望みを叶える条件
ぴちちち、と小鳥たちが囀っています。
小さな池の水面は風に揺蕩っているし、草花は緩やかに揺れている。
なんて長閑なのかしら。お昼寝に持って来いですわ。
朗らかなお昼時に、のんびりとランチとしゃれ込んでいます。
ごきげんよう、ルルーリア・ハン・ヘルツォークでございます。
お久しぶりです。二年ぶりくらいでしょうか?
もうすぐわたくしは十歳の誕生日を迎えようとしております。そんな時期で御座います。
あれからわたくしにどんな変化があったかと申しますと……、髪が伸びました。艶めくターコイズブルーの髪がより長くなりました。
この世界では女性の髪は長いほど美しい、又は美女としての要素の一つでもありまして、つまりわたくしはまた一段と美の化身として世の皆々様に持て囃される存在になったというわけです。
あらちょっと、笑う所ではございませんが?
それはともかく、そんな事を考えていられるくらい意外とまったりと過ごしているという事ですわ。
まぁ細かに挙げていけば色々とありましたけれど。
わたくしもただ日々を怠惰に過ごしていたわけではありませんし? けれどわざわざここで枚挙していくこともありませんでしょう。必要があればその時にご説明致します。
そしてわたくしは今日、先生のいる魔術師団の舎に錬成術を学びに来ていたと思うのですが、気が付けばこんな感じでピクニック気分に大変身してしまいました。
さて何が起こったのかと申しますと。
わたくしがシメオンの元にやって来た時、彼は何やら考えに煮詰まってしまっていたらしく、気分転換をすると言ってその場に空間裂け目をいとも簡単に作り、転移しようとしたのです。
君も来なさい、と手招きされたのでノコノコと付いてきた次第です。
生まれて初めての、最高難易度を誇る魔術による空間転移の体験をこんなあっさりとしてしまうなんて、拍子抜けもいいところです。もっと劇的で感動的な場面で使用したかったような気もしますが、それが一体どんな場面かと訊かれても思いつきませんので、世の中なんてこんなものですわよね! と納得する事にしました。
シメオンにそれを伝えると、「君らしい」と言って笑われました。
そしてどこから出したのか、ランチボックスまできちんと用意していた魔術師団長に死角はございません。
二人で強制的に穏やかな心地にさせられてしまう、こののんびりとした空間で黙々とサンドウィッチを食しております。
「また護衛さんが顔面蒼白になってしまいそうですわね」
「そうなる前に戻る予定だ」
仕事もあるしな、とシメオンが淡々と答える。
そしてふと、思い出したようにわたくしの方を見ました。
「護衛が替わってもう数か月になるか」
「そうですわね」
わざと、ツンとした言い方をすると先生は小さく笑った。この話題をわたくしがあまり好きではないと分かっているのでしょう。見た目によらず意地悪なのだから。
三年程わたくしの護衛を務めて下さっていたオズワルドは、数か月前に竜騎士団へ入団する為王都を離れました。
彼の次にわたくしの護衛となったのは大人の男性なのですが、私が彼について知っている情報はその程度です。
名前も未だ覚えていませんし、オズワルドと同じとはいかなくてどういった距離感で接していればいいのか悩み中です。
「それにしても先生、わたくしは今一体どこへ連れ込まれているのです?」
「人聞きの悪い言い方をするんじゃない。王宮内だから私と共に過ごすのが嫌ならいつでも自力で戻りなさい」
その"王宮内"というのがとても曲者ではありませんか。一体どれだけの広大な敷地面積を誇っておいでか、魔術師団長様ともあろうお方が知らないはずがありません。
皆さん、基本的に王宮内の移動に馬車を使う程ですからね。
しかもここが王宮内のどこにあるのか分りもしないのに、のこのこと一人で歩いて行けるはずがないじゃありませんか。先生はとても意地悪ですわね。
「君程じゃない」
「あら先生。わたくしの心を読むのはお止めになって」
先生はわたくしの考えが透けて見えると言って、いつもこうして内心での呟きにツッコミを入れてくれるのですが、どこまで見破られているのかヒヤヒヤします。
先生曰く心を読んでいるのではなく、表情からなんとなく考えていそうな事が理解出来るというだけ、なのだそうですが。それすら怖いとわたくしは思います。
なので余り深くは問い詰めないでおこうと決めました。
「ですが、王宮内にこんな長閑な場所があったなんて、知りませんでしたわ」
まぁわたくしは、馬車で決められた道々を走っているのをただ眺めていただけですので、王宮のほんの一部しか知らないのですが。
けれど殆ど人の人が知らない場所みたいですしね。こんな良い場所ですのに、他に人っ子一人見かけないのですから。
知る人ぞ知る穴場なのかと思ったのですが、実はそういうわけでもないらしいです。
「他人がいると気が休まらんのでな、入って来れなくしている」
それが、ここにわたくし達以外誰もいない理由だそうです。魔術って本当に便利ですのね。
わたくしにも魔術師になれるくらいの魔力が無いことが悔やまれます。
「魔術が使えたなら、たくさん出来る事が増えたでしょうに……」
ポツリとしたわたくしの呟きを拾った先生が、ごく小さく首を傾げました。
「君は十分、多くの事が出来ると思うが」
「ダメです、全然足りません。こんなわたくしでは、到底望みなんて叶えられっこありませんわ」
「望み、か」
ふむ、と今度は考えるように顎に指を添える先生。感情豊かとは言い辛い先生ですが、彼も彼でそれなりに表情に現れてる人だと思います。
かつて魔王として、人ならざる者のような先生を見ているので、未だに少しだけ混乱するのも事実なのですが。
ぼんやりと先生を見つめていると、彼は顔を上げてわたくしを見つめ返してきました。
目の前に広がる湖面のように煌めく、美しいアイリスの瞳がわたくしを射抜く。
「その望みというのは、人の身で叶えるのはなかなか難しいのではないか」
そう。生まれながらに微々たる魔力しかない身でありながら、魔術を欲するなんていう、考えるだけ無駄な希望を描いてしまうくらいに困難な願いがわたくしにはある。
その為に他人を利用して、多くの人を犠牲にしようとも、現実にしたい想いが。
これはわたくしに与えられた使命なのだと、信じ貫きたいものが。
「人の身で不可能というのなら、どんなものにこの身を堕としてでも叶えたい望みですわ」
貴方が魔王に身を窶すのを願ってしまうくらいに、罪深いものだと知りながら。わたくしはもうこの想いを止める術を知らないのです。
わたくしの回答は、子供らしからぬ怨を含むものであったのですが、先生は特に驚いた様子もなく軽く頷いただけでした。
本当に、この人の頭の中はどうなっているのでしょうね。先生はもうすぐ二十歳。前世でいうなら今年、闇堕ちしたのですが彼の言う通りその気配はこうして接していても全くあるようには見えません。
前世と今世、一体何が違うのでしょうか。
「先生は……恋人や将来を誓い合った女性などはいらっしゃらないの?」
何となくなのですが、その差に女性の影がちらついているのではなんて邪推してしまいました。
まさか世紀の大魔王様が誕生したきっかけが、女性にフラれたからだなんて笑い話にもりませんが……ちょっとそうなら面白そうだと思いませんか?
わたくしは思います。大いに。
急に話題が自分に向かった事に驚いたのか、先生は少しばかりキョトンとして、答えを探し出すように視線を彷徨わせました。
そして池を見つめ、目を細めたのです。
たった、たったそれだけの仕草が、何故か目が離せない程にわたくしの胸を打つものだったのは何故なのでしょうか。
ああそうか、と勘付かないはずがありません。
この男には居たに違いありません。魔に身が堕ちても構わないと思う方が。そして、そうしてまで成し得なければならない願いがあったのでしょう。
それが今のこの世になはない? だから、魔王にはならないと、そういう事なのでしょうか。
シメオン・ファーレルという何においても規格外な男をそこまでさせてしまうという方が、今世にはいない? もしくは今現在恋人として存在して満たされている?
「ふっ」
色々と頭の中でぐるぐると考えていると、先生は突然、声を出して笑い出しました。
あらなんてこと……。この方でもこんな笑い方をするのね……
いつも口の端を上げるだけとか、目元がちょっと柔らかくなるとか微細な変化しか面に出ないというのに。誰の目から見ても間違えようのないくらい、屈託のない笑みを浮かべています。
「誓い合う、などと綺麗ごとで済む関係ではなかったがね。お互い命を搾取し、魂をすり減らしながらも、求めて止まなかった人ならいた。……いや、いると言った方が正しいのか? なかなかそこの線引きは難しいな」
一体この方は何を仰っているのでしょうか? もう途中からさっぱり理解の範疇を越えてしまっていて、何のお話をしているのだったか分からなくなってしまいましたわ。
『居る』のか『居ない』のか。その答えが曖昧だなんて、どう考えたっておかしいではありませんか。
存在が曖昧? まるで幽霊みたいな言い方ですわね。
「はい、先生!」
「なんだ」
「その方は、人間ですか?」
「良い質問だ」
良い質問なのですか!? 人間ではないという可能性を秘めていらっしゃる方をお求めでしたの!?
さすがシメオン・ファーレル。稀代の魔術師ともなると思考の構造がぶっ飛んでいて、凡人のわたくしでは全くついていけませんわ……!!
不用意に質問してしまったばっかりに、ごくり、と生唾を飲む羽目になりました。
「生物学上、彼女は人間であり、彼女自身も自分程人間らしい人はいないと豪語していたし、私も彼女はそうでありそうであってほしいと願った。しかし、どうもその枠組みが随分と曖昧であったように思うな」
「先生、何を仰っているのか、わたくしにも分かるように説明して下さいといつもお願いしていると思うのですが」
頭の良い方は、頭の悪い者の思考が理解出来ない構造になっているのだと常々思います。
先生は、錬成術の師としてある意味で優秀であり、ある意味でぽんこつです。
説明を三段階くらい飛ばすなんてざらですし、わたくしがどこで躓いているのか理解出来ず、ですので解説も出来ないという事も多いのです。回転の良過ぎる頭のなんと腹の立つ。
「人の身に余るくらいの事象を、彼女は成し遂げたという事だ」
なるほどなるほど。簡潔で素晴らしい回答ですわね。
つまり、凡才なわたくしとはまるで正反対な人という事なのですね。けっ。
「そして、私が今こうして私として存在しているのもまた、彼女の意志ではないかと思う」
それは闇堕ちせずにいられるのは、という事かしら?
まぁ、ではその『彼女』とやらをどうにかしてしまえば、先生は今すぐにでも魔王になると……
「だから私は、君のその望みとやらを叶える手伝いをしよう」
わたくしが暗い考えに浸っている途中に、先生がとんでもない爆弾発言をかましてくれやがりました。なんだかわたくしに都合の良い、でも有り得ない言葉が聞こえて来たような気がするのですが。
「せ、先生……?」
「その為には幾つか質問がある」
「あ、はい。どうぞ……?」
「君は今、ここで何回目の人生をやり直しているんだ?」
は? えっと……
はい――――っ!?
お久しぶりです。思ったより時間が掛かってしまいました