エルフの神殿
1
ウッドエルフたちが避難した洞窟はもぬけの殻だった。
どうやらカイルはうまく彼らを誘導したらしい。あとは無事にノーラスに連れて行ってくれることを祈るばかりだ。
「奴ならだいじょうぶさ。あれはあれで、俺なんかと違ってやっぱり人の上に立つ人間だぜ。それにお前が言ったように人並み以上に知恵もあれば、度胸もある。どっかで道を間違えたんだろうが、お前に鼻を曲げられて元の道に戻ることができたんだろう」
ロジャーは私の心を見透かしたように言った。
ギリギリ一人が通れるくらいの鍾乳洞を抜けると、広い通路にでた。蒲鉾型の通路は内部をコンクリートのようなもので固めてあり、壁に設置された魔導石が明るく内部を照らしている。
「これもエルフが造ったのかしら」
私は少し湿気を帯びた壁の表面を撫でてみた。
「いや、たぶんドワーフだろ。これと同じようなものをノーラスのあちこで見たことがある。連中の都市は地下にあったのさ。ドワーフたちは町と町をこんな通路で繋いでいた。これもその名残リだ」
私は王宮の地下にあったドームを思いだした。ブルドーザーも掘削機も無しにどうやって彼らはあれを造ったのだろう。人間がこの大陸にやって来たとき、亜人たちはすでに高い文明を誇っていたという。
エルフの魔法、ウッドエルフの薬草、ドワーフの土木、それらだけでも人間の文明は遠く及ばないものだった。しかし、大陸の覇者になったのは人間であり、亜人たちは辺境へと追いやられた。いずれも高度な知識を持ちながら、なぜ彼らは人間に敗れ去ったのだろう。
私はロジャーにその疑問をぶつけてみた。
「俺が従者として仕えたサー・ボルドンは学のある人だった。彼が言うには人間の欲望は際限がないらしい。そして、けしてそれを諦めない業の深さを持っている。誰かが途中で倒れても、他の誰かが屍を乗り越えてでもそれを手に入れようとする。結局、人間はこうと思ったものは最後には必ず手に入れる動物なんだ。そんな連中を相手にするのに亜人たちは疲れたのだろう」
ロジャーの話は私に地球の歴史を想起させた。
「私たちの世界の人間も同じようなものかな。ところで、あんたはどうして騎士になったの?」
私は急ぎ足のロジャーの背中に訊いた。
「つまらん話さ。お前のように波瀾万丈ってわけじゃない」
彼は振り返って言った。
「いいのよ。聞きたいんだ。それにさ、先を急ぎたいところだけど、少しペースを落とさないと体がもたないもの」
偽の王との戦いで私は疲弊していた。ロジャーの疲れは私どころではないだろう。彼は危険なラインまで魔精気を解放していた。クールダウンしないまま次の戦いに巻き込まれればたいへんなことになる。
「俺は百姓の三男坊だ。耕す畑を分けてもらえるわけじゃない。兄貴の世話になって食うだけの人生のはずだった。幸いこのガタイを見込まれて鍛冶屋に奉公することが決まっていた」
私の意図に気づいたのか、ロジャーは急ぎ足を緩めた。
「鍛冶屋にはなりたくなかったのね?」
「お前の世界のことは知らんが、こっちじゃ鍛冶屋はなかなか大したもんなのさ。一人前になれば金も稼げるし、町にも住める。親方ともなれば領主だって一目置く存在だ。明日の食い扶持の心配ばかりしている貧乏百姓とは大違いだ。でもな、俺は見てしまったんだ。サー・ボルドンが魔獣を打ち倒すところをな」
ロジャーは歩みを止めることなく語り続けた。
「俺が十二の時に村の近くの林に魔獣が棲み着いたんだ。領主は何もしてくれない。なにしろ南部じゃ魔獣は珍しい。どう対処していいのかわからなかったんだろう。困った村人は金を出し合って放浪の騎士を雇った。それがサー・ボルドンさ」
「それに痺れちゃったわけね」
「まあな。城の騎士どもがびびって手も足も出なかった魔獣をボルドンはたった一人で打ち負かしたんだ。祭りの芝居でみた英雄アリソンが現れたのかと思ったよ。その夜、俺はボルドンに従者にしてくれと頼んだんだ」
「彼はすぐに従者にしてくれたの?」
ロジャーは首を振った。
「サー・ボルドンはものの道理をよくわきまえた人だった。放浪の騎士の暮らしがどれほど辛くみじめかを俺に語って聞かせてくれた。得られるものは酒と鹿の肉と宿の柔らかいベッド数日分の金、そして名誉と誇りだ。鍛冶屋になる道があるなら、それを進むのがお前のためだと諭してくれた」
「それでもあんたは納得しなかったんだ」
「俺はボルドンに聞いた。じゃあなぜあなたはそんな辛い思いをしてまで放浪の騎士を続けているのですかとね」
「ボルドンはなんて答えたの?」
「彼は魔操剣を俺に見せてこう言ったんだ。俺はこいつを使える星の下に生まれたからだとね。だから俺は答えた。俺も同じ星の下に生まれたんですと」
「それから、ずっと放浪を続けたの? やっぱり辛かった?」
「旅の大半は屋根のないところで眠った。石のように硬いパンだけの食事が何日も続いたこともある。しかし、悪いことばかりじやなかった。魔獣を狩った日には料理も酒も存分に振る舞われた。村の娘だってよりどりみどりさ。バリャドリーと旅するようになってそれに夢が加わった。名を挙げてお抱え騎士になる夢がな」
「その夢をぶち壊したのが私ってわけね」
ロジャーは薄く笑った。
「それも運命だったのさ。あのままお抱え騎士でいたら退屈で死んでしまったかもしれん。俺はこうやって気のあった仲間と旅をしている方が性に合っているのさ。サー・ボルドンにだってどこかの領主に仕える機会はあったはずだ。しかし彼はそうはしなかった。今ならその気持ちがよくわかる」
私はローランのことを思った。彼もまた同じようなことを考えていたのだろうか。
2
洞窟を出ると、私たちは神殿に急いだ。
石の階段を駆け上がると、柱の回廊の奥にトトの後ろ姿が見えた。少し下がったところにレオとララノアが畏まったように立っている。彼らが無事であることがわかりほっとした。
「すでに始まっているようだな」と、ロジャーが言った。
神殿に足を踏み入れようとしたとき、天上から降るような荘厳な調べが耳に流れ込んできた。私の知っているどんな音楽とも違う不思議な旋律だった。心を揺さぶるその音は圧倒的な感動で私の足をすくませた。それがトトの声だとわかったとき、ロジャーが私の肩をつかんだ。
「魔導師様の集中力を削がない方がいい。俺たちはここで待とう」
彼はそう言うと、石段の上に寝転んだ。
「悪いが少し眠らせてくれ」
余程疲れているのか、それともこのタフな騎士にとっては神秘的でおごそかなこの瞬間すらたいした意味を持たないのか、横になるやいなや軽い寝息を立て始めた。
私は神殿の入り口に立ち、遠くから儀式の様子を見守りながら、ここまでの道のりを思い返していた。
ようやく私はたどり着いたのだ。ここに来るまでの間、多くの出会いと別れを経験した。
ローラン、ティレル、イーリン、赤毛のジョン、市警のロイスに豪胆のレストン、王女ウルスラ、そして仲間となり一緒に付いてきてくれた友。
臆病でひねくれ者で、いつも自分に自信を持つことのできなかった私に彼らは勇気を与えてくれた。そしてそれは誰も奪うこのできない人間の気高さの証なのだということを教えられた。
トトの声が一段と高くて響きはじめた。
何一つ達成できず、奪われるばかりの人生だったけど、今私はやっと大切なものを取り返そうとしている。込み上げてくる感慨が私の頬を濡らす。
――油断するな。
なぜだろう。不意に私はベルの口癖を思い出した。
祭壇から視線をを移し、神殿の中を見回してみる。柱の陰に怪しいものはいないか、天井に何かが潜んでいないか。異常はない。
祭壇の前の床に目を落とした。磨きあげられた大理石の床は、天井に填め込まれた魔導石の光を白く反射しているだけだ。
再び周囲に目を配ろうとして、視線を上げたとき、塵ひとつなかったはずの床に黒い滲みがあるのに気づいた。滲みが次第に広がりだし、そこに影が立ち上がった。
影はゆっくりと祭壇に向かって進んでいく。狙いは明らかだが、トトの儀式を中断するわけにはいかない。美月の魂を引き戻そうとしているのだ。
私は祭壇に向かって走った。
しかし、それより早く誰かが影の前に立ちふさがった。
「やめろ!レオ」
言葉になる前に影の腕がレオの胸を刺し貫いた。
「離せ!レオから離れろ!」
ララノアがその腕に短剣をめった刺しにする。
異変に気づいたトトが振り返った。
影はもう一方の手をララノアに向けて振り下ろした。
トトが素早くシールドの呪文を詠唱する。
ガツンと音がして、ララノアが吹っ飛んだ。
「何をボケッとしてる!」
ロジャーか私の横をすり抜けた。彼はそのまま黒い影に体当たりを食らわせた。黒い影はレオからようやく爪を引き抜くと、ロジャーに襲いかかった。勇敢な戦士は盾と剣で応戦する。
私は何もできなかった。足は根が生えたように動かず、唇を震わせ、その様子を見つめていた。
レオが死ぬ。
その事実は私から勇気を根こそぎ奪っていった。
ララノアが覆いかぶさるようにレオの胸から溢れだす血を両手で抑えながら叫んだ。
「お願い!死なないで」
「夏美!決断するのはあなたよ」
トトが促すように私を見た。
決断、今ならレオを蘇生できる。しかし、私は躊躇した。それは美月を諦めることになる。
私はよろよろとレオに歩み寄り、恐る恐る彼をのぞき見た。
すでに顔からは血の気が失せていた。呼吸は弱々しく、いつ途切れてもおかしくない。私は震える手で彼の冷たい頬に触れた。鼻の下には産毛のようなヒゲが生えている。
——エルナスで会ったときにはほんの子供だったのに、ヒゲなんか生やしちゃって……ごめんね。迷ったりする必要はなかったんだよね。君が死んだら、私は耐えられるわけがない。
私は彼の黒髪を撫でると、立ち上がった。
「トトさん、この子をお願いします」
彼女は確かめるように私の瞳を強く見つめた。
「わかったわ。あの化け物を私に近づけないで」
ロジャーは慣れない両手剣で、黒い影と戦い続けていた。
変幻自在に形を変える影との戦いに盾は不利と判断したのだろう。
「お待たせ」
「ようやく戦士の顔つきに戻ったようだな」
彼は横に立った私をチラッと見て、言った。
「こいつを使え。バリャドリーの剣だ。俺には少々荷が重すぎる」
ロジャーは私に持っていた剣を握らせた。




