三十五章
谷中銀座の端っこに位置する「占いの館 魔鈴」は、一種、異様な雰囲気を醸し出していた。看板は紫色だし、ドアには天使やら悪魔やらはたまたミニサイズの獅子舞やらへんてこな飾りがいっぱいついていたし、中に入ると真っ暗で何も見えないというあり様だった。ドアに鍵が掛かってなかったので、勝手にドアを開けて中に入ったら、カーテンの向こうの魔鈴ばあさんに「今、接客中だよ! 勝手に入ってくるな!」と怒鳴られた。「なんだよ、相変わらず血の気の多いばあさんだな。入ったらダメなら、ドアに鍵でも掛けておけよ!」と思った。仕方がないので、時間つぶしに谷中名物のカキ氷でも食べて時間を潰そうと思ったが、今は冬なので、カフェに入ってホットコーヒーを飲んだ。コーヒーを十分で飲み干し、もう一度「占いの館 魔鈴」を訪れたが、また魔鈴ばあさんに怒られたので、今度はメンチカツを立ち食いし、またまた「占いの館 魔鈴」を訪れたが、またもや魔鈴ばあさんに怒られた。ああ、本当にイライラする……。そうこうするうちに、空からポツポツと雨が降ってきたので、慌てて家に帰って外に干してある洗濯物を取り込んだ。あ、そっか、家が近いんだから、外にいないで家で待っていれば良かったと気付いた。洗濯物をたたみ終えたら、夕飯のことが気になって、夕飯の仕込みをしていてふと時計を見たら、二時間が経過していた。いくらなんでも、もう先客は帰っているだろうなと思ったので、もう一度「占いの館 魔鈴」へ向かった。ドアを開けて中に入ったら、今度は「遅いよ! 何してたんだよ!」とまた怒鳴られた。「まったく、この男は……、予約をすればいい話だろうに……」と魔鈴ばあさんが言ったので、「最初に来た時に、そう言えよ!」と思って、さすがの僕もぶち切れそうになったが、喧嘩したって碌なことはないと思ったので黙っておいた。
目の前に座っている魔鈴ばあさんを観察してみると、外で見かけたときよりも、ずいぶん小奇麗な格好をしていた。大きな水晶玉を前に、紫のレースのベールを被り、黒いサテンのロングドレスを来ていた。とてもじゃないが、池袋で見かけたグレーの作業着の掃除婦と同じ人物だとは思えなかった。魔鈴ばあさんは水晶玉を撫でるように手をかざすと、一分ほど目をつぶって瞑想した。一分静かに瞑想したと思ったら、今度はいきなり一人でしゃべりはじめた。
「ふふ、あたしがいつも同じ格好をしている訳がないだろ?」
「……」
「掃除婦の格好で占いなんかやったら、客なんかいなくなっちまうだろ? ここは芝居小屋じゃないんだから」
「……」
「そんなにびっくりするんじゃないよ。あんたの考えてることなんてお見通しなんだよ」
「……」
「で、見つかったんだね。あんたの探してた物が……」
「……」
「パズルのピースと写真か……」
「……」
「あんたの娘さん、喜んだだろうね」
「……」
「あら、まだ渡してないんだね」
「……」
「何をやってるんだい! 早く渡してあげなよ」
「……」
「でもまだ、知りたいことがあるんだね。えっと、清水亜由美?」
「……」
「ああ、彼女はあんたの亡くなった奥さんの友達だったんだね……」
「……」
「村上修司?」
「……」
「カメラマンか……」
「……」
「清水亜由美は村上修司の助手だったが、彼はすでに亡くなっている……」
「……」
「待ってみな。今、彼女の意識の中に入ってみるから」
「……」
「彼女、今、すごく落ち込んでいるよ。だけど、会いたい人がいるみたいだね」
「……」
「宮原悟か……」
「……」
「彼は彼女と遠距離恋愛をしてるんだね」
「……」
「京都に行ってみな」
そう言って、魔鈴ばあさんは紙とペンを取り出すと、宮原悟の詳しい住所を書いて僕に渡し、「はい、十万円」と言って、僕の前に手を差し出した。
「はぁっ!?」
僕は「占いの館 魔鈴」に入って、初めて口がきけた。
「嘘だよ。びっくりしたかい? 鑑定料は一万円だよ。安いもんだろ。ははは!」
僕は財布から一万円を取り出すと、魔鈴ばあさんに渡した。魔鈴ばあさんは、ニヤッと笑うと「はい、ありがとさん! またいつでも来なよ!」と呆然と突っ立っている僕をドアから押し出すと、内側からガチャッと鍵を閉めた。
今、何が起こったんだろう? ここはどこ?私は誰?状態で家に辿り着いた。しかし左手には、魔鈴ばあさんからもらった宮原悟の住所が書かれた紙が、しっかり握られていた。それを眺めていて、さっき「占いの館 魔鈴」で起こったことは、夢でもなんでもない現実だったのだと思い知らされた。