終章
1
ラムラスの背でエミリアは、これからどうするのかと私に尋ねた。
私はこの地に留まる意思を伝えた。
「あのくそ忌々しい裂け目を私は塞ごうと思っている。その方法の目途もついた。そうなればもう日本には帰れないことになるぞ」
エミリアは念を押すように言った。
「トトさんが農園で一緒に暮らそうと誘ってくれているんだ。美月にとって彼女は血の繋がった伯母だし、それがあの子にとって一番いいことだと思う。それに日本に帰ったところで、家賃滞納で住むところはなくなっているし、無断欠勤でバイトも首だ。いきなりホームレス状態で、妹二人を抱えてハロワに並ぶなんて、ある意味魔獣と戦うより辛いよ」
エミリアは声をあげて笑った。
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王都で私を待っていたウルスラにも同じ事を伝えた。彼女は私だけでも王宮に留まってくれるよう懇願した。
「サー・オドネルが王の盾の総帥を引退するの。私は夏美にその後任を引き受けてほしいと思っている。女の総帥は先例がないけど、あなたが成し遂げたことを前にしては騎士たちも嫌とは言えないはずよ。だからお願い!」
「できることなら、私も親友の傍に居て助けてあげたい。でも無理なのよ」
「無理って、どうして?」
「子供ができたのよ。私はそういうことに疎いから、最近気づいたのだけど間違いないわ」
ウルスラは大きな目をさらに見開いて驚いた。
「それってお兄様の子よね。となると、その子は王族の男子よ! なおさら、あなたは王宮に居なければならないわ」
「聞いてウルスラ。私はこの子を静かな農園で、自分の手で育てたい。ブランだってそれを望んでいると思うんだ。でも、この子が王室にとって大切な子だということもわかっている。だから、この子が将来を自分で判断できる年齢になったとき、父親が王太子であったことを話そうと思う。それじゃだめかな?」
「わかったわ。でも私には摂政として、その子の成長を見守る義務がある。だから定期的に様子を見にいかせてもらうからね」
ウルスラは片目をつぶってみせた。
「さっきの総帥の後任の話なんだけど、私なんかよりずっと適任がいる」
「それは誰?」
「サー・ロジャーよ。彼なら私も安心してあなたを任せることができる。でも使いをだすなら、早くしたほうがいいよ。彼が鍛冶屋になってしまわないうちにね」
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王都ではもう一つ大きな別れが待っていた。レオだ。
彼はメイスターの学位を取るべく、自由都市イーリンの大学に留学することになった。
別れの前の夜、私は彼にララノアのことはどうするつもりなのかと訊いた。
「大学には五年通わなければなりません。ララが傍にいると、さすがの僕でも勉学に集中する自信がありませんよ。それで僕がメイスターの学位を無事に取った暁には求婚するつもりです」
「ララの気持が変わらないってその自信はどこから出てくるの?」
「変でしょうか? ララは僕の人生にとって不可欠な人です。彼女も同じ気持ちだと思いますが?」
「でも、五年も離れて平気なの?」
「ウッドエルフは二百年以上生きるんですよ。五年なんて一瞬ですよ」
レオはしれっと答えた。
次の日、私とヨシュアは港まで彼を送ったが、ララノアの姿はなかった。
「君には言葉に尽くせないほど世話になったね。私は何も返すことはできなかったけど、君の夢だったメイスターの道に進むことができて嬉しいよ」
「グランドメイスターの推薦状を貰った上に、官費で留学できるんです。それもこれも夏美さんに出会ったおかげですよ。それに……別れの言葉みたいなのは止してください。僕は今でもあなたの従者です。あなたがやめろというなら、僕は夏美さんの傍に留まるつもりです」
「レオ、気持ちは嬉しいけど、それは言う相手を間違えているよ」
「言う相手か……やっぱりララは不満だったのかな。五年くらいへっちゃらだと笑ってたのに……最短では三年でメイスターになった人もいます。僕なら二年で取る自信がある。でも確実を期してそれは言わなかった……」
どこまで不器用な子なんだろう。思わず抱き寄せてしまった。愁嘆場は演じないと決めたはずなのに。
「馬鹿ね。そんなときは吹いたってかまわないのよ」
エルナスでは私の腕にすっぽり収まるほど小さかったのに、今では肩の辺りに頭がくるほど成長した。
「ララには俺がよく言い聞かせておく。それよりそろそろ出航の時間だ。急いだ方がいい」
ヨシュアが追い立てるようにレオを船に送り出した。
港を出て行く船をヨシュアはニンマリとした表情で見つめている。
「なんか企んだ?」
「いえ、何も。ただ船員に頼んでレオの荷物に葛籠を一つ追加してもらっただけですよ」
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私たちが王都を離れ、トトの農園のある島に移り住んだのは秋も深まった頃だ。
「これでアルバートの夢がようやく叶ったわ」
初めての夕食の夜、トトはマホガニーの大きなテーブルに勢揃いした新しい家族を前にして、感慨深げに言った。
トトの三人の子供たちと、私の二人の妹。そしてもうすぐそこに八人目の家族が加わる。
「ふつつか者ですが、これからお世話になります」
私はトトにお辞儀をした。やはりケジメというものは大事だ。美月もリンも私に倣って深々と頭を下げた。
「お世話になります? そんな他人行儀な言い方はやめて。これからは皆で力を合わせて生きていくのよ。夏美も美月もリンも今日からは私の娘同様に扱うから、覚悟してね。畑仕事も家畜の世話も菓子作りもビシビシとしごくから!」
「娘って私も?」
思わず自分を指差した。
「あたりまえでしょ!」
トトが一喝した。
農園の暮らしは想像したよりきつかった。それでも一日の労働を終えて、自分たちが育てたものを頂く。シンプルな暮らしが、今の私にとって新鮮でとても満ち足りたものだった。
今のところ、菓子作りのセンスはリンが一番で、私と美月はまるでセンスがないというのがトトの評価だ。夜は自分たちが焼いたお菓子を食べながら、妹たちと話す。テレビもネットもない暮らしだと、自然とそうなるのだ。
「この世界に住むって勝手に私が決めたけど、日本が恋しくならない?」
私は美月に聞いた。
「ぜんぜんならないと言えば嘘になるよ。友達にも会いたいし、せっかくがんばっていた受験勉強の成果も試したかった。まあ他にも色々と恋しいものはあるね」
「美月は私と違って、リア充だからな」
「リア充じゃないもん!」
「いや、リア充だよ」
リンが思わぬ所からツッコミを入れた。
「毎週のように男子から告られていたし、女子からもチヤホヤされていた。先生の受けだって良かったし、それがリア充じゃなかったら、何がそうなのって話だよ」
「いやいや、告られたからって別に付き合っていたわけじゃないし! それに私のもてオーラって大部分はリンのものだって説があるだから」
「誰がそんな説を唱えているのよ!」
「こらこら、騒がない。またトトに早く寝なさいって叱られるよ」
二人の妹は思わず首をすくめた。
「あのね、私いつかダークウッドに行ってみようと思うんだ」
美月がポツリと言った。
「お父さんが亡くなった洞窟に行って、もしお骨が拾えたら持って帰ろうと思うんだ。だから、お姉ちゃんには内緒で伯母さんから魔法を習っていたんだよ」
「そっか。私は反対しないよ。そのときは三人で一緒に行こう。今私たちがこうしていられるのもガランドのお陰なんだから」
2
翌春、私は男の子を産んだ。
赤ん坊のことだから、ブランに似ているのかどうかはわからいけど、この子の瞳も紫を帯びた灰色だった。
ほどなくして、私はトトに旅に出ると言った。トトはもう少し体調が整うまで待った方がいいと止めたが、私は後のことを頼んでユリシーズに跨がった。
何日か王の道を行き、そして宿場町に入った。懐かしいエルナスだ。
町は相変わらず活気に満ちていた。
カワマスを焼く匂いに誘われて、私は飯屋の前でユリシーズを繋ぐと、店に入った。魚とエールを注文すると、二人連れの商人の隣に腰を降ろした。
魚にかぶりつきはじめると、商人たちの会話がなんとなく耳に入ってきた。
「ところでカイル・ハイデンの国入りの話を聞いたか?」
「カイルって、あの金狼の団長だったカイル・ハイデンのことか? 奴なら流刑になったあと姿をくらませたと聞いたが」
「なんと奴はダークウッドに潜んでいたのさ」
「なるほど、そんな辺境なら司直の手も及ばない。さすが悪党は考えることが違うな。しかし、なんでまたカイルは戻ってきたんだ?」
「どこかで親父が死んだことを聞きつけたんだろう。カイルはなんとあの大地峡を越えて、領地のウエストリバーに帰ってきたらしい。しかも、奴さんはそのとき、百五十人ものウッドエルフを引き連れていたそうだ」
乞食さながらの格好のウッドエルフの一団が立派な城の正門を潜っていく。その先頭は小さなウッドエルフの少女を肩に乗せた鼻の曲がった騎士だ。領民や城の家臣たちがこの珍妙な新領主の国入りをどんな顔でみていたのか、想像するだけで笑いが込み上げてきた。
私は金を置くと、店を出た。
カイルならきっとウッドエルフたちの良き守護者となってくれるだろう。最後の気がかりもこれで晴れた。
ユリシーズに跨がると、私は街道を逸れて砦に向かった。
そこからさらに分かれ道に入り、村はずれの丘のふもとに馬をとめた。
あのときは草一本生えていなかった丘がピンク色のヒナゲシの花で彩られている。魔獣が消えたことで、この地に漂っていた瘴気も消えたのだろう。
丘の上のローランのお墓はきれいに手入れされていた。あの日会った少女たちが、今でも世話をしてくれているのだろうか。
私は白い墓標の前に跪いた。
「ローラン、元気にしていた? ほんとはもっと早く来たかったんだけど、色々あってね。私はやっと妹を取り戻せたよ。でもね、大切な仲間も亡くしちゃった……久しぶりにあったのにこんな湿っぽい話をしてはだめだね。あのね、ローラン……私、お母さんになったんだよ。男の子。あなたの名前をもらってローランって名づけたの。この子が成長して騎士になるのか、菓子職人になるのかわからないけど、あなたのように勇敢でやさしい男に育ってほしいと願っている。旅ができる年頃になれば、きっとここに連れてくるから、逢ってやってね」
私は物言わぬ墓標をしばらく眺めていた。
様々な思いが胸を去来する。
ローランが私の肩に剣を置いて言った言葉が甦る。
「高原家の夏美、戦士の名において、勇敢であることを誓うか」
私は誓いを全うできただろうか。
暖かい春の風が私の髪を揺らした。




