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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
ダークウッド編
86/88

エルフの神殿2

 1

 黒い影は部屋の中のタバコの煙のように魔精気を揺らめかせている。遠目には人型に見えるが、近くで観察していると形は様々に変化している。総体として人の形を保とうしている魔精気といったところか。

 しかし、不自然さは否めなかった。普通、魔精気の流れは幹のような太い部分と、そこから派生する枝葉で成り立っている。今まで対した魔獣は皆そうだった。

 だが、こいつにはその幹の部分がまるで見当たらないのだ。


 私は探りを入れる意味で、軽い攻撃を当ててみた。大きくステップを踏んでフェイントを入れると、すばやく剣を返した。影は攻撃を避けず、剣は奴の腰の辺りを捉えた。手応えはない。剣は空を掠っただけだった。

 バランスを崩した私に、影がすかさず爪を繰り出してきた。ロジャーが体を入れて、ブロックしてくれなかったら危ないところだった。


「こいつの魔精気の流れ、なんかおかしくない?」

「ああ、流れ自体がないみたいだ。一つの魔精気というより小さな魔精気の寄せ集めって感じか」

「なるほど、砂を切ってるみたいなものなのね」

「しかし、まるで手がないわけじゃない。さっき俺が体当たりを食らわせただろ? あのときにはぶつかっている感触があったんだ」

 レオを助けるためにロジャーがタックルを食らわせた時のことだ。

 確かにこいつはその時よろめいていた。とすると、攻撃するときには砂をぎゅっと握るように魔精気を固めるのか。その瞬間なら斬れるかもしれない。

 攻撃を仕掛けてきたときがチャンスだ。それも全力の本気の攻撃だ。


 私はロジャーに目配せした。熟練の戦士は小さく頷きを返した。

 ロジャーが後方に退くのを確かめると、私は大きく踏み込んだ。首を狙って剣を横に払う。剣はやはり空を斬った。すかされて晒した半身に影の爪が襲いかかる。

 早い。しかし、見切れないほどではない。私はもっと早い奴を知っている。ティロロは私に反撃の機会を与えなかった。

 延びてきた腕を私は肘でかちあげて、軌道をずらした。タイミングを合わせて、ロジャーが影の下半身に飛び込む。影が硬直している時間はわずかだ。

 体勢を立て直すや否や、足を取られてもがいている影の肩口から袈裟懸けに剣を振り下ろした。

 今度は手応えがしっかりとあった。

 斜めに両断された影の上半身が地面に向かってずり落ちていく。しかし、そこまでだった。

 たかっていたハエが飛び立つように小さな魔精気がばらけたかと思うと、再びそれは結集して元の下半身にくっついた。


「やっぱ、こうなるよね」

 思わず苦笑した。


「思いだした!」

 さてどうしたものかと、途方に暮れていると、ララノアが素っ頓狂な声を上げた。

「こいつ、すうきけいだよ」

「ロハスのことか?」

 ロジャーが聞き返した。

「うん、なんかね。こいつは子供の頃からいっぱい魔獣の精気を吸い続けてきたらしいよ。それでも足りなくて王の精気を吸いたがってるんだ」

「なるほど、そういうカラクリか」

 ロジャーが人差し指で口髭を撫でた。

「カラクリって?」

「こいつの魔精気はそれぞれが独立した魔獣のそれだってことさ。それをまとめているのがロハスだ」

「つまり、この中にロハスがいるってことね」

「そうだが、どうやって引っ張り出すかだ。おそらくもう人の姿は留めていまい。魔精気の中に紛れ込んでいるはずだ」

「いや、それだけ解れば十分だよ。あとは任せて」

 私は剣を一振りすると、正眼に構えた。


 ——少々、荒っぽいやり方だけど、付き合ってくれるよね。あんたはあのバリャドリーの相棒だったんだもん。


 私は剣の魔獣に呼びかけた。

 剣は答える代わりに、刀身を一層赤く光らせた。


「何をするつもりだ?」

 ロジャーが言った。

「魔精気全開で、すべて斬る。私が魔獣化しそうになったら、その時はクビをはねて」

「止めても聞くような女じゃないよな。安心しろ、スパッとやってやる」

「ありがとう」


 私は高速で剣を振るい続け、魔精気を細断していった。もう相手の反撃など恐れはしない。それより早く剣を振るうだけだ。

 体は熱を帯び、心拍数は上がり続けた。遠のき始める意識の尻尾を必死でつかみながら剣を振り続ける。自分の体が自分のものでなくなっていくようだった。自分の意思で剣を振るっているのではない。得体の知れない私の心の別な領域がそうさせている。

 もうだめかもしれない、そう思ったときロジャーの叫びが聞こえた。

「見えた! ララ、射殺せ」


 ロジャーに頬を張られて気がついたときには、全身汗まみれだった。

「お前は大した奴だよ」

「倒した?」

「ああ」

 ロジャーは床に転がっている深々と矢が刺さっているピンク色の肉の塊を指差した。

「あれがロハスだ。魔獣どもにすべてを吸い取られ脳みそだけになっていやがった」

 自分があれの一歩手前まで行ったのかと思うと、悪寒がした。



 2

「そっちも終わったようね。こちらも無事レオを連れ戻せたわ」

 ぐったりしていたトトが立ち上がった。

「ほんとだ! 顔色がすっかりと戻っている」

 ララノアはレオの胸に耳をあてた。

「心臓もちゃんと動いてる」


 私は快哉をあげているララノアに一つ微笑むと、祭壇の向こう側を見た。

 泣くまい、涙をこぼすまいと上を向いた。

 そんな私の頭をトトが抱え込んだ。

「あなたは正しい選択をしたのよ」

 彼女はそう言った。

「わかってる……でも、あと少しだったのに……」

 誰かが私の手を強く握りしめた。

「ごめんなさい。夏美の気持ちも考えずにはしゃいでしまって」

 半べそのララノアだった。

「はしゃいだっていいんだよ。だってレオが帰ってきたんだもん。私はレオを助けたことを少しも後悔してないよ。ただね、あと少しってことが悔しかった、それだけ」

 もうぐしゃぐしゃの顔のララノアを今度は私が抱きしめた。


「おいおい、まさか勘弁してくれよ」

 突然、ロジャーが呟いた。

 祭壇の向こう、奈落の淵に青い影がいる。見覚えのある青、私だけが感じることのできる青さ。間違いない。


「よせ! そいつは違う」

 すばやく矢をつがえたララノアを制した。

「え、敵じゃないの?」

「私の魔獣だよ……よくまあ今頃ノコノコ出てこられたものね。今までどこにいたのよ!」

 私はベルに怒りをぶつけた。

「そう怒るな。こっちにも色々とやることがあったのさ」

「やることって、あんたの仕事は私を守ることでしょ! こっちはあんた抜きで二度まで戦ったんだからね」

「でも、お前は俺抜きでやり抜いた」

「それは偶々運が良かっただけだよ。ごちゃごちゃ言ってないで、早く剣に戻りなさい」

 そこまで言って、私は剣をどこかに置き忘れたことに気づいた。

「もう俺は戻れない。この腹に魔精気をたっぷり詰め込んでしまったからな。とても剣の中じゃ収まり入れないんだ」

 ベルの様子が明らかにおかしい。いつもの飄々としてつかみ所のないこいつじゃない。

「いったい何を言ってるのよ。魔精気ってなんのこと?」

「この森に彷徨う王の亡霊をすべて吸い込んだのさ。これで王が降臨することはしばらくないだろう。今いる魔獣たちもいずれは人に狩られて死に絶える」

 偽の王が爆発したとき、爆風が中空に吸い込まれていったことを私は思い出した。あれは彼の仕業だったんだ。

 そんなに多くの魔精気を抱えて、彼はどうするつもりなのだろう。頭をかすめる嫌な予感が私の口をつぐませた。

「短い付き合いだったが……」


 ベルの言葉を私は遮った。


「それ以上、言うな! 聞きたくないよ。私から離れるなんて絶対に言うな……」

 言ってるうちに涙がこみ上げるてきた。顔を両手で覆って、その場にへたり込んで、駄々をこねる子供のように私は泣いた。恥も外聞もなく泣きわめいた。ブランが去り、そしていまベルが行こうとしている。


「正気を保っていられるのもあと僅かなんだ。こうしている瞬間にも取り込んだ魔精気どもが暴れやがる。このまま居続ければ、そこの破戒坊主みたいになっちまうのさ。こいつらを引っさげて消えちまうしかない」

「そんなこと相談もなしに勝手に決めんな。魔獣なんていくら出てきたって構わない。その度に私とあんたで退治すればいいんだ」

「人間の女ってやつはわがままで、ヒステリー持ちで、理不尽で、気分屋で……それでいてたまらなく愛らしい……」

「あんた、それ告ってるつもり? 告ったんなら最後まで責任とれ!」

 ベルは力なく笑った。

「名残は尽きん。そろそろ行くぞ。最後に俺からの贈り物を受け取れ」

 ベルはそう言うと、両手をすっと引き上げた。

 祭壇の上にしっかりと抱き合う二人の少女が現れた。まるで同じ夢を見ているように幸せそうな表情の二人。

 一人は美月だった。髪はもう金色ではなかった。私が愛したあの艶のある黒い髪。紛れもない私の妹だ。

 そして、もう一人は銀色の髪と雪のように白い肌、ティロロだった。

「なぜ、ティロロが……」

「そいつはリン、元魔獣の王だ」

「魔獣の王は美月を助けるために消えたのだと思っていた」

「奇跡ってもんはあるもんだな。いや、こいつの強い願いを神かなにかは知らぬが、聞き届けたのかもしれん。まさに消えようとする土壇場でこいつは人間になりやがったのさ。正確には人間の心に変わった。それでちょうどこいつに見合った体が転がっているのを思い出したってわけさ」

「ベル……あんたってやつは……」

「妹が二人できたんだ。俺のことなんぞすぐ忘れるさ。今度こそほんとにさよならだ。あばよ、相棒」

 青い影は奈落の底へと沈んでいった。


「さあ、帰りましょう。ノーラスへ」

 トトが言った。

「ああ、帰ろう」

 私はようやく奈落の淵に背を向けた。




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