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未来の魔王


「創世の女神は、万有物質エーテルを地水火風木と光と闇の七つに割き、それぞれの属性を司る精霊にその均衡を守らせた。七大属性が世界に満ちる事によって生命が誕生し、それを見届けた女神は大樹へと姿を変えてこの世界に根付いた。その大樹は竜が守る原初の森の中央に存在し、どの大陸にも根を張っているという」


 ぽかり


「いたい」


 細い小枝のような魔術用スティックで頭を軽く小突かれたわたくしは、犯人であるシメオンをねめつけました。


 ですが彼は気にした様子もなく、素っ気ない表情のままスティックをくるくるとわたくしの目の前で回しています。無意識にその先端を目が追ってしまいます。あ、頭がぐるぐるしてきました。


「今日は随分と注意散漫だな。疲れているなら無理して聞く必要はない」

「いえ。いえ、そうではありません」


 魔術師団長として多忙の極みであるシメオンが、無理をして作って下さる時間で、わたくしに錬成術や魔術、それ以外にも色々な知識を教えて下さっています。


「ただ」


 シメオンをジッと見つめます。


「貴方の瞳がとても綺麗だと思いまして」


 彼の鮮やかなアイリスの瞳は、澄んだ色をしていて見ていると吸い込まれてしまいそうです。


 わたくしの言葉にシメオンは暫く呆けていましたが、我に返ると薄く微笑みました。

 冷静沈着な彼は普段から殆ど声を荒げる事も表情を変える事もありません。


「そんな事、久々に言われたな」


 そんなシメオンが、私の大好きなアイリスの瞳を優しく細め、懐かしむような、はにかんだような笑みを浮かべたのです。

 それは十八歳という歳相応なようでいて、もの凄く大人びた表情のようでもありました。


 一体どなたに言われたのだか。


 とにかく、珍しいシメオンの笑顔に、ちょっぴり胸がときめきましたと告白しておきましょう。


 にやにやとシメオンを眺めていますと、彼は「しょうがない奴だな」といった顔で軽くスティックでわたくしの額を押したのでした。


「疲れていないなら、何か悩み事か?」

「わたくし、そんなに顔に出ていますか?」

「自覚がないようだが、君は意外と顔に出るからな。付き合いが長ければすぐに気付ける」


 そう、でしょうか? そんな事初めて言われましたわ。

 前世でも、いつも胡散臭い笑みを張り付けていて、何を考えているか分らないと言われていましたし。

 失礼だこと。それは兄に言って欲しいものです。

 わたくしはただ、面倒だなと思ったり疾しい事があると全て笑顔で乗り越えていただけですのに。


「誰かに何か言われたか。魔術など学ぶ意味はないだとか」


 あらそれを言われたのはランベールですわね。わたくしの場合は、何の役にも立たないでしょうが、本人がやりたいと言うのなら気が済むまでやらせてあげましょう、という感じで見守られています。

 どうせすぐ飽きるでしょう、みたいな思いもきっとあるのでしょうね。


 わたくしは頭を振り否定しながら考えます。さて、どうしたものでしょう。シメオンに話して良いものかどうか。

 本来ならば伝えない方が良いのでしょうが、わたくしは彼の反応を見てみたいと思ってしまうのです。


 彼の反応如何によっては、私の今後の行動も変わってくるかもしれません。


「言われたのはわたくしに対してではございません。先生の事です」


 シメオンにこうして講義を受けるようになってから、わたくしは彼を先生と呼ぶようにしています。


 シメオンは少し興味を引かれたようで、続けろと僅かに顎をしゃくりました。


「先生にはあまり近づかない方がいいと」

「それだけではないだろう」


 そんな強制力のない言葉を受けたくらいで、わたくしが気にするはずがないとシメオンにも分かったようです。

 わたくしは頷いて、確信を突く部分を口にしました。


「貴方は魔族にも見えないけれど、人間だとも思えない、と。……死臭が、するのだと」


 最後は流石に素直に話してしまっていいのか一瞬悩みました。が、ここまできたらもう全て伝えておいた方が良いようにも思えたので、隠す事はしませんでした。


 一体どう思うでしょう?

 シメオンを窺い見ると、彼は今度は表情一つ変えず、考え込むように目を伏せていました。けれどすぐにわたくしの方を見て


「騎士団長殿か」


 簡単に言い当ててしまったのです。わたくしは決して、誰から言われたのかとは言いませんでした。暗にでも個人が特定されるような言い回しはしていないはずです。


 けれどシメオンはすぐに気付きました。


「何故」

「死を嗅ぎ分けるなんて芸当は、ホフステン家の御当主くらいでなければ出来んだろう。私は彼と個人的にはあまり面識がないが、随分と優秀な方だというのは知っている」


 武術を極めたおじ様と、魔術師の頂点であるシメオン。

 ある意味対極にあるお二人ですが、その間には大きな溝があるようです。

 仲が悪いだとか、忌み嫌っているというわけではないようですが。


「否定しませんの?」


 かなりひどい仰りようだと思うのです。何をふざけた事をと憤慨したっておかしくありません。

 けれどシメオンは、おじ様ならば然も有りなんとばかりに納得してしまいました。


「言い得て妙、というやつだな。君が思っているような意味ではないだろう」

「あら、先生はわたくしの考えがお分かりになるの?」

「さてな。だが今は、私が近い内に魔族になるのではないかとでも考えていそうだな」


 まぁ、本当にこの方の脳はどうなっているのかしら。先ほどから言い当てられてばかりなのだけれど。

 確かに、魔術師で死が近いだとか、負を連想する物言いをされれば闇堕ちに結び付けるのは珍しい事ではないでしょうが……


 しかしです。


「先生は魔族にはならないと?」

「なって欲しいのか?」

「そうではありませんが」


 はい、その通りです! などと返せるはずもありませんので一応否定しておきました。


「魔術師の方は精神が不安定であれば、魔に引っ張られるものなのでしょう? なにか、誰かに苛められているだとか、やっかまれて嫌がらせをされているだとかで、苛々が爆発して魔族になってしまうかもしれません」

「ストレスで魔族にというのはあり得なくもないが。結局人間を支配しているのは感情だからな。むしろ感情に魔力が引っ張られるんだ」


 ああ成程。……って、講義が始まってしまいました。いえそうではないでしょう。今わたくしはもっと重大な、今後のこの国の命運を分ける一大事な話をしておりましたのに!


「で、先生はストレスをため込んではいませんの? 何でしたら、わたくしからその元凶になっている方に物申しますわ」


 何生温い事やっているのです。もっと徹底的に苛めなければシメオンに精神的ダメージなんて与えられませんわ! と、叱咤激励して差し上げる所存です。


「どうして俺が陰険な嫌がらせをされている前提なんだ」

「え、されてませんの? 先生なのに?」

「君が私の事をどう見ていたかよく分かった」


 いえ違うのよ。ほらシメオンってば規格外に出来る男ですから。魔術を放てば町が吹っ飛ぶ威力があるくらいにお強いし、とめどなく流れる運河ような膨大な知識量で、更にはお仕事まで完璧に熟す。

 更にはわたくしのような愛くるしい少女にまで慕われている。となれば同僚の方が嫉妬の炎に身を焦がすのも致し方ない事でしょう。


 必死で取り繕ってみましたが、シメオンは胡散臭そうにわたくしを見るばかりでした。


「先程のホフステン殿の言葉で確信した。私は闇堕ちする事はないだろう」

「えええっ!?」


 な、な、な、なんですって!?

 この大陸の人間を震撼させる恐怖の大魔王にならないと、この方はそうおっしゃるのですか!?


「成程な」


 ガターン! と椅子をひっくり返して立ち上がり、ぱくぱく口を開閉させるわたくしに、シメオンは納得したとばかりに頷きました。

 しかし今のわたくしはそれを気にする余裕はございません。


 だって、だって、魔王が誕生しないなんて、そんな未来は想定していなかったんですもの。

 前世ではわたくしが幼い頃から(といっても今より年上でしたが)当たり前のように、シメオンは魔王でしたもの。


 わたくしの計画が根底から覆されて、頭が真っ白になってしまいました。


 あれ、でもちょっと待って下さいまし。

 シメオンが闇堕ちし魔王になることで、彼に引き摺られるようにして次々と魔術師が魔族に転化した結果、魔が大陸中に充満したのですよね。

 尋常じゃない速さで町や村が襲われて行って、救援が全く間に合わないどころか、魔族に対抗出来る人達がどんどんと居なくなっていって……


 そんな状況で目覚めたジェイドと巫女になったわたくしは忙殺され、最終的にあの残酷な終わりを迎えたのです。


 その根本から狂いが生じたならば、一体全体、これはどのような未来になるのでしょう?

 ウィスプがわざわざ異世界に跳んでまで、巫女を探し出すほどに切迫した状況にはならない可能性もあるのではないかしら。


 わたくしは、いいえ、ジェイドはどうなりますの……?



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