四章
帰りの電車の中で、僕は、封筒の中の白い紙に一体何が書かれてあるのか、興味深く目を通していた。それは悟という男性から亜由美という女性に当てられた手紙だった。
お元気ですか? 僕は相変わらずの日々を送っているよ。毎日毎日トラブルの続出です。うんざりするけど、でも生徒達は可愛いよ。面倒なのは親達のほうです。この間は、「うちの子は学校を辞めたのに、どうして先生は辞めないんですか!」と保護者に怒鳴られたよ。だけど、救いなのは僕が必死で守り通した生徒の清田君が「先生、ありがとう……」と言ってくれたことです。僕は彼の親に責められようが、学年主任やPTA会長や教頭や校長や教育委員会に責められようが、自分のやったことに間違いはなかったと思っています。亜由美、君は僕のそんな話をいつも真剣に聞いてくれていたね。そして最後はいつも笑っていた。僕は君に支えられているんだと深く感謝していた。
東京での仕事はどうだい? 上手くいっているかい? 君がニューヨークへ行くと言ったとき正直びっくりしたけど、人生は一度きりだし、夢に挑戦することに僕は賛成だった。それに一年という期限つきだと君は言っていたしね。一年なんて早かったよ。だけど、今度また、紛争が続いているアフガンに行くと言っていただろう? たった一週間の滞在だけど、僕は少し心配している。少しどころか本当はすごく心配だ。できれば安全なところで仕事をしていてほしいなんていうのは、僕の我儘だな。ごめんよ、幻滅させて。だけど、来年、僕も京都を出て上京しようかと思っているんだ。東京で教員採用試験を受けなおそうかと思っている。そうでもしないといつも忙しい亜由美と会うことが難しいからね。しかし、十年ぶりに受験生になるのは結構しんどいものだよ。面接だけとはいえ、結構なプレッシャーがあるよ。こういうときだけは、やっぱり教育委員会とは仲良くしておくべきだったなと思うけれど、でも逆に、京都から厄介払いができるからと僕の転職に教育委員会は好意的かもしれないと思うことにしたよ。
八月にベルファストへ行くそうだけど、僕もちょうど夏休みだから、アイルランドまで君の様子を見に行こうかと思っている。だけど、ベルファストは危険なんじゃないかい? 今は昔と違って、テロもあんまり起こってないのかなとは思うけど……。でも、なんだかやっぱり少し心配だよ。だけど、異国で仕事をしている君を間近で見られるのを楽しみにしているところもあるよ。引き続き、お仕事、がんばってくれたまえ。
亜由美へ
悟より
それは、ありきたりな手紙だった。だけど紛れもない仲の良い恋人同士の間で交わされたラブレターだった。それなのに、彼女は昨日、ビルの屋上から飛び降りた。一体なぜ? 何に絶望して彼女は自殺しようとしたのだろうか? この手紙の送り主の悟という男性は、彼女のしたことをきっとまだ知らないに違いない。悟は亜由美が飛び降りたことも知らずに、今日も高校の教員として教壇に立っていることだろう、いつもと何も変わらぬ様に……。きっと、もうすぐ彼女に会えると楽しみにしているんだろうな。それなのに、彼女はすでにこの世の人でなくなっただなんて……。それを知ったときの彼の痛みは、いかほどのものなんだろう? 逝く者より残される者の痛みのほうが大きいことを知っている僕は、悟という男性が、恋人の死を知ったときに味わうだろう深い悲しみを思うといたたまれなくなった。
そう、僕は、その時、はっきりと決心したのだ。単なる興味本位などではない、是が非でも亜由美が最後に悟に残しただろう、「悟、愛してる」とだけ書かれたこの手紙を彼に届けることを……。それは彼女が、彼に最後に残した愛の証だったのだろうから。