ポケットには
「もう少し、前向きになれよ。きっとその友達はなつひのこと嫌いじゃないと思うんだ。その子の受験が終わるまでは、もしかしたらこのままかもしれない。でも、受験が終わればまた仲良くなれるよ」
そこまで言うと、彼は突然ジャケットのポケットをごそごそとかき回して、あっ、と声をあげた。
「桃みっけ。それあげる。好きだったでしょ?桃のあめ玉」
わたしの手をとって、栞さんが乗せたのは桃のあめ玉で、懐かしいそのあめ玉に笑みが溢れる。
「好きです。覚えててくださったんですか?わたしが桃のあめ好きなこと」
「もちろん」
栞さんはわたしがバスケ部に入部したときから、ポケットにたくさんのあめ玉を入れているという癖のようなものがあって、誰かが悩んでいる、落ち込んでいる、と聞くとその人のところへ行ってその人が好きな味のあめ玉を配りながら相談を聞く、なんてことをよくしていた。
栞相談所などと呼ばれていたその行為にわたしも何度もお世話になって、そのときにもらっていたのが桃味のあめ玉だった。
「栞さん、ありがとうございます。ちょっと元気出ました。……わたしネガティブなのなおさないとだめですね」
桃のあめ玉を見つめてそう言ったわたしに、彼はにっこりと笑った。
「そうだぞ。もう少しポジティブになれ!」
そう言って笑顔を浮かべる彼に、わたしもつられて笑った。
「話は終わったか?」
いつの間にそばにいたのだろうか、栞さんと一緒にいた男の人は、手にコンビニの袋を持って栞さんとわたしの前に立った。
「おう篤広、ありがと」
「気にするな」
そう言った彼は、わたしに袋を差し出す。目の前に差し出された袋を恐る恐る受け取って中を覗くと、水の入ったペットボトルと、チョコレートが入っていた。
「えっ、あの、これ、」
「あれだけ泣いたら喉も渇くし疲れただろうと思ったんだ。それでよかったか?」
「いや、あの、えっと、」
初対面の人に、ものすごく迷惑をかけてしまった。ハンカチまで借りたうえに、これは受け取れない、とそこまで考えたところで、栞さんが言った。
「なつひ、そういう時はありがとうございますって言えばいいんだよ」
栞さんと男の人の顔を見比べて、蚊のなくような声で、お礼を言った。
申し訳なさでいっぱいになったけれど、心遣いが嬉しくもあった。
「さてと。早く帰らないと親御さん心配するんじゃない?もうすぐ7時だよ」
「はい、ごめんなさい。栞さんも……篤広さん、も」
「はは、いいよいいよ。元気になってよかったな」
にっこりと笑ってくれた篤広さんに罪悪感が湧き上がる。
「あの、ハンカチ、洗って返したいので、」
「じゃあ、栞に渡してくれるか?栞伝いで返すってことで」
「あの、はい、」
「そういえばなつひ、俺のスマホの中になつひの連絡先ないんだ、教えとくね」
スマホを取り出した栞さんに習って、わたしもスマホを取り出し、連絡先を交換した。
メッセージを送るためのアプリには、栞さんの名前が久しぶりに登録される。
「これでよし。じゃあ駅まで送るよ。いいよね?篤広」
「このあと予定あるわけじゃないし」
「じゃあきまり!」
いこう!と意気揚々と歩き出す栞さんの後ろ姿をぼーっと見ていたら、篤広さんがそばに寄ってきて、
「あのチョコレートと水は、栞からだよ。俺は頼まれて買ってきただけだから」
確かにそう言った。
先を歩く栞さんは、わたしと篤広さんがついてきていないことに気がついて、早く!と向こうの方から叫んだ。
栞さんにはお世話になりっぱなしだ。
早いうちに、恩返しをしよう。
手のひらのあめ玉は、わたしに握り締められて、温かくなってしまっていた。
次の日から、わたしは親友に挨拶をするのを忘れなかった。もちろん挨拶をするときには笑顔も添えて。
栞さんの言った通り、その子とは、受験が終わったあと、また仲良くなれることができた。
「なつひ、ごめんね。合格おめでとう」
ぽろぽろと涙をこぼしながらそう言った彼女に、わたしも涙をこぼしながら、合格おめでとう、と伝えることができた。
栞さんには篤広さんのハンカチと一緒に、栞さんと篤広さん2人分のクッキーを渡し、甘いものが大好きな栞さんはとても喜んでくれて、篤広も喜んでた、というメッセージも、渡した次の日に送られてきていた。