三十八章
最近、真夜中に執筆活動をしているせいか、常時睡眠不足に陥っていた。執筆活動だけしていればいい身分じゃないから、昼間は家事をこなしたり、子供の世話をしたり、はたまた子供の友達の家の問題に関わったり、あの亜由美という女性のことを調べていたりしたので、毎日寝不足でフラフラしていた。
ある日、僕はお昼ご飯を食べた後、畳の部屋で新聞を読んでいたら、急に眠気が襲ってきて、気付けば新聞を手にしたまま、そのまま畳の上で寝てしまっていた。昔から、昼寝をすると碌な夢を見なかった。男の同級生が急にお婆さんになって、僕を背負って町中を走っていたり、恐ろしい外科手術が行われているところを見学していたり、トイレを探して世界中を旅していたり、夜寝で見る夢とは全く違うバカバカしいだけの夢を見ることが多かった。今回も僕は昼寝をしながら、これからそういう夢を見るんだろうな、と思いながら寝ていた。寝ながら考え事をしているところがすごい、と自分でも思うのだが……。
寝入ってから十分も経たずに、いきなり魔鈴ばあさんの顔のドアップが、僕の目の前に現れた。びっくりした。どうやら僕は、魔鈴ばあさんの「占いの館 魔鈴」で占いをしてもらっているようだった。
「この間、占いをしてもらったときにびっくりしたんだけど、訊けなかったんで訊いていいですか?」
「いいよ。で、何を?」
「あれ? 魔鈴ばあさんは、僕がそれを口にしないでも分かるんじゃないですか?」
「だから、あたしは魔鈴じゃないって言ってるだろ! 何回言ったら分かるんだよ!」
「……」
「ほら!」
そう言って、どう見ても魔鈴ばあさんと見られる老婆は、僕に名刺を差し出した。「占いの館 魔詐狐」と書かれてあった。名刺をじっと見ていたが、魔詐狐がいっこうに読めないので、「なんとお読みするんですか?」と訊いた。
「そんなのも読めないのかい? 『まさこ』だよ」
「詐欺の『詐』と、きつね(狐)と書いて『こ』……。なんか縁起の悪い名前ですね」
「余計なお世話だよ!」
「あの、ちょっとお伺いしますけど、あの池袋で掃除をしていた人は、一体誰なんですか?」
「だから知るかって言ってんだよ!」
「でも、あなたとそっくりですよね」
「そっくりだろうがなんだろうが、知らないものは知らないんだよ」
「そうですか……」
「だから、今日は何が訊きたいんだい?」
「あ、ちょっと待って……。今、頭の中を整理します。魔鈴ばあさんは占い師で、池袋で掃除もしている。あなたは魔詐狐ばあさんで、占い師……。いつも夢の中に出てきて『カフェに行ったら美里に会える』と教えてくれるばあさんは誰? あなたはそのばあさんと同じ人なのかな……」
「ごちゃごちゃうるさい奴だね。そんなの知ったところで何になる? どうでもいいことだろうに……」
「これだけおんなじ顔が出てきたら、気にせずにいられないでしょ!」
「そっかね」
「あなたは一体誰なんですか?」
「魔詐狐」
「……」
僕は魔詐狐ばあさんを睨みつけた。むかついていた。こうなったら、絶対正体を暴いてやる!
「時間がもったいないから、早く言いなよ。今日のところは、その謎は置いといてさ」
それもそうだなと思った。
「この間、占いをしてもらったとき、清水亜由美さんの意識の中に入ると言って入ってみたら、彼女は今すごく落ち込んでるみたいだと言ってたでしょ? 会いたい人がいて、それが宮原悟だとも言ってた。あれは一体、どういうことなんですか?」
「だから落ち込んでるから、落ち込んでると言っただけ」
「落ち込んでるって、彼女は投身自殺して亡くなってるんですよ。死の世界で落ち込んでるんですか?」
「生の世界」
「生の世界? からかってるんですか! 僕は真剣に亜由美さんのことが知りたいんです。暇つぶしで彼女のことを調べてるんじゃないんだ! どうしても、彼女の残した最後の手紙を悟さんに渡さなければならないんだ!」
「誰が彼女が死んだと言ったんだい?」
「……」
そう言えば、誰も亜由美が死んだなどと言っていないことに気付いた。地面に横たわっている亜由美を見たけど、体もそんなに損傷しているようには見えなかった。けれども、彼女は目を閉じていた。だから、てっきり亡くなったのだと思っていた。生きていればいいのに……そう思っていたけれど……。
「……もしかして、……亜由美さんは無事なんですか?」
「そのようだね」
「ほんとにっ!?」
「ああ、そうだよ」
「で、でも、彼女は今どこに?」
「病院にいるみたいだね」
「そうですか……」
あんな高いところから飛び降りたんだから、やっぱり無傷ではいられなかったんだなと思って、彼女が気の毒になった。でも良かった、本当に良かった……。宮原悟に会いに行こうと思っていたが、先に清水亜由美に会わなければと思った。彼女に、あの手紙を返さなければならない。
「それで、どこの病院へ行けば、亜由美さんに会えるんですか?」
「そうだね。ちょっと待ちな……」
そう言って魔詐狐ばあさんは水晶に手をかざしながら、瞑想しはじめた。しばらくして、魔鈴ばあさんと同じ様に紙とペンを取り出すと、亜由美が入院しているだろう病院の住所を書いてくれた。すると魔詐狐ばあさんは「はい、百万円!」と言って、僕の前に手を差し出した。僕は「ちっくしょう、ぼったくりやがって!」と思いながらも、財布の中から百万円札を取り出し、魔詐狐ばあさんに素直に渡した。渡しながら「なんか変?」と思っていた。なんか変って、百万円は変だと夢を見ながら自分でも分かってるんだが、なんだかもっと変なことがあるような気がしていた。そういえば、魔詐狐ばあさんは「だから落ち込んでるから、落ち込んでると言っただけ」と言った。「言っただけ」とはどういうことか? 「落ち込んでいる」と言ったのは、この間、起きているときに行った「占いの館 魔鈴」の魔鈴ばあさんじゃないか! この今目の前にいる魔詐狐ばあさんは、自分は魔鈴ばあさんじゃないと言い張っていたな。だけど、僕がにらんでいたとおり、やっぱり同一人物だったんだ! でも、待てよ、どうして起きているときと寝ているときと、同じ人物がいつも目の前に現れるんだろう? そんなことをごちゃごちゃ考えこんでいて、どうやってこの魔詐狐ばあさんに白状させてやろうかと思っていたら、魔詐狐ばあさんが掛け時計を見ながら、いきなり言った。
「あ~あ、列車が出ちゃったじゃないか……」
「は? 何の列車ですか?」
「池袋の例のカフェへの直行便」
「?????」
「あんた、またしくじったね」
「?????」
「あの列車は一日一本しかないのに」
「?????」
「だからあの列車は、あんたの奥さんが待ってるカフェへ行く列車だったんだよ。あれに乗れば奥さんに会えただろうに……。ほんとにあんたはバカだね」
そんなぁ……、早く言ってくれればいいのに! 僕は慌てて「占いの館 魔詐狐」を飛び出した。走って追いかけたら、まだ列車に飛び乗れるかもしれないと思ったから。けれども、もはや列車は遠くのほうで小さくなっていて、とてもじゃないが追いつけそうになかった。僕はため息を吐きながらがっくりしていると、順調に走っていると思われたその列車から、真っ黒い煙がモクモクと立ち始めた。と思ったら、いきなりドカーンという轟音と共に爆発して、破片が僕に向かって飛んで来るではないか! 僕は必死で逃げたが、破片は狙ったように僕を直撃した。その衝撃たるやものすごかった。僕は凹んだ自分の身体を見ながら「うわぁぁぁ」と叫んで飛び起きた。飛び起きてみたら、横に彩夏が転がっていた。
「いったぁ……。もう、お父ちゃん! 急に飛び起きないでよ!」
「あれ? なんで彩夏がいるんだ?」
どうやら彩夏が僕の上に飛び乗った衝撃のおかげで、昼寝から目覚めたらしい。
「あれ?って、もう五時だよ。学校が終わったから、帰ってきただけだよ。一体、いつから寝てるの?」
「そっか、五時か……、もうそんな時間か……。ご飯を作らなくちゃな……」
「うん」
しかし、さっき、ものすごい夢を見ていたなと思った。昼寝で見た夢だけに、夜寝の夢より、ほんとうにバカバカしい碌でもない夢だった。だけど、収穫もあった。亜由美が生きていると魔詐狐ばあさんは言っていた。しかも、彼女が入院している病院の住所まで教えてくれた。僕はズボンのポケットに手を突っ込んで探ってみた。魔詐狐ばあさんにもらった、あるはずの紙がなかった。「な、ないっ!?」。違うほうのポケットも探してみたけど、やっぱり紙は見つからなかった。もう一度探していて、「あ、そうだった、夢だった」と気付いた。でも、確か魔詐狐ばあさんが書いてくれた住所は、豊島区の豊島総合病院だったはず。明日、さっそくその病院を訪ねてみようと思った。
だけど、またもや消化不良の後味の悪い夢になってしまった。魔詐狐ばあさんに「あなたは魔鈴ばあさんと同じ人だろう?」と追求できなかった。でも「カフェに行ったら美里に会える」といつも教えてくれるばあさんは、魔詐狐ばあさんと同一人物に間違いはなさそうである。
けれども、今回もまた美里に会えなかった。夢の中でいいから、彼女にもう一度会いたかった。なんで何回も失敗するんだろう? 僕は、またもや落ち込んだ。