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長い長い夢の中で  作者: 早瀬 薫
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三十三章

 冬美ちゃんと小春ちゃんの一件が落着して、ほんとうに安堵した。あの後、お母さんからも工藤先生からも電話が掛かってきて、事態は全ていい方向に向かっているようで嬉しかった。これで、冬美ちゃんも立ち直ることだろう。彼女のような若者が、命を無駄にすることなんて断じてあってはならない。だけど子供って可哀相だなと思う。だって、冬美ちゃんなんて、自分の責任のないことで悩まなければならなかったんだから。しかもその悩みはすごく深刻だった。大人のほうがまだいい。大人なら、悩みは大抵自分の責任のあるところで抱えているだろうから。そんなことを考えていたら、彩夏のことが気になった。僕は彩夏にとって、はたしていい親なんだろうか? 今度彩夏に訊いてみようかな。

 ところで、この間、彩夏は美里の実家から借りてきた本の間に大発見をしていた。僕もびっくりしたけど、あれは多分、美里が子供の頃に書いたものだと思う。あんなところに美里の痕跡が残っていたなんて……。しかし「きみはよくこのかみをみつけたね。じょうできだ。たからものはひみつのへやにかくされている」だなんて、美里らしいなと思って、ちょっとおかしかった。彼女は子供の頃から男勝りのお転婆で、変わり者だったんだろうな。しかし、あの図書室にあんな仕掛けがあったなんて知らなかった。僕は彩夏と違って、美里の実家に滅多に泊まることはないから、図書室に立ち寄ったのは、美里の生前に美里と一緒に江戸川乱歩の本を借りに行ったときと、美里が亡くなった後、原文で書かれてあるポーの本を借りに行ったときの二回くらいしかないと思うけど、そんな仕掛けがあるなんて全然気付きもしなかった。だけど、彩夏が言っていたように、あの部屋はなんだか他の部屋より室温が二度は低いんじゃないかと思う。本の保存のために除湿機をつけているのかと思ったが、お義母さんは「そんなに貴重なものがあるわけじゃないから、つけてないわよ」と言ってたしな。とにかく、あの部屋にはきっと何かあると思って、想いを巡らせていたら、急に魔鈴ばあさんが言った言葉を思い出した。僕が探しているものは、「大きなお屋敷の本がいっぱい置かれている部屋にある」と彼女は言っていた。魔鈴ばあさんが言っていたのは、きっと美里の実家の図書室のことに違いない。だけど、僕が探しているものは図書室になんてなかった。探していたポーの本は確かに借りたけど、他に借りたい本なんてないしな。シェークスピアの本が借りたいといえば借りたいけれど、シェークスピアの本の中で読みたい本があって探しているわけじゃないし……。とにかく週末は、図書室を調べるために、彩夏と一緒に泊まらせてもらおうと思う。


 土曜日になるまでの五日間、池田家騒動で中断せざるを得なくなっていた清水亜由美の消息について、調べまくっていた。村上修司氏のホームページにリンクされている友人、知人たちにコンタクトし、亜由美のことを知らないかと訊ねた。ほとんどの人が知っていると言ってくれて、これは案外早く解決しそうだなと思ったが、彼らが教えてくれる亜由美の連絡先は古いもので、今はすべて使い物にならなかった。しかも彼女は村上氏と同居していたらしく、村上氏が亡くなった後、家を出たそうなので、その後の彼女の行方を知る者が誰もいなかった。亜由美は知人の間で、消息不明の状態になっていた。僕は酷く落胆した。だけど、考えてみれば、自殺をしようとする人間は、消息不明になっていてもおかしくないかもしれないと思う。自殺まで追い込まれるという状況は、きっと人とのコミュニケーションもうまく取れずに、一人で悩み苦しんでいるものなんじゃないだろうか……。

 僕は亜由美のことを文章にしはじめていた。これを本にして出版するつもりなんてさらさらないが、とにかく、亜由美という投身自殺をした女性と悟という彼女を愛した男性のために、何かを残さずにはいられなかった。


 土曜日になったので、彩夏を連れて電車を乗り継ぎ、美里の実家を訪れた。今日も彩夏のリクエストで、お義母さんへの土産はイチゴのショートケーキを用意していた。門から玄関までかなりの距離があるので、玄関までの砂利の敷かれた道を二人でのろのろ歩きながら会話した。

「イチゴのショートケーキっておばあちゃんも好きなの?」

「さぁ?」

「さぁ?って、いい加減だな。自分が好きなだけでしょ?」

「うん。ばれたか……」

「ま、いっか。おばあちゃんは美里のお母さんだし、好きかもしれないしね」

「お父ちゃん、ちゃんとパンツ持ってきた?」

「持ってきたよ。あ、でもパジャマを忘れた……」

「おじいちゃんのを借りれば良いじゃん。おじさんのでもいいけど」

「えーっ……」

 急にテンションが下がった。

 呼び鈴を押すと、いつものようにインターフォンにお手伝いの山田さんが出てきて、「どうぞ、どうぞ。奥様がお待ちかねですよ」と玄関の鍵を開けてくれた。玄関は電気錠になっていて、カチリと音がして鍵が外れた。あまりにも広いから、こういう設備を奥様が付けてくださったのだと山田さんは言っていた。

 彩夏は玄関が開くなり、祖母がいつもいるテレビの間に走って行ってしまった。僕も彩夏の後を追ったが、途中美里の部屋の前を通るので、彼女の部屋の前で立ち止まって、ドアノブを回した。そして部屋の中へそっと入って行った。美里の部屋は物が少なく質素だった。僕はカーテンと窓を開け、外を眺めながら深呼吸した。窓から広い庭一面を見渡せた。庭にはいろんな木が植わっていた。彩夏はいつも木によじ登って果物を取って、お手伝いさんと一緒に食べていると言っていたけど、きっと美里も同じことをしていたんだろうな。庭の木は、美里の子供の頃よりどれくらい大きくなっているんだろうか? 直接美里に訊けないのが悲しかった。しかし、娘時代の美里は、毎朝起きると、カーテンを開け、この光景を目にしていたのだと思うと感慨深かった。ぼーっと窓から庭の景色を眺めていると、ぱたぱたと廊下を走る足音がして、僕がいる部屋の前で止まり、ノックもせず侵入してきて、「お父ちゃん、お祖母ちゃんがお茶が入ったわよって言ってるよ」と彩夏が言った。僕は慌てて窓とカーテンを閉め、お義母さんがいるテレビの間へ急いだ。

 テレビの間にはお義父さんもいた。僕はおどおどしながらも深々と頭を下げた。お義母さんは笑顔で「いらっしゃい」と言ったが、お義父さんは無言で眼鏡の奥から僕を二秒ほど睨みつけると、顔を逸らしコホンと咳払いして、手にしている新聞を読み続けた。いつもなら席をはずしていなくなることが多いお義父さんが、そのままテーブルについて紅茶を飲んでいて、しかも僕が持参したケーキの載った皿も自分の前に置いているので、これは前よりずいぶん進歩したんじゃないかと思って嬉しくなった。

「お祖母ちゃん、今日、お父ちゃんも泊まっていいでしょ? 二人で図書室で調べ物をしたいの」

「え、そうなの? もちろんいいわよ。そうよ、今までだって泊まってくれれば良かったのよ……。ね、お父さん、いいわよね?」

 お義父さんはお義母さんのほうに顔を向けたが、またもや何も言わずに、コホンと咳払いして、新聞を読んでいる。お義母さんは「いいみたいよ」とにこっとして、僕に言ってくれた。

「お祖父ちゃん、パジャマを貸してくれる? お父ちゃんが持ってくるのを忘れたの」

「えっ?」

 今度はお義父さんは無言ではいられなかったようだ。お義父さんは「仕方がないな。お手伝いさんに用意してもらいなさい」と言った。


 お茶の時間が済むと、彩夏は僕の手を握り、図書室まで引っ張って行った。彩夏は「なんだか今日は緊張するー」と言っていたが、それは僕も同じだった。

 図書室に着き、ドアノブをそっと回した。少しだけドアを開けて、部屋の中の様子をドア越しに二人で覗いた。図書室は前に来たときと何も変わらなかった。今日のこの部屋の室温は、他の部屋と同じで、ごく普通に感じられた。ただ、以前は無かった梯子が書架にかけられていた。彩夏が言っていたように、最上段にある子供向けの本を取り出すために、お手伝いさんが用意してくれたものらしい。彩夏は怖がることも無くその梯子をするすると登ると、本を物色し始めた。僕も美里の先祖が代々読んできただろう随分古めかしい装丁の分厚い本を取り出すと、興味深く読ませてもらった。昭和初期の本もかなりあって、最後のページにはちゃんと朱肉を使った印が押されていた。昭和五年に出版された夏目漱石の本にはちゃんと「夏目」という印鑑が押されていて、夏目漱石は大正五年に亡くなっているから、しかも作家である夏目自身が自分の本に一つ一つ印鑑を押すわけがないのだが、「夏目」という朱色の印を見ているとなんだかわくわくした。もっと古い本はないのかと思ったのだが、お義母さんによれば、本が書架に納まりきらなくなるほど増えてしまったので、あまりにも古いものは国立図書館に寄贈したらしい。ちょっと、残念に思った。壁に掛かっている時計をふと見ると、一時間半も僕も彩夏も夢中になって本を物色していた。もたもたしてると夕飯の時間にかかってしまう。僕は彩夏を促した。

 散らかっていた本を書架に収めると、二人でモンブランの写真を睨みつけた。僕は彩夏を抱え上げると、「ほら」と言って、彩夏にモンブランの写真のパネルを外させた。パネルをはずすと、あの「世界の山」にはさまれていた紙に描かれていたように、ボタンが現れた。僕は彩夏の顔を、彩夏は僕の顔を見た。僕は彩夏をもう一度抱え上げると、ボタンを押させた。すると、ごぉぉと音がして、モンブランの写真が掛けられていた壁の一部が凹み、そこにドアノブが現れた。僕と彩夏に戦慄が走った。彩夏はおそるおそるドアノブを回した。すると今度は壁が動いて、ドアのように部屋の中に向かって開けることができた。彩夏は勢いあまって、ドアの向こうの暗闇に転がり込んでしまった。

「いたっ」

「彩夏! 大丈夫か?」

「う、うん……」

 僕も慌てて彩夏の後に続いた。真っ暗で何も見えない。手探りで壁際を確かめていたら、スイッチのようなものを見つけたので、押してみた。すると暗闇に明かりが点った。明かりが点いて周りを見回してみたら、そこは小さな物置部屋みたいになっていて、棚がぐるりと周囲を囲んでいて、いろんな雑多なものがその棚に収められていた。

 棚は三段で、ちょうど僕の目線に当る一番上の棚を一つ一つじっくり見てみたら、ブッロクやら双六やら紙芝居やらなんだか子供が喜びそうなものがいっぱい詰まっていた。開封されてない箱に入ったままの古い人形もあった。二段目には大きな木の箱が置かれてあって、中はブリキのおもちゃでいっぱいになっていた。これって、美里と弟のものだけじゃないんだろうなと思った。きっと二人の父親であるお義父さんのものもあるんだろうなと思う。どう見ても古いものが多すぎた。彩夏は大喜びで一番下の棚を漁っている。僕は突然、本にはさまれていた紙に書かれていたことを思いだした。「たからものはひみつのへやにかくされている」だった。そうだ、「たからもの」は子供にとっての宝物なんだろうな……。僕も面白いなぁと思って、彩夏と一緒になって夢中で物色していたのだが、どうもさっきから靴の裏に違和感があるなと感じていた。僕は何やら小さなものを踏みつけていたらしい。足をずらしてみたら、そこにあったのは、ジグソーパズルのピースだった。しかも一個だけ。そのピースを拾い上げてじーっと眺めていたら、そのピースに見覚えがあることを発見して、びっくり仰天してしまった。

「あーーーっ!」

「な、なにっ? なにがあったの?」

「い、いや、なんでもないよ」

と咄嗟に彩夏には内緒にしてしまった。なぜ僕が彩夏に内緒にしたかと言うと、そのピースは、僕が彩夏の誕生日祝いにあげたモンブランのジグソーパズルの残り一個のピースだったからである。僕は訳が分からなくなった。家にあるはずのピースが、なぜここにあるんだろう? 僕は頭をフル回転して、いろんなことを一気に考えた。考えていて途中眩暈がしたが、そういえば、以前、いつものように預かってもらった彩夏を迎えに来たときに、ポーの本を借りにこの図書室に立ち寄ったことがあって、そのときに、彩夏に内緒で作ったモンブランのジグソーパズルの箱を持っていて、その箱をここで落っことして、ピースをばら撒いてしまったことを思い出した。あの時は本当に焦った。だって内緒にしていたはずの誕生日プレゼントを盛大にばら撒いてしまったのだから。必死で全部拾ったつもりだったが、やっぱり一個落としたままだったんだと思った。なーんだ、手品でも魔法でもなんでもないんだな。多分、落っことしたときに、壁の隙間からこの「ひみつのへや」に転がり込んだんだな。なんだかほっとしたが、ちょっと残念な気もした。魔法のほうがだんぜん面白いに決まっているからである。魔法……と思って、急に魔鈴ばあさんを思いだした。そうだ! 彼女の言ったとおりだ! 僕の探しているものは確かに「大きなお屋敷の本がいっぱい置かれている部屋」にあった。なんだか僕の魔鈴ばあさんに対する評価が急上昇していった。しかし、この最後のピースは、今渡さずに家に帰ってから彩夏に渡そうと思った。だって、この最後のピースがあのジグソーパズルで一番重要で、誕生日のどっきりプレゼントなんだから!

 彩夏の様子を見ると、床の上に座り込んで、一番下の棚に置いてあるものを必死で物色していた。彼女が手にしているものに目を向けると、それは色あせたアルバムだった。しかも亡くなった美里のものだった。棚のほうを見てみたら、十冊くらいはあるみたいだった。

 美里が結婚したときに持参したのは一冊のみで、あとは実家に残してきたと言っていた。そうか、残りはここに保管されていたんだな。彩夏は今まで見たことのない母の姿を見つけてすごく興奮しているようだった。無理もない……、家には美里の写真はほんの少ししかなかったから。棚にあるアルバムは比較的新しいものもあって、彩夏はそれに手を伸ばそうとしていた。そのアルバムの表紙を見て悪い予感がし、僕は思わず彩夏から取り上げようかどうか迷ったが、こっそり分からぬように隠すならともかく、今にもアルバムを開けようとしているのに、今更取り上げる訳にも行かず潔く諦めた。彩夏はアルバムを開けるなり「あ、パパがいるよ!」と言った。びっくりして覗き込んだら、結婚前に二人で撮った写真がたくさん貼られていた。そっか、そうだったな。美里といろんなところへ行って、写真もいっぱい撮ってたな。いろんな思い出がどんどん蘇り+、なんだか彩夏より僕のほうがアルバムに見入っていて、もっと長く感傷に浸っていたいのに、彩夏はどんどんページを捲っていった。そしたら、今度は美里のお腹が大きくなっていることに気付き、びっくりして僕に訊いてきた。

「このお母さんのお腹の赤ちゃんは私?」

「そうだよ」

「ふーん、そうなんだ……」

 そう言って、彩夏は嬉しそうに笑った。でも彩夏は、僕がさっき悪い予感を感じたように、やっぱり最後に一番訊いてほしくないことを僕に訊いた。

「ねぇ、お父ちゃん。私とお母さんが一緒に写っている写真はないの?」

 僕は絶句した。暫く声が出なかった。ようやく口を開こうとしたとき、彩夏は僕がうろたえていることに気付いて、「いいよ、お父ちゃん、答えなくて」と言った。彩夏が今手にしているアルバムは、実は僕がお義母さんに預かってもらっていたものだった。美里が亡くなってから、僕はどうしてもこのアルバムを開くことができなかった。お腹の大きな美里が笑っている写真を見るのが辛かったからである。

「でも、お父ちゃん。ここから何冊か家に持って帰ってもいい?」

「いいと思うよ。お祖母ちゃんに訊いてごらん」

「うん」

 そう言って、彩夏はお気に入りのアルバムを三冊選んだ。彩夏が選んだアルバムは、一冊目はさっき彩夏が手にしていたお腹の大きな美里が写っているもの、二冊目は美里が子供のときのもの、三冊目は高校生から大学生のときのものだった。三冊目を手にしてパラパラ捲っていたら、ある一枚の写真に目が釘付けになった。その写真の下には鉛筆でこう書かれていた。

 『ペンフレンドの清水亜由美さんと』

 えっ? 清水亜由美? もう一度よく写真を見て確認したが、やはりあの清水亜由美だった。息もできないくらいびっくりした。どうしてこんなところにあの亜由美の写真があるんだっ!? しかも亡くなった美里とペンフレンドだなんて! この世にこんな偶然が存在するものなのか?

 僕は頭が混乱しはじめた。亜由美と美里のツーショット写真はかなりの数があった。それは二人で旅行した際に撮られたものだと見られた。二人はかなり仲が良かったに違いない。ずいぶん二人でいろんなところに行ったようだから。

 再び魔鈴ばあさんの言葉、僕が探しているものは「大きなお屋敷の本がいっぱい置かれている部屋にある」を思い出していた。ちくしょう! あのばあさん、実はものすごい超能力者だったに違いない! 一人で地道に探さずに、最初から魔鈴ばあさんに訊けば良かったんじゃないか!

 明日になったら、さっそく魔鈴ばあさんの「占いの館 魔鈴」を訪ねてみようと思った。


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