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長い長い夢の中で  作者: 早瀬 薫
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一章

この物語は今から5年前に書かれたものです(2017年現在)。

地震や災害の描写が出てきますので、アップした後も加筆修正していくつもりです。


悲しくて切ない2組の男女の恋愛が綴られています。

主人公、片桐浩紀と六歳の娘、彩夏との会話や、または占い師、真鈴婆さんとの会話は私のお気に入りです。

楽しんで読んでいただけたら幸いです。


なお、二十三章から二十六章までデータが失われており、アップできていな状態です。

ご了承ください。

 その美しい女性は、突如として僕の目の前に現れた。

 その人は最初、空に近いところから天女の羽衣のようにふわりふわりと宙を舞い、僕はその美しい光景に見とれていた。しかし地上に近付くにつれ加速し、高さ五メートルくらいの視界に入ってきたときには、ものすごいスピードでドサッと地上に落下した。本当は最初から、目にも留まらぬ速さだったのだと思う。けれども、スローモーションがかかったかのように、その人が落下していく一部始終が、僕には見えていたのである。彼女は、ビルの屋上から飛び降り自殺を図ったらしい。しかし、直接歩道には落ちず、一旦ビル際の植え込みに落ち、バウンドして歩道に転がった。そのため、彼女の顔は奇跡的に損傷を免れていた。

 生きていたのか、死んでいたのか、僕には分からない。僕はこの光景をただぼうっと突っ立って眺めていた。周りの人間は叫んだり、泣いたり、びっくりしたり、あちこちウロウロしたり、大声で電話したりしていたのに……。とにかく僕は、ただ呆然とその様子を眺めていた。彼女の来ていた水色のシフォンのワンピースは、地上に落ちてからもひらひらと風になびき、これじゃあ、本当に天女に見えても仕方がないなと、彼女の様子を見ながら暢気にもそんなことを考えていた。人が一人、空から降ってきたというのに! 大惨事に違いないのに! どうしてそんなことを考えていたのかというと、目を閉じ横たわった彼女が、亡くなっているようには見えず、ただ眠っているかのように見えたからなのだと思う。腕や足には、植え込みに落ちたときにできただろうかすり傷からの出血が少しみられたが、頭部を損傷しているときによく見られる、耳からの出血はないようだった。ただ気を失っているかのようだった。けれども、虫の息で生きていたとしても、ビルの上から落ちたのだから、おそらく頚椎損傷や内臓破裂などの重症を負っているのではないかと思われるし、とてもじゃないが助からないだろうなと思う。だって、彼女が飛び降りたビルは、八階もあったのだから……。

 今思えば、どうして自分があんなに冷静でいられたのか、不思議で仕方がない。しかし、とにかくあのとき、一つももらさず、僕はその様子を眺めていたかったのである。なぜならば、彼女は見た者の目を捉えて離さないほど、輝くように美しい人だったから。彼女は、普通の人間なら、一度見たら絶対に忘れられないような容姿をしていた。長く美しい睫毛、程よい高さの真っ直ぐな鼻、赤い小さな唇。しかし、彼女の眉は、可憐なそれらに比べようもないほど、意志の強さを表したかのような太くて真っ直ぐなものだった。往年のハリウッドスターに例えて言うならば、ブルック・シールズのような……。すらりと伸びた手足も透き通るように白く、髪の毛は肩の長さほどあり、近頃の若い女性にしては珍しく、染めていないのか、真っ黒だった。白い頬を彩る黒髪が、彼女の美しさを一層際立たせていた。

 僕は彼女が不幸に見舞われたとき、彼女の最後を明確に記憶しようとした。彼女を愛してきただろう人たちに、事の顛末を語らなければならないと咄嗟にそう思ったのかもしれない。だが、そんな現実的な理由ではなく、どうしてもその光景に釘付けになってしまうような圧倒的で非現実的な理由が僕にはあった。その光景は、昨日の夜に僕がうなされながら見た夢にそっくりのものだったのである。


 僕は、売れないミステリー作家である。僕の話の筋の作り方は、昼間の喧騒の中で唸りながら無理矢理搾り出しているか、夜、布団の中で、レム睡眠時に、頭の中に浮かんだことを朝まで頑張って覚えていて、それらを基に後から少しずつ肉付けしていくか、大抵どちらかの方法をとっている。でも、どちらかというと、後者のやり方のほうが七対三で勝っていると思う。寝ながら考えているなんて冗談みたいな話だが、でもそのレム睡眠時に思いついたことは、しっかり頭が起きているときよりも、よっぽどセンスのいいものだったりする。いつからそんなことをやっているのか覚えていないのだが、ミステリー小説を書き始めた中学生の頃から、ずっとやっているような気もする。「寝ている時は、霊界に魂が里帰りしている」と霊能者が言っているのを聞いたことがあるが、まさしく僕は寝ているときに霊界に帰って、足りない僕の才能を、誰の魂だか分からない僕より才能のある奇特な魂に、補ってもらってるんじゃないかと思う。

 僕は、売れないミステリー作家であると同時に、六歳の一人娘を持つ三十五歳の平凡な父親でもある。妻はいない。僕は、娘の誕生と引き換えに、妻を失くしてしまっていた。妻は、情けない自分にはもったいないくらい快活明朗な人で何かにつけて僕より良くできた人であった。だから、彼女を失ったときの絶望感たるや、この世にこれほど不幸な人間はいないだろうと思われるくらいの酷いものだった。けれども、耐え難い悲痛の極みの中にありながらも、自分を哀れむ余韻に浸る暇などなく、小さな娘は毎日泣き、ミルクを欲しがった。だから僕が、今日まで狂気の世界に引き込まれることなく、どうにか正気を保てたのは、ひとえに娘のおかげであると思っている。


 昨日の夜、寝ているときに僕が見た夢は、こういうものだった。僕はよく夢の中で亡くなった妻の美里を捜していて、それでも彼女に会えたためしは未だかつて一度もないのだが、その日もいつものようにしつこく彼女を捜しまわっていた。そうしたら、なぜだか見も知らぬ通りがかりの老婆に呼び止められ、「あんた達がよくデートの待ち合わせに使っていたカフェがあるだろう? あそこで彼女が待っていると思うよ」と教えられたのだった。初めて会った老婆は僕のことなんか知る由もなく、ましてや僕が亡くなった妻を捜しているなどということを知っているはずがないだろうに、彼女はさも僕のことを何でも知っていて当たり前のように、ごく自然にアドバイスをしてくれたのだった。不思議な出来事ではあるが、夢の中のことなんて矛盾していることだらけで、まともなことばかり起こるほうが不自然だと思うので、夢の中の僕も「なんかおかしい」と思いつつも、素直に老婆の言葉に従おうとしていた。

 僕は老婆に教えられたとおり、喜び勇んでいつものカフェに向かった。そのカフェに向かう途中、銀行が一階に入っている大きなビルがあるのだが、カフェはそのビルの真向いにあるはずだった。ところが銀行の少し手前の狭い路地から、突然水色のシフォンのワンピースを着た女性が僕の目の前に飛び出て来た。その女性は僕のことを振返りもせず真っ直ぐビルの裏口から中へ入って行った。そしてエレベーターに乗り、一気に屋上まで登った。僕がなんでそんなことを知っているのかというと、僕はその女性が現れた途端、僕の妻が待っているカフェに行くことをすっかり忘れて、吸い寄せられるように、彼女の後を尾行してしまっていたからだった。いや、尾行という言い方はおかしいかもしれない。だって、僕は彼女と一緒に堂々とエレベーターに乗っていたから。とにかく、彼女が降りた屋上に僕も一緒に降りた。彼女は僕の存在なんかまるでありもしないように、一人でさっさとエレベーターを降りて、屋上へ続く扉を開け、屋上の端まで走り去って行った。僕はなんだか自分が透明人間になったような気がしていた。しかし、視界の端から消えそうになって離れていく彼女の姿を僕は慌てて追った。水色のワンピースの女性は、鉄柵まで行くと一度こちらを振り返った。彼女は僕の顔を無表情に眺めていた。僕も彼女の顔を無表情で眺めた。すると突然彼女はくるっと踵を返すと鉄柵を乗り越え、迷うことなくいきなり空に向かって飛んだのだった。

 僕は彼女が飛んだ瞬間、「うわぁーっ!」と声を上げていた。だから僕は、自分の発したその大声で目が覚めてしまっていた。そういう訳だから、ものすごくはっきりとその夢は僕の脳裏に焼きついていた。だから、今日、夢と全く同じ様に水色のワンピースの彼女がビルの上から落ちてきたとき、これは夢なのかそれとも現実なのか、はっきり区別ができないでいた。だから慌てふためく周囲の人の中で、あんなにもぼんやりと突っ立ち、しかししっかりとその光景を目に焼き付けていたのだと思う。

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