十五章
村上修司の助手になって、私の生活は急に慌しくなった。一年の半分は海外で過ごすようになっていた。村上は戦場に赴くだけでなく、普通の人々の普通の暮らしを撮るために、テントと寝袋を担いで世界中の片田舎をあてもなく放浪した。旅の途中、NPO団体に遭遇すれば、すすんで一緒に活動した。そうかと思えば、雑誌の表紙の撮影をするために、ニューヨークやロンドンや東京という大都会で、著名人相手にカメラをかまえた。
村上との毎日は刺激的だった。まさに、彼の生き方は、私が幼い頃から夢見ていた理想そのものだった。そんな私が助手としてではなく、個人的に彼に惹かれるようになったのは、必然だったのだろうと思う。けれども、それは決して侵してはならない領域だった。村上には妻子がいた。それでも私は彼から離れられなかった。プラトニックであれば、何の問題もなかったのだろうと思う。ただ単に自分の感情を押し殺し、傍にいて一緒に仕事ができる喜びだけを満喫できたとしたら、どんなに良かっただろうと思う。そうできれば、その後に必ず訪れるだろう苦悩を抱え込まずにすむのだ。そんなことは、とっくに分かっていることだった。だけど、人を愛するという感情を自由にコントロールできる人間なんて、この世に存在するだろうか? それほど深く私は村上を愛してしまっていた。彼もそうだったのだろうと思う。村上はときどき、私の顔をじっと見て、微笑んだ。彼の眼差しはいつも温かく、私は彼のそんな優しげな笑顔を見ているだけで幸せだった。しかし、彼のその黒い瞳の奥に、隠そうとしても隠せない悲しみがあることに、私は気付いていた。気付いていて私は見て見ぬふりをした。彼が苦しんでいるのは分かっていた。分かっていても、どうすることもできない。けれども、彼も私に「別れよう」とは決して言わなかった。
「亜由美、ごめんな」
「え?」
「本当は結婚したいんじゃないか?」
「結婚ってなに? 結婚は子供が欲しい人には必要なのかもしれないけど、私は子供をほしいとは思ってないの。だから、結婚に憧れるってことはないわ」
「そうか……」
「ええ」
そんな会話を村上と二人で何度となくした。私は嘘を吐いていた。私は子供が好きだった。愛する人の子供なら、なおさら産みたいと思っていた。それは願望ではなく、本能そのものだと言ってもいい。世界中のどこに行っても、私は子供達と遊んだ。言葉が通じなくても、ボール一つあればいくらでも仲良くなれる。そういう私を村上は、微笑みながら傍らに座り、何時間でも眺めていた。だから私が嘘を吐いていることなんて、彼はとっくに見抜いていた。見抜いていて、ただ悲しげに微笑んでいた。私も村上も一緒に過ごせる時間が愛おしくてたまらなかった。
いつまでこんな風に彼と過ごせるのか分からない。しかし、そう長くは続かないだろうことを、私も村上も心の奥底で感じとっていた。