騎士団長は
いきなり、耳がキーン! となるくらいに大声を出したわたくしに、騎士見習いさんも敵さん達も、一斉にこちらを向いた。
なんだこいつ? という顔をしています。
「あ、わたくしの事は気にしないで下さいませ。もう大人しくしてますので」
わたくしに出来る事はこれにて終了です。後は端っこの方で大人しく成り行きを見守りますので。
すっと後ろに下がろうとしたわたくしの手を、騎士見習いさんが掴みました。片手で剣を握り、前にいる敵を見据えたまま。
「俺からあんまり離れないで」
な……なんという格好良い少年なのでしょう。
女子の好きな騎士様像を体現したかのような男の子ですわね。わたくしがただの見た目通りの少女だったなら、胸をときめかせていた事でしょう。
わたくしが動かなくなったのを確認して、少年は手を離して剣を両手で握り直しました。
どちらが先に動いたのか、わたくしには分りませんでした。
少年の正面にいた男性がナイフのような小型の刃物を振り下ろそうとしたのを、簡単に払い落として、剣の柄で鳩尾を突く。
倒れる敵から身を躱して横に逸れると、そのまま横にいた男を薙ぎ払う。
次いで後ろから襲って来た男の顎を手で下から突いた。ガチッと歯が当たる大きな音がして、男が崩れ落ちる。
「す、すごい……」
まさか少年がこんなに強いなんて予想外でした。もちろん良い意味で。
十人はいるだろう敵が、次々と倒れてゆく。
少年の剣の刃は潰れているみたいで、敵は切り傷は一つもない。
たった一人の騎士見習いが、大勢の大人の破落戸達を圧倒しています。
これが『見習い』の力ですの?
なら正規の騎士の皆さんの強さって一体どんな?
ホフステンのおじ様の指揮する騎士団侮れませんわね……。将来わたくしの厄介な脅威になりそうで嫌ですわ。
状況も忘れて、破落戸達を応援したくなります。今の内に将来大物として開花しそうな芽を潰して欲しいわ。
将来、大物?
「この、クソガキがぁっ!!」
「危ないっ!!」
「え?」
少年の剣技に見入っていて、近くに倒れていた男から完全に気が逸れていました。少年の声にやっと横を向いたわたくしの目の前に、やたらとデカい極悪な顔の男が立ちあがり襲い掛かって来ようとしている所でした。
高く持ち上げられた熊のような手が、わたくしに向かって振り下ろされようとしているのを、わたくしは呆然と見ているしか出来ませんでした。
「リア」
突然、わたくしと男の間に割って入るように空間に裂け目が出来て、その合間から鞘に入ったままの剣が出てきたかと思うと、男の喉を迷いなく突いた。
嗚咽のような、声とも言えない悲鳴を上げて男は仰け反った。そこへ今度は横からこめかみを狙って靴のかかとがめり込む。
回し蹴りを見事に決めたのは、細身の少年でした。騎士見習いさんと背格好が良く似た、美しい銀髪の……ここまでいえばもうお分かりですわね。
空間の裂け目から突如として現れたのはオズワルドでした。
そこからはあっという間です。オズと少年の二人で大の男達をいとも簡単に昏倒させていく様を見れば、加勢するべきか迷っていたスラムの人達はサッと引いていきました。
準備運動ほどのものでもない、と言った風に息も上げないオズが、わたくしの元へと戻って来て膝をつきました。
「遅れまして、申し訳ございません」
二度目ですわね。オズにこう言われるのは。一度目はオズがわたくしの護衛になった初日に。
「仕方がありませんわね、ギリギリ間に合ってくれましたので許しましょう。わたくしが迷子になってしまったのだし」
「全くです」
え。え? 今なんて言いましたこの人。「全くです」って主に向かってどういう事ですの?
「今は貴女はリアですので」
おっとぉ。ここでそれを持ち出してくるのですね?
お忍びで、今だけはわたくし達の関係性は少し違います。ですからいつもみたいに、わたくしの理不尽な罪のなすりつけは甘んじて受けないと、そういう事ですのね。
「どうして俺達の後ろを付いてくるだけで迷えるんですか。どうせロクに前を見ずにフラフラしていたのでしょう。無数に別れた通路の中から選りにも選ってスラムに迷い込むなど、運が悪いにも程がある。どれだけ心配させるんですか。外出する際には絶対に俺の傍を離れないで下さいと何度もお願いしたはずですが。シメオン殿がいたから間に合ったものの……」
「オズ……貴方そんなに沢山喋れたのね」
「反省して下さい」
たまに喋ったと思ったらなんて可愛げのない……
いつもむっつりと黙りこくっているオズですのに、よくもまぁあんなにスラスラとわたくしの悪口を言えますわね。相当溜まっていたと見えます。そうですか、わたくしの護衛はそんなにストレスですか。
面白いので今後もっとやりたい放題してやりましょう。
「あのー……?」
空間転移でぽっと現れた少年が、敵を薙ぎ倒したかと思うと妖精の如き愛らしさのわたくしを、容赦なく懇々と説教し始めた事に驚き、そして居心地の悪さにそわそわしていた騎士見習いさんが堪りかねて声を上げました。
そう、その意気ですわ! そのままオズの注意をわたくしから逸らして下さいませ!
「ところで一体あなた達は?」
御尤もな質問です。一度は名乗ろうとしたのですが、色々あって未だ名前も知らないままでしたわね。
わたくしは淑女の礼を取りました。
「大変失礼いたしました。わたくし、ルルーリア・ハン・ヘルツォークと申します。こちらは護衛のオズワルド・ユアン・ホフステンです」
「あ、ご丁寧にどうも。……ん!? ヘ、ヘルツォークとホフステン!?」
あまりの驚きに最後の方は声が裏返っていましたね。
予想以上の大物っぷりに慄くがよろしいですわ! と言いたい所ですが、話が進みませんので取り敢えず黙っているとします。
「そちらは」
オズがわたくしを庇うように立って問う。今更少年を警戒したって仕方がないと思うのですが、これが彼のお仕事なのでこれもまた仕方がありません。
「す、すみません! 第一騎士団所属見習い、イーノック・ラプラスです!」
まぁ、第一騎士団といえば、ホフステンのおじ様の直属の部隊。見習いとは言えその若さで配属されるなんて、やっぱりこの方はとても腕が立ちますのね。
とても将来が楽しみな少年ですわね。色々な意味で。
見目も麗しい事ですし、あと二・三年もすれば今日のシメオンのように町中の女性からチヤホヤされるでしょう。
「きゃあっ、イーノック様よ!」なんて……
「イーノック様!?」
「はい! なんでしょうか!?」
わたくし達の正体が分かった途端にカチコチに固まってしまったイーノックですが、わたくしこそやっと彼が誰であるかに気付き思わず大きな声を出してしまいました。
騎士団所属のイーノック・ラプラス。
その名はわたくしの見立て通り、数年後には王都どころか国中に轟く事になります。
これから彼はメキメキと頭角を現し、若干二十五歳でホフステンのおじ様から騎士団長の位を譲り受けるのです。
そしてわたくしが闇の精霊の巫女であった時分には、彼ももれなく守り人としてついてくれていました。
前世では成人したイーノックしか見た事がなかったので、まだ十代半ばといった今の彼ではすぐにはピンときませんでした。
そもそも前世でさほど彼に興味が無かったというのが敗因でしょう。
なんというか彼は、完璧人間と言いますか……なんでもスマートに熟してしまう人でして。
そりゃあ弛まぬ努力もしていたのでしょうが、それを他人に見せる事はなく、常にさらりとしていて、女性の扱いにも長けておりましたし。
天才肌というのかしらね? 正直に言いましょう。わたくしはあまり彼を好いていなかったのです。
こんな初々しい部分を見せてくれていたら、ちょっとは違ったでしょうに。
きっとこれから何年も騎士団で揉まれて成長した結果が、前世のイーノックだったのでしょうね。
これはこれは……崩し甲斐のある……ふふふ
「ところでシメオン様はいずこへ?」
「警備兵を呼びに行っている。すぐに来るはずだ」
「オズ、敬語は?」
「リアにはなくていいのだろう」
「いいけれど」
これはかなり腹に据えかねているご様子。あのオズがこんなに怒って(拗ねて?)いるわ。
「シ、シメオンっていうのはもしかしなくても、俺の知ってる魔術師団長だったりとか」
「しますわね」
「どんな豪華メンバーで!」
気安く町歩いてんじゃねぇよ……! という、絶対に漏れてはいけない内心が駄々漏れになっているイーノックなのでした。
彼も人の子だったのですね。こんな可愛らしい部分があったなんて。
でも今のは、わたくしじゃなければ不敬罪ものですわよ?
「それはともかくイーノック様。先ほどは助けていただいてありがとうございました。後日きちんとお礼をさせていただきますので」
「い、いえ、仕事の一環ですので」
「まぁ……先程はわたくしを姫と呼んで親しげにして下さったのに、そんな他人行儀では悲しいです」
「いえいえ! そんな俺なんかがホントすみませんでした! ひぃメッチャ後ろで殺気立ってる、睨んでくる怖いです貴女の護衛!」
わたくしはとても楽しいです!
スカした男だと思っていたイーノックに、こんな弄り甲斐のある少年時代があっただなんて、なんて素敵な発見でしょう!
その後やって来たシメオンに経緯を説明すると、もの凄く奇妙な顔をされました。困惑しているというか、呆れているというか、驚いているというか。様々な感情が混ざり合った、なんとも言えない表情でした。
お顔が混沌としておりますよと教えて差し上げると、何故か無言で巨大な昆虫が閉じ込められた琥珀を頬に押しつけられました。
どうしてわたくしが、この世に存在する虫という虫全てが、大の苦手だと知っていますの!?
ていうか大人が子供に向かってする事ですの!?
そんなこんなで、シメオンの意外な一面を、わたくしは知りたくもないのに知ってしまったのでした。
ああ、なんて濃い誕生日なのかしら。
前世での八歳の誕生日がどんなだったかなんて、もう思い出せません。




