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長い長い夢の中で  作者: 早瀬 薫
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十三章

 家に帰るなり、パソコンに駆け寄り、村上修司という写真家のことを調べようとしていた。検索サイトに彼の名前を打ち込むと、かなりの件数がヒットした。

 村上修司は若い頃から世界中を放浪していて、あらゆる紛争地域でフォトジャーナリストとして活動していた。彼が撮ったインドネシア紛争の「父と娘」という、一般人の父親が瀕死の娘を抱いてうなだれている写真がLIFEの表紙を飾ると、彼は一躍有名人の仲間入りを果たした。彼の撮る写真は、どれもが衝撃的だった。あるときは自爆テロ犯の吹っ飛んだ足の先だけだったり、あるときは夕陽に照らされている何千と並んだ粗末な墓標群だったりした。

 僕は彼の写真を見て、知らないうちに涙していた。一枚の写真がこんなにも人の心に突き刺さるのだということを、僕は今まで知らなかった。戦場カメラマンを目指している若者ならば、誰だって彼に師事したいと思うだろうと思った。悟という男性が亜由美に送った手紙の文面には、アフガンやベルファストというきな臭い地域の名前があった。亜由美はきっと村上修司のような戦場カメラマンを目指していたに違いない。彼女も村上修司の作品を初めて目にしたとき、僕と同じ様な感慨に浸ったことだろう。彼女が村上修司の助手になったきっかけは、一体どんなものだったのだろう? 彼と過ごす毎日は、きっとエキサイティングなものだったに違いない。

 村上修司は大学を卒業した後、新聞社の報道写真部に属し、そこで三年間働いた後、独立している。少年の頃の彼は、どうだったのかというと、いわゆるごく普通の子供だったらしい。けれども授業がつまらなくなるとふらっと教室を抜け出して、屋上から景色を眺めているような放浪癖のあるぼんやりした子供だったと彼自身がそう語っている。ただ、勝手に教室を抜け出すので、ときどき騒動になって、教師や親にずいぶん迷惑をかけたらしい。他の同じ年代の子供のように、スポーツや漫画に興味があるわけでなく、しかしテレビから映し出されるニュースだけは食い入るように見ていて、「どうしてこんなことが起こるの?」とその度に質問されるので、答えに窮したと母親が回想していた。周囲の人間も、両親も兄弟も、彼がフォトジャーナリストになったのは、なるべくしてなったようなものだと語っていた。印象的だったのは、友人の言葉で、「彼は名声を得るためにああいう過激な写真を撮っていたわけではない。彼はとても温かい人柄で、紛争地域を訪れた時は、現地の人たちのためにいつも尽力していた。それは単に物資の提供だったりしたこともあると思うが、孤児になった子供を引き取ってくれる人を探したり、怪我を負った人たちを難民キャンプまで運んだり、世間ではあまり知られていないこれらの行動は、写真を撮って名誉ある賞を何度も受賞したという功績よりも、実は多く讃えられべきものだ」というものだった。

 興味深くホームページに書かれていることを読みすすめていたが、けれども、最後の行の文字に、少なからず僕はショックを受けてしまった。まだ存命中だと思っていたのに、彼は三年前にすでに他界していた。それと同時に、彼の営むスタジオも閉鎖されていた。僕は彼がすでにこの世の人ではないという事実に酷く落胆した。せっかく、亜由美という女性に大きく近付いたと思ったのに、これでまた、振り出しに戻ってしまった。ホームページには助手のことは何も記載されていない。あるのは、彼と親交の深かった著名人のホームページのリンク集だけだった。そこをたどっていけば、はたして亜由美という女性に辿り着くことができるのだろうか? しかし、僕がショックを受けた本当の理由は、亜由美に繋がる糸が切れたからだけではなかった。周囲の人間から、尊敬されるだけでなく、慕われる存在だったに違いない村上修司が、彼という人間を失って、おそらく周囲の人間が嘆き悲しんだように、ほんの少し彼のことを調べて知っただけの僕をも嘆き悲しませていた。彼の才能と温かい人柄を知り、僕自身も惜しい人を亡くしてしまったのだと悲嘆していたのである。

 村上修司が亡くなったとき、亜由美の喪失感たるやどんなに大きなものだったことだろう? 彼女は村上修司が亡くなってから投身自殺を図るまで、一体どこでどんな風に、生きていたのだろう? そう思うと僕は酷く落ち込んだ。


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