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長い長い夢の中で  作者: 早瀬 薫
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十一章

 専門学校を卒業した後、私は小さな出版社に就職した。そこで、上司から指示される撮りたくもない写真をいやというほど撮った。芸能人やタレントの家の前で何時間も張ったり、彼らを尾行したりして、スキャンダル写真を狙って撮るというパパラッチまがいのこともした。時には相手側と喧嘩になることもあった。報道写真が撮りたかったのに、なぜ自分はこんなことをしているのか、訳が分からなくなっていた。芸能人やタレントといえども、プライバシーまで侵害する権利など誰にもないはずである。元々そういうものから遠いところにいると思っていた自分が、生活の糧を得るためとはいえ、一番嫌悪することをしていることが、次第に耐えられなくなっていた。毎日毎日悪い夢をみては、うなされるようになった。そんなときに私をなぐさめてくれたのは、沢口恭二氏の写真集だった。彼の写真集を見ていると、カメラマンになりたいと思った初心をいつも思い出させてくれるのだった。とにかく有給休暇を取って、いろんなボランティア活動に積極的に参加し、自分の精神を正常に保つように努めた。誰かの役に立ちたいという思いで、ボランティア活動を始めたのだが、人のためだけでなく、自分のために役立つのだとボランティア活動をしてみて初めて気付いた。大抵の人は、見も知らない私のために、笑顔で、時には涙を流して、「ありがとう」と言ってくれた。その言葉は、荒んだ生活をしている私を何度も何度も救ってくれた。

 新潟で地震が起こった際も、テントを担いで、ボランティア活動に参加していたのだが、そこで私は自分の運命を大きく変える人と出逢うこととなった。写真展を開き、売上げ金を積極的に寄付するボランティア活動をしているフォトジャーナリストの村上修司氏だった。この業界に身を置くものなら誰でもそうであるように、村上修司も、もちろん沢口恭二のことを認知していた。そして彼もまた私と同じく、沢口恭二がきっかけで報道カメラマンという道を歩むことになった、と語った。

 これは何かの運命が働いたのかと思った。不運続きの私にも、ついに道が開けるときが訪れたのかもしれない。その後、何度も村上修司から連絡をもらうようになり、私もこつこつと撮りためていた写真を彼に見せるようになっていた。村上と会うときは、まるで恋人に会うかのように、うきうきと心が弾んだ。興味のあることが同じだと自然と会話もすすむ。彼も私のことを気に入ってくれたのか、そのうち、今の出版社を辞めてうちのスタジオに助手として来てほしいとさえ言うようになった。私は喜んで彼の言葉に甘えた。私は五年働いた出版社を辞め、村上修司の助手として働くようになった。


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