしかしたら、雑誌社か新聞社に勤めているようなカメラマンだったんじゃないかな。そうそう、 フィルムとか電池とかも買ってましたよ。そういうときは、レシートじゃなくて、領収書を下さい、といつも言ってました」
「そうなんですか!」
「ええ。でも、それくらいしか覚えてないんですけど……」
「い、いえ、それで十分です! ありがとうございます!」
最初に聞き込みをした店でここまで聞けたら大収穫だと思った。その他、スーパーやら本屋やら聞き込みをしてみたが、同じ様なことが店員から聞くことができた。今度は降車駅、すなわち池袋駅の周辺で聞き込みをしようと思う。だけど、何千と店が立ち並ぶあの繁華街で、聞き込みをすることを考えただけで眩暈がしそうだった。電器店のカメラ売り場や近辺の出版社や、いくらかターゲットを絞って、聞き込みをしようと思った。