四十五章
春休みになり、僕は彩夏を連れ、ヨーロッパを旅していた。格安パックツアーだったのだけど……。旅行代理店に行ってみたら、十年前に美里と泊まった同じホテルに泊まれるツアーがあったので、迷わず申し込んだ。
ツアーの初日に、スイスのジュネーブに入り、レマン湖のほとりのホテルに泊まった。次の日は、ジュネーブの市内観光ツアーだった。旧国際連盟本部、国際連合ジュネーブ事務局や宗教改革記念碑、サン・ピエール大聖堂などを見学した。彩夏は初めての海外旅行で、見るもの聞くものすべて初めての体験ばかりで、ずいぶん興奮しているようだった。食べるものは、やはり日本食には叶わないと思うが、パックツアーで訪れるレストランは、日本人好みの味付けにされていて、どれも美味しかった。その翌日には、アルブ地方の美しい景色を見ながらバスに揺られて、今度はフランスのシャモニーへ向かった。シャモニーは標高一〇三五メートルに位置する山岳リゾート地である。観光客のほとんどが、登山とスキーを目的にしていた。
僕は、美里と十年前に泊まった同じホテルに、今度は自分の娘と泊まることが、なんだか信じられなくもあり、感慨深くもあった。あれから僕も歳を取り、顔の皺も増えた。白髪もちらほらある。美里が残した小さな赤ちゃんだった彩夏もずいぶん大きくなった。彩夏は美里に似て、頭のいいお転婆な子供だった。十年前、自分がこんなにかわいい女の子の父親になるなんて、想像だにしなかったことだった。十年という年月の長さをひしひしと感じていた。
到着した次の日は、メール・ドゥ・グラス氷河を彩夏と一緒に見学した。その次の日はツアー最終日で、エギーユ・デュ・ミデイへ登る予定だった。どちらも登山電車とロープウェーという乗り物を利用して行けるところなので、小さな子連れである僕には負担のない観光で、ありがたかった。エギーユ・デュ・ミデイに登ったとき、写真でいつも見慣れていたモンブランの実物が目の前に迫り、僕も彩夏も言葉にできないくらい感動した。そのとき初めて、ここへ彩夏を連れてくることができて本当に良かったと実感した。
僕は、ツアーの最終日の今日、ホテルの庭の真ん中に位置するあの大きなモミの木の下を掘ってみようと思っていた。今日は、エギーユ・デュ・ミデイ登山を終えてから夕食の時間までフリータイムになっていたからだった。モミの木の周りは、根を守るために、人が侵入しないようポールと鎖でぐるりと囲われていた。けれども、手紙を掘り起こさなければならないので、根を傷付けないわけにはいかなかった。大体どの辺りに埋めたのか、亜由美からメールで教えてもらっていたので、簡単に見つかるはずだった。真東の方角に位置するポールの根元に埋めているそうだった。僕は彩夏にこれから何をするのか何も教えていなかったので、彩夏は、終始不審そうな目で僕を見つめていた。
「お父ちゃん、今から何をするの?」
「お母さんが埋めたものを掘り起こすんだよ」
「ほんとに?」
「うん」
彩夏はびっくりしていたけれど、それを聞いてうれしかったのか安心したのか、黙って僕を見守っていた。僕は方位磁石を取り出した。真東に位置するポールを見つけ、その根元を小さなスコップで掘り始めた。土は固かった。七年も前に埋めたのだから、そう簡単に掘れるわけがなかった。けれども、諦めるわけにはいかなかった。途中、何人かのホテルの泊り客が横を通り過ぎ、怪訝な顔でジロジロ彼らに見られたが、その度に、彩夏が体を使ってうまく隠してくれた。十五分ほど掘ると、スコップの先が何かに当たった。一生懸命土を取り除いてみると、ブリキの四角い小さな缶が現れた。蓋を開けてみると、やはり中にはビニール袋にくるまれた一通の手紙が入っていた。
うれしかった。うれしかったけれど、手紙を読むのが恐いような気もしていた。だけど、僕の横で、僕たちの小さな彩夏は、輝くような目で僕の顔を見上げている。僕は、ビニール袋の中から手紙を取り出した。
浩紀さんへ
おめでとう! 無事に、この手紙に辿り着けたんだね。ごめんね、私は死んでからも、こんなふざけたことをしてしまって……。パズル同好会の先輩だった浩紀さんへの後輩からの最大のパズルのプレゼントです。でもこれは、あなたへ宛てた最後の私の真剣なメッセージなの。覚悟して読んでね。
今、お腹の赤ちゃんは二十九周目になります。私は、もうすぐ入院です。でもその前に、忙しい亜由美に無理に時間を作ってもらったので、この手紙を彼女に託そうと思っています。あの、懐かしいモンブランの麓のシャモニーのモミの木の下に埋めてもらう予定です。
妊娠二十二周目の定期健診で前置胎盤だと診断が下り、浩紀さんはすごく心配してくれたね。私もそれが赤ちゃんと私に危険を及ぼすことになるんじゃないかと思って、なんだかちょっと嫌な感じがしたんだけれど、でも前置胎盤はそう恐れる病気でもないし、不思議なことに、妊娠中の今の私はすごく幸せで、不安なんかほとんど感じてないの。だって、これから家族が増えるんだもの! そのほうがエキサイティングな出来事でしょ? 浩紀さんは私が妊娠したと分かったとき、すごく喜んでくれたね。私よりもずいぶん喜んでたよ。認めるでしょ? 私はそんなうれしそうな浩紀さんを見てるのが好きだった。妊娠できて心から良かったと思ってた。だって、浩紀さんは、高校生のときにお母さんを亡くしたし、大学を卒業してからすぐにお父さんも亡くしたし、兄弟もいない一人っ子だったから、天涯孤独になってしまって、淋しいっていつも言ってたから。だから、浩紀さんに、新しい血の繋がった家族を私はどうしても作ってあげたかったの。だから、その夢が叶ってすごくうれしかった。でもね、人生って残酷だね。妊娠したと分かってすぐに、病院に行ったら、子宮の中に癌があることが分かったの。だから、先生は、「ご主人と相談されて、子供を胎堕したほうがいい。再起に掛けたほうがいい」って言ってた。妊娠していると新陳代謝が高まるから、赤ちゃんと一緒に癌細胞も早いスピードで成長してしまうからだそうなの。でも、私はせっかく授かった命を自ら絶つことなんてできないと思った。それに、癌はすごく大きくて、手術のときに、残す努力はするけれど、場合によっては子宮も摘出しなければならないかもしれないと先生はおっしゃったから。子供を一人も産まないで、子宮を失うことになるなんて、私には考えられなかった。だから癌の手術をするなら、子供を産んでからと思ったの。私は困ったことになってしまったと思ったけど、でも私に子供を堕ろす選択肢はなかった。だから、先生にお願いして、絶対に浩紀さんに言わないでほしいと約束してもらったの。子供を帝王切開で出産したら、そのときは癌摘出手術もいっしょにお願いしますからと言って……。先生は、全然いい顔をしなかったし、その後も何度も説得されたけど、でも私のその言葉で無理に納得してくれようとしてた。
でもね、私ね、本当は、もうすぐ自分が死ぬんじゃないかと思ってる。それは妊娠中かもしれないし、赤ちゃんを産んだ後かもしれない。どちらにしろ、長く生きられないと思ってる。そんな予感がしてる。妊娠してなくても癌で命を落とす運命だったんだよ。だから、浩紀さんに約束して欲しいの。私が死んだのは、決して赤ちゃんのせいでもないし、浩紀さんのせいでもなくて、二人とも自分のせいにしないでってこと。すべて私自身のせいなの。私が選んだことだし、私の運命だったの。
私、浩紀さんの奥さんになれて、幸せだったよ。浩紀さんはいつも私に「不甲斐なくてごめん」って口癖のように言ってたけど、私はほんとうにほんとうに、幸せだったの。不器用で、淋しがりで、だけど、ときどきびっくりするほど男らしくて、周りの人にすごく親切で、いつも私を大切にしてくれた浩紀さんのことが大好きだった。その浩紀さんの子供を授かったんだもの、幸せだったに違いないでしょ? 私は自分の選んだ人生に悔いなんかない。素晴らしい人生だった、そう思っています。
私は、星になってしまうけど、いつも二人を遠くから見守っているから。どうか、私が死んでも悲しまないで下さい。
二人を心から愛しています。
美里
こんなにも愛に溢れた手紙をもらったのは、生まれて初めてのことだった。僕は不幸なんかじゃなかった。世界一の幸せ者だった。
彩夏を抱きしめて言った。
「彩夏、お母さんはね、彩夏のせいで死んだんじゃないんだよ。お母さんは、病気だったんだよ。お母さんは、彩夏の命を守ったんだよ。大好きな彩夏の命をね」