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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
ダークウッド編
82/88

決戦4

 そいつはナメクジだった。ただし地べたを這いずり回るあの矮小な軟体動物ではない。青白く湿った胴体は陸に上がった鯨のように圧倒的な迫力があった。そして、驚いたことに突き出た二本の角の合間にあの女が半身をめり込ませていた。


 これが成体化した魔獣の王なのだろうか。宮殿の地下で見た王の木乃伊は恐竜のような姿をしていたが、こいつはかなり違った姿をしている。

 私は居住区のホルスの「王は三つの形態を経て成体になる」という言葉を思いだした。羽化した姿が第一の段階なら、今は二段階目ということか。

 最終形態になるまで、どれくらい時間が残されているのかわからないが、放置しておけば、台風のように勢力を拡大し、やがてはノーラスを直撃することになる。止めるなら今しかない。

 しかし、その大きさが脅威であることはいささかも減ずるわけではなかった。追いつかれたら轢き殺されるのは間違いない。


 女は目ざとく私を見つけると、巨体をくねらせて迫ってきた。大木が割り箸のようになぎ倒されたいく。

 もうここは逃げの一手しかない。魔操剣のない今は部活で鍛えた足腰だけが頼りだ。

 私は駈けた。

 とびきりのアイデアが浮かぶまで逃げ回るしかない。馬鹿げているかもしれないが、それほど絶望的な気分ではなかった。ひょっとしたらとんでもない逆転の一手が転がっているかもしれない。そんな気すらした。

 きっとブランと別れたことでハイになっているのだ。生きているのか死んでいるのかわからない宙ぶらりんの彼の存在は、いつも私の心に靄をかけていた。

 彼の死を受け入れたことで荷が下りたのだろう。深い悲しみがいずれ訪れるかもしれない。しかし、今はその時ではない。


 ナメクジは私を執拗に追い回したが、森の中では私に分があった。

 私たちがちょこまか動き回るゴキブリに手を焼くのと同じだ。そして私にはゴキブリより多少はましな知恵がある。ナメクジの位置を絶えず確かめながら撹乱する動きを続けた。

 右往左往するナメクジとコマネズミのように駆け回る人間、シュールな光景は三十分ほど続いた。

 逃げながら私はある事実に気づいた。時々、私を見失うとナメクジは動きを止め、頭上の女は忙しく辺りを見回す。どうやらナメクジは視覚を角の合間に生えている女の目に頼っているようなのだ。

 あの目を潰すことができれば、動きを封じることができるかもしれない。いやひょっとすると、あいつの息の根そのものを止められるんじゃないだろうか。ほとんど直感に近い推理だが、降って沸いたアイデアに私の胸は高鳴った。

 問題はどうやってあの高さまでたどり着くかだ。どう見たって二十メートルはある。魔精気を帯びていればどうってことない高さだが、今の私はただの人間だ。ジャンプできてもせいぜい一メートルだろう。

 木に登ってみたらどうだろうか? 検証するまでもなく却下だ。サルでもあるまいし、たちまちナメクジに木ごと押し殺されるのがオチだ。


 考えに集中しすぎて、足元が疎かになったのだろう。蔓草に足を取られてしまい、思いっきり地面にダイブした。

「クソっ!」

 噛んだ砂を吐き捨てた。

 (落ち着け、距離は十分取っているはずだ)

 自分に言い聞かせて、両手を突く。

 立ち上がろうとした刹那、べしっと何かが背中に当たった。そいつはそのままスルスルと私の胴に巻きつき締め上げ始めた。呼吸が止まる苦しさに私は手足をばたつかせて逃れようとしたが、腐りかけの牛肉みたいな色をした触手はさらに私を締め上げる。

 真っ赤に開かれたナメクジの口がぼんやりと見えた。触手と思ったのはそこから伸びている奴の舌だった。

 舌は私をうつ伏せのまま引き摺りはじめた。そのまま口の中に入れてしまおうという算段だろう。

 プレートが地面との摩擦で火花を散らす。カイルのくれたのが女鎧であることに感謝した。私には少々大きすぎる胸当てと、膝丈上のブーツがなければ、顎と膝を削り取られていたに違いない。


 十メートルほど引き摺ったところで舌は私を持ち上げた。このまま口に入れられたらアウトだ。目の前の枝に必死でしがみつく。

 舌はお構いなしに引っ張っり続けた。胴が絞まり意識がかすれはじめる。枝がミシミシ音を立てはじめた。それでも本能は抵抗することを命じた。私は木の幹に何とか足を絡ませた。しかし、下半身にまで脳の命令は十分に行き渡らなかった。挟む足に力が入らない。

 ゲームオーバーの文字がちらついたとき、酸欠状態の視界に人影が飛び込んできた。

 影は大きく剣を振りかぶると、舌を両断にした。拘束から解かれて落下していく私を逞しい腕が受け止めた。


「あのおばはんに王都まで吹っ飛ばされたが、ようやく戻ってこれたぜ」

 髭の下の白い歯を見せてロジャーが微笑んだ。

「こんなところで王子様に出会えてラッキーね」

「少々、臭う王子様だが勘弁してくれ」

「お姫様抱っこのお迎えはうれしいけど、今は少々やばいんじゃない?」

 再び背後から伸びてきた舌に気づいて私は言った。

 ロジャーはそんなことはお見通しだとばかりに振り向きもせず、私を抱いたまま木の上に飛び上がった。

「結構、身軽なのね」

「硬いだけじゃ盾は務まらん。それはそうと、剣はどうしたんだ?」

「私を守るため盾になって砕け散ったの。今の私には魔精気もないわ」

 ロジャーはそっと私を枝の上に下ろすとため息をついた。

「そいつは厄介だな。守備型の俺ひとりであいつの相手はちときついぜ」

「ノーラス上陸以来、最大のピンチってとこかな」

 魔獣が再び凶悪な舌を延ばしてきた。

 ロジャーはひょいと私を担ぐと次の枝に飛んだ。

「一つだけ手があるんだ。あの角の間に乗っかってる女、あれがナメクジの急所だと思うんだ」

「根拠はあるのか?」

「ないけど、もうそこは賭けよ。幸いあの女の狙いは私、きっと鼻を潰された恨みだと思う。私が囮になるから、あんたは背後から首をはねて」

 ロジャーはあきれたように見つめていたが、人差し指で口ひげを撫でて言った。

「お前が言うと、どんな無茶でもやれそうな気がするから不思議だ」

 背負っていた盾を私に押しつけると、「鼻を潰されるなよ」と、言い捨てて、彼はさらに上の方の枝に飛び上がった。


 私は盾を掲げて地上に下りた。

 奴を挑発して引きつけるつもりだったが、その必要はなかった。

「ちょこまか逃げ回りやがって! お前だけは許さん」

 女は甲高い声で喚いた。

 女はロジャーのことなど目もくれない。予想通り女の狙いは私だ。

 大きく開かれたナメクジの口から舌が延びてきた。

 さすがにワンパターンの攻撃にはもう慣れた。私はロジャーの大きな盾に身を隠した。舌はそのまま盾に巻きついて宙に持ち上げると、鞭をしならせるように地面に叩きつけた。

 真っ二つに割れた盾をみて、あれをさっきやられていたらと思うと、ゾッとした。

 私は樹上に目を走らせた。ロジャーは女の真上にスタンばっていた。私に気づくと、こっちを見るなというふうに手を払った。魔精気を最小限まで絞りチャンスを窺っているのだろう。ロジャーがあそこから飛び降りるのは女が私にとびきりの攻撃を仕掛けた瞬間だ。


「さて、そろそろおしまいにしてやる。私が闇雲にお前を追いかけ回していたと思うか? 今度はお前の骨の欠片すら残さないほど砕いてやる。そのために魔精気をためていたのさ」

 どうやらその時が来たようだ。

「やれるもんならやってみろ! 今のお前を見たら愛しいハンスは卒倒するぞ、化け物!」

 言ってから、しまったと思った。

「ハンスが、たった一人だけやさしくしてくれたハンスが……!」

 女は喚きながら突進してくる。ロジャーが居るポイントから大きく離れていく。

「くそっ、させるか!」

 私はナメクジの巨体に向かって突進した。

(舌が来る)

 魔精気は無くしたが、五感はそれを覚えていた。咄嗟に私は回転レシーブの要領で地面に転がった。舌が地面を打つ。

 見上げると、女の目が白く濁っていた。ベルを砕いたレーザービーム。

(お願い、間に合って)


「取ったぁ!」

 ロジャーの大音声が響いた。

 女の首がゴロリと落ちるのを見届けると、その場にへたり込んでしまった。


「信じられるか! 俺たちはたった二人で魔獣の王を倒したんだぞ。歴史上のどんな英雄ですらできなかったことをやってのけたんだ」

 沈着なロジャーが珍しく興奮している。

「それは王の一歩手前の姿なんだよ」そう言おうとして、私は呑み込んだ。どっちにしろ大したことであるのは間違いないのだから。


 突然、ロジャーの体が傾いた。

「なにごとだ?」

「ナメクジが生きてる!」

「死んだんじゃなかったのか?」

 ナメクジは巨体をわなわなと震わせ始めた。

「やばい! 早く飛び降りて」

 ナメクジはどんどん膨張しはじめていた。次に何が起こるのかははっきりしている。あいつは魔精気を爆発させることで成長を促しているのだ。

 茫然と突っ立ている私にロジャーが覆い被さった。

「どこまで防げるかわからんが、残った魔精気をすべて盾にしてみる」

 耳を圧するような爆音が響いた。

「爆風が来るぞ。俺にしがみつけ!」


 しかし、数秒経ってもなにも起こらない。

「あれはどういうこった?」

 体を起こしたロジャーが言った。

 脱ぎ捨てられた着ぐるみのようにペチャンコになったナメクジの残骸から、漆黒の煙が噴き上がっていた。

「魔精気がすべて吸い上げられていく」

「とにかく助かったぜ。さあエルゴス=サミュラスに向かおう」

 中空に呑み込まれていく黒い煙を見つめながら、私は何かの存在を強く感じた。





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