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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
ダークウッド編
83/88

追手

 1

 私たちはむき出しの巨大な岩の間を縫うよにエルゴス=サミュラスに至る山の斜面を登り続けた。生命に満ちた大森林の中で、ここだけは草一本生えない死の世界だった。


 途中、麓の森林で巨大な魔精気の爆発を観測した。何か異常なことが起こっているのは間違いないが、今はそれに気を取られているわけにはいかなかった。

 騎士団が執拗に私たちを追っていたからだ。

 彼らが私と美月に執着する理由がわからなかった。すでに目的のものを手に入れている。紛い物とはいえ、魔獣たちを従わせるには充分なはずだ。

 私は存在を消滅させ、美月は姉の元に戻る。私の望みはそれだけだ。あとは好きにすればいい。

 しかし、騎士団は私たちの行く手を阻み、次から次と魔獣を送り込んできた。


「やれやれ、また犬ね。ほんと芸がないんだから」

 岩に腰掛け、しばしの休息を取っていた美月は忍び寄る魔犬の気配に立ち上がった。

「七頭?」

 美月が訊いた。

「いや九だ。移動しながら個別撃破しよう」と、私。

「いや、まとめて倒す」

 美月はきっぱりと言い切った。

「ゲームじゃないんだ。負けたらリスタートってわけにはいかないんだよ」

「ゲームでもリアルでも雑魚は雑魚。無駄に時間を掛ける必要はない」


 戦闘モードに入ったときの美月は性格が一変する。

 梓を傷つけた同級生をボコボコにしたときのことを私は思い出した。敵を憎む激しい心、けして消えることのない闘志。間違いなく、この子はエルナスの野を埋め尽くした魔獣の大軍を前にしても、眉一つ動かさかったガランドの娘なのだ。


 美月は敢えて魔犬どもの真ん中に身をさらした。威嚇するようなうなり声をあける魔犬たち。美月は飛びかかってきたリーダー格の一頭を手刀でたたき落とした。頭蓋骨を砕かれてぐったりしている仲間を前にしても彼らは怯まない。犬たちは次から次と襲いかかってくる。今の彼女にすれば襲いかかる魔犬すらじゃれつく子犬にしか見えないのだろう。

「君たちは遅すぎるのよ」

 最後の一頭の顎を蹴り上げると、美月は背を向けた。


 羽化寸前の体で魔精気をこれ以上使うことはできない。かといって戦いは避けられない。残された道は美月に戦ってもらう以外にない。

 魔精気はその力で依り代の身体能力を増幅する。それが魔獣だ。同じことを魔力で代用できないかと私は考えた。

 魔道師たちは大地の精霊を利用して魔法を使う。ただしそのままでは使えない。彼らは精霊のエネルギーを魔力という形に変換して自らの中に蓄える。その量が多いほど強力な魔法を使うことができる。

 幸い美月にはエルフの中でも第一級の魔道師の血脈を受け継いでいる。彼女が潜在的に持っている魔力は相当なもののはずだ。

 魔法は教えられないが、身体能力をブーストさせることなら教えられる。

 私の目論見は当たった。いや想像した以上だった。

 スイッチを押してやるだけで、美月は魔力を自らの身体能力強化に応用するコツを掴んだ。


「美月はすごいな。戦うたびに強くなっていく」

「魔力の出し入れのコツがつかめてきたみたい」

「今は魔力を身体能力の強化にしか使えないけど、きちんと魔法の修行をしたら、大魔道師になることも不可能じゃないよ」

「ほんとに!? でも魔力がこんな簡単に使えるとは思わなかったよ」

「誰にでも使えるものではない。何年修行しても指先に灯りすらともせないものがほとんどだよ。かつて私が依り代とした魔道師ですら、今の君ほど魔力を使えたかどうか……美月には才能があるのさ」

「エルフの血を引いているから?」

「それだけではない。祖父も父も不世出の大魔道師だったからね。美月にはその偉大な魔道師の才能がDNAに刷り込まれているのさ」

「父親か……」

 ため息とともに美月はつぶやきを漏らした。

 ガランドは美月に父親であることを告げないまま逝った。それは彼なりの娘への愛情だったのだろう。

 しかし、私はあまりに彼が哀れすぎると思い、事実を話した。彼女は多少の動揺を見せたが、きちんと受け入れた。

 ただ父親という存在をまだ十分に消化しきれていないように思う。

 母親と姉の深い愛情にくるまれて育った美月にとって、父親の存在を自分との繋がりの中で考えるには時間が必要なのかもしれない。


「でもなぜあの人は父親だと教えてくれなかったんだろう。チャンスはいくらでもあったはずなのに」

「きっと美月を混乱させたくなかったんだと思う。私たちを分離したあと、君を元の世界に返すつもりだと言ってた」

「わたしを取り戻すために誘拐したんじゃなかったの?」

「最初はそのつもりだったらしいけど、一緒に過ごすうちに元の暮らしに戻すことが一番君にとって幸せだとわかったんだろう」

 いかにも不器用なあの男らしい愛情の示し方だった。


「さあ、エルゴス=サミュラスへゴー! はやく日本に帰ろう」

 美月は自分の中の思いを振り払うように歩き始めた。

 私は美月に嘘をついた。エルゴス=サミュラスへ行けば新しい肉体を手に入れられるのだと。そして共に日本に帰り姉さんと私と、美月の三人の暮らしを始めるのだと。

「お姉ちゃんがリンちゃんのことを知ったら、びっくりするだろうな。今からリアクションが楽しみ」

 リンちゃんというのは美月が私に付けてくれた名前だ。

「声が凛としているからりんちゃん!」

 彼女は朗らかに言った。

 名前を持つ、それはとても不思議な気持だった。何者でもないただの存在であった私が初めて誰かの何かになったのだ。私は彼女を守らなければならない。

「ああ、楽しみだ。とっても」

 私たちは再び歩き始めた。


 2

「なにか来る」

 頂上にある神殿が間近に迫ったとき、美月が身構えた。

 私も魔精気の気配を感じ取った。

「魔犬?」

「いや、違う」

 集団ではあるが、魔精気の大きさにばらつきがある。これは人間だ。魔精気を持つ人間、不吉な予感が走る。

 十メートルはある岩の上から黒い影が飛んできた。月光に煌めく刃。

 ――魔操剣か!

 美月はすでに戦闘モードに入っていた。

「そいつはだめ!」

 闇の中に赤い血しぶきが花火のように散った。

「うぐっ」

 美月は小さく息をもらした。

 左の肩口から袈裟懸けにバッサリとやられていた。それでも美月は怯まず前蹴りを放つ。暗殺者は後ろの岩まで吹っ飛ばされた。

 追い打ちを掛けようとする美月を私は止めた。


 致命傷に至らなかったのが不思議なくらいの深手だ。

「クソっ、躱したと思ったのに……なんなのあれ?」

「魔精気を帯びた剣だよ。あれと戦っては分が悪い。逃げよう」

「さっきは油断しただけ、今度は仕留める」

 美月は暗殺者を睨みつけた。


「魔犬と戦うようなわけにはいかないのよ」

「もう逃げられない。似たような連中にぐるりを囲まれてる」

 私は美月の言葉に慌てて周囲の魔精気を探った。間違いはなかった。すでに敵は包囲を完成させていた。


「とうとう追い詰めたぞ」

 聞き覚えのある声とともに、僧服の男が姿を現した。

 双子の塔にいたロハスだ。

「我慢せずに早く羽化したらどうだ? これだけの魔操の騎士を相手にその娘でどうにかなると思っているのか? 魔力を使った身体強化のからくりなどとっくにお見通しなのだ」

 ロハスは嘲るように言った。

 確かに奴の言うとおりだ。ざっと見たところ二十騎士はいる。いくら美月の潜在力が高くても、魔操剣との戦いには慣れていない。


「私が成体化することを恐れているなら、それは杞憂というものだ。そんな気はさらさらない。異世界に帰る、それだけが望みだ」

 私は美月の声を借りて言った。

 ロハスは体を折り曲げて笑いはじめた。

「何を勘違いしているのか知らんが、そう簡単に消えてもらっては困るのさ。お前にはまだ役に立ってもらわなければならない」

 ロハスは金色の瞳を向けた。もはやそれは人間の目ではなかった。

「お前の魔精気を私が頂く。そして預言が成就する」

「預言だと? 何の話している」

「我が暁の使徒に伝わる預言だ。大いなる使徒が魔獣の王を飲み込み真の世界の再生を果たす。その大いなる使徒に私がなるのだ」

「わかっているのか? 私がお前の中に入り込めば、お前の存在など微塵もなくなるのだぞ」

「私は預言を果たすべき存在として育てられたのだ。子供の頃から魔精気をこの体に取り込んできた。魔獣を狩り、その魔精気を取り込んだ。この体には何百もの魔精気が収まっているのだ。お前もそうやって王になったのだろ?」

 私は心底人を恐ろしいと思った。

「わかっていないのか? そのトカゲのような金色の目、蛇のように鱗に覆われた皮膚、お前はすでに支配されているのだ」

「ほざけ!」

 ロハスは叫んだ。

「その娘を切り刻め! 依り代として役に立たぬほどにな」

 魔操の騎士たちが一斉に剣を抜き放った。


 ――もう羽化して止めるしかない

 幸いここならエルゴス=サミュラスは目前だ。此奴らを始末したあと、駆け込めば、成体化前に美月の体から抜け出すことができるかもしれない。


 私は美月の意識をシヤットダウンしようと試みた。しかしロックされたように私の意識が前に出ることを阻まれた。

「美月、入れ替わって!」

「わたし知ってるの。リンちゃんは自分が犠牲になって、わたしを助けようとしてるんでしょ。わたしにだってリンちゃんの心を少しは読めるのよ。だから、そんなことは絶対にさせない」

 美月は言った。

 闇に光る刃が一斉に襲いかかってきた。

 美月の残った腕を斬り落とし、腹を刺し、心臓を貫いた。

「お願いだ! やめてくれ!」

 私は身もだえするように叫び続けた。

「だいじょうぶだよ。私は死なない」

 すでに両腕を失い、地に倒れ伏した美月の背中に剣が突き立てられる。

「なぜそうまでして、私なんかを守ろうとする」

「と……ともだちだから…」

 もし、私たちを創った至高の存在というものがあるなら、この無慈悲なことを止めさせてくれ。

 私は祈った。


「しぶとい奴だな。首を切りおとしてやれ」

 ロハスが命じた。

 一人の騎士が美月の髪をつかみ頭を引き起こした。そしてもう一人が剣を振りかぶった。

「やめろおぉ!」

 私は悲鳴ともつかぬ叫びをあげたとき、それをかき消すような雷鳴が響いた。

 剣を振りかぶったままの炭化物と化した騎士を一陣の風が吹き飛ばした。


「私の姪からその汚い手を離せ、今すぐにだ。お前たち全員の骨の欠片すらこの世に留めてやらない」


 煌々と輝く月を背に蜂蜜色の髪を靡かせた女が岩の上に立っていた。

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