決戦2
夕闇はすぐに漆黒の闇へと変わっていった。木々の影が無数に立ち並ぶ黒い柱のように目の前に広がっている。その合間を魔獣どもの影が埋めはじめた。
視覚に頼る必要はない。魔精気の流れだけを感じ取ればいい。
「一番強い魔精気のもとまで一直線に進もう」
「わかった」
ロジャーの頼もしい声が闇に響いた。
前方に微かな魔精気の流れを捉える。
打ち込まれた斧の一撃を私は最小限の動きでかわすと、素早く剣を水平に薙いだ。奴は瞬きする暇すらなかっただろう。足元に転がった虎の頭に一瞥をくれると、失った首から鮮血を吹き出している胴体を蹴倒した。
王都を襲った魔獣と同じだ。間違いなく野良ではない。
張り巡らした感覚のレーダーが次の攻撃を察知した。突き出された槍の穂先を数センチの間合いで見切ると、蜘蛛の巣のように血管を浮き立たせた目を見開いた牛頭の喉を突いた。
――ほう、やるじゃないか。特訓の成果か。
――イメージしてるのよ。ブランの動きをね。必要最小限の動きで攻撃と防御を一体化させる。
――なるほど。お前が無駄な魔精気を垂れ流さなければ、俺はもう一段ギアを上げられる。
――今までは低速モードだったわけね。
――問題はお前がそれに耐えられるかどうかだ。強い魔精気はお前を狂わせる恐れがある。
――大丈夫だよ。信じて。私はもうそんなにやわじゃない。やけになるには背中の荷物が重すぎるんだ。
――だが忘れるなよ。油断は大敵だ。
ブゥーンと風を切る矢音が耳元を擦っていった。
――言った尻からこれだ。
ベルは高笑いとともに気配を消した。まったくいけ好かない奴だ。
ロジャーはすでに百メートルほど先を進んでいた。激しくぶつかり合う金属音を立てながら、重戦車のように突進していく。ブランとは対極の戦い方だ。
負けじと私もスピードを上げた。一体、二体、迫り来る敵を屠っていく。
どれくらいか進んだとき、今までとは明らかに異質な魔精気を捉えた。
正体を見極めようと瞳を凝らして闇の向こうを見た。そこだけがぼんやりと明るく浮いている。
女だ。粗末な麻織の服を着た、エルナスの酒場でも、王都の宿屋でも見かけた普通の中年女だ。
ただ一つだけ違うのはそいつには翼があった。
「どうやらあれのようだな」
ロジャーが荒い息を吐きながら言った。
背中を汗が伝った。確かにこいつは今までとは違う。かわすとか見切れるとかいうレベルの魔精気ではない。巨大過ぎるのだ。ピストルで戦車に立ち向かうようなものだ。
「攻め口がまるで見つからない」
「俺も結構な数の魔獣を狩ってきたが、こんな魔精気ははじめてだ」
蹴散らされた雑魚たちが包囲の輪を縮める。大将の登場に勢いを盛り返したのだろう。
「ねぇ、バリャドリーってどんな男だったの?」
「なんだよ。いきなり」
「いや、あんたとコンビを組んでいた男だから、前から知りたかったんだ」
「とんでもないぶっ飛んだ野郎さ。怖いものなんて何もない。あいつが今ここにいたら、あのおばはんに躊躇うことなく躍りかかっていることだろうよ。慎重派の俺とは真逆のタイプさ」
「いや、あんたも十分イカレ野郎だよ。こんな地の果てまでなんの得にもならない戦いに助っ人に来るなんて」
ロジャーは苦笑した。
「違いない」
雑魚どもが一斉に雄叫びをあげ襲いかかってきた。
身構える間もなく、鼓膜に強烈な爆音が響いた。
「なんだ?」
ロジャーが自分の肩に落ちた肉片を払いのけた。辺りにはパーツと化した魔獣の手足が散乱していた。
「余計な手出しをするんじゃないよ!」
女は翼をはばたかせていつのまにか中空にいた。
「あたしゃ殺したくてうずうずしてるんだ。手始めにお前らを血祭りにして、それから王都に行く。そこであたしをこけにした連中を皆殺しにするのさ!」
女は白目をむいて喚き続けた。
「生きていて良いことなんざ一つもなかった。蹴られ殴られ、地べたを這い回る人生だ。それがどうだい、神様はあたしを見捨てはしなかったのさ。あたしを馬鹿にした連中に復讐しろと、とんでもない力をお与えくださった。王都に行き、あの飲んだくれの亭主の頭を潰してやるのが今から楽しみだ」
空中で女は腹を抱えてケタケタと笑いだした。
「狂ってやがる」
ロジャーが吐き捨てるように言った。
中年女というのはどの世界でも相手の反応などお構いなしに一方的にしゃべるものらしい。
「今、黙らせてやるよ」
私はその場で踏み切った。フワリと体が宙に浮く。同じ高さに女がいた。
女は一瞬目を見開いたが、すぐに大きく腕を振った。巨大な火の玉が飛んでくる。
かわすべきか迷ったが、そのまま剣で玉をたたき割った。
爆風と光の眩惑でバランスを失いかけたが、なんとか踏みとどまった。
女はすかさず距離を詰めてきた。貫き手が胸元に延びてくる。
私はそれを右手で掴んだ。
「お前は化け物か!」
女が口を歪めて罵った。
「失礼な。ニュー夏美と呼んでよ」
私は剣の柄を女の鼻面に思いっきり叩き込んだ。
「鼻が! 私の鼻が潰れた。ハンスが褒めてくれた私の鼻が!」
女は空中で半狂乱になって身悶えしている。魔獣になっても女の部分は残っているらしい。
――これが一段アップしたギア? まじですごいよ。
――今お前は厚い魔精気の層で覆われている。ところで大丈夫なのか?
――ん? 何が?
――つまり……その……妙な違和感のようなものはないか?
――あれれ……ひょっとして心配してくれてる?
――ばっ……馬鹿な、なんで俺がお前の心配なぞ……
――大丈夫だよ。世界を丸ごと吹っ飛ばしてやろうなんて気持ちはこれっぽっちもない。それよりこの鬱陶しいことをやり終えて、美月と二人で温泉に出掛けたい。きれいサッパリして、好きなBLを思いっきり読む。更新だいぶ溜まってるはずだもん。それが終わったら職探しか……
――そう思うなら、早くケリをつけろ。あいつが持たないぞ。
地上ではロジャーが群がる雑魚相手に奮戦していた。
「よくも私の愛らしい鼻を! お前も同じ顔にしてやる」
女の体は炎に包まれ、自ら魔精気の塊になって飛んできた。
さすがにあれを直撃されるとやばい。
ぎりぎりまで引きつけて、間一髪のタイミングで横に逃げた。
怒りに駆られて魔精気をうまくコントロールできないのか、炎はいびつに形を変え続けている。
ようやく暴れる炎を落ち着かせて、女が二撃目の態勢に入った。
翼がある分、空中での戦いはあちらに分がある。
私は翼に狙いを定めた。その部分は飛ぶことに特化しているから、無意識に動いている。読み通りなら防御も薄いはずだ。さっきよりさらにぎりぎりまで引きつけなければならない。こちらの意図を悟られたら失敗する。
翼をはためかせて女が向かってきた。炎のように見えるのは体全体から吹き上がる魔精気だ。案の定、翼の部分を覆う魔精気は薄い。
通常の感覚なら考える暇もない一瞬が、焦れるほど長く感じる。魔精気を帯びたこの体は時間の流れを相対化し、一度に多くのことを認識できる。いつの間にか強張っていた筋肉をほぐすため一度深呼吸を入れた。
憎悪に満ちた女の目の色がはっきりわかる距離まで来た。しかし、まだだ。
相手にもこちらを注意深く観察する余裕があるのだ。
私は魔精気の流れを止めて、目を閉じた。ゴクリと生唾を飲み込む。
瞼を通してくる炎の光の量がタイミングを教えくれた。
今だ!
女の吹き出物の跡まで見えた。繰り出した前蹴りがカウンターで入る。脚の骨が粉のように砕けたのがわかった。脚一本で動きを止められたなら安いものだ。
私は魔精気を翼の根元に振り向けた。
会心の手応え。
片翼を失った女はクルクル回りながら落ちていく。
「ロジャー! 逃げないようにそいつを捕まえて」
私は地上の大柄な騎士に向かって怒鳴った。
「任せろ!」
巨体に似合わぬ素早さでロジャーは走った。
ドスンと地面に落ちた女はそれでもすぐに立ち上がった。
しかしそこにはロジャーの猛烈なタックルが足元に待っていた。
「そろそろ終わりにしようぜ」
私は逆手に剣を持ちかえると、仰向けに転がされた女に向かって降下した。




