決戦1
1
「魔獣の数は?」
飛び込んできた男に私は訊いた。
「百はいたと思う。奴らはここに向かっている。のっそり歩いていやがるからまだ少し猶予があるが、いずれにせよ時間の問題だ」
「大蛇の腹には地上に出る道もあるの?」
私は狼狽しているウッドエルフたちに向かって叫んだ。彼らはお互いの顔を見合わせるばかりで、返答はない。知る者はいないのかと思ったとき、老婆が進み出た。
一瞬、居住区のホルスが現れたのかと思った。きっとこの人も二百歳を超えているのだろう。
「大蛇の腹の中はダークウッドのあちこちに出られるよう枝分かれしている。ただ道が細くてのう、ひとりがようやく通れるくらいなのじゃ」
百を超える魔獣が洞窟内に侵入してきたら、どうなるかは容易に想像できる。となれば、私たちだけがエルゴス=サミュラスに向かうわけにはいかない。彼らが村を失ったのはこちらの責任なのだ。
しかし、美月と魔獣の王もエルゴス=サミュラスを目指している。美月の魂が遠くに行ってしまえばすべては手遅れだ。一刻も早く見つけなければならない。
それでも私は不思議なほど迷わなかった。
「トトさん、美月をお願いします。あの子の魂が肉体を離れていれば、呼び戻せるのはあなたしかいない」
偽の魔王との戦いで彼女を危険にさらすわけにはいかない。
聡明なエルフは私の意図を悟ったのだろう。
「必ず後から来るのよ」と彼女は言った。
「もちろん。でも……もし、行くことができなければ、あの子を日本に返してやってください」
返事の代わりに、彼女は私の手を取ると強く握った。言葉はなくともその思いはすべて伝わった。
次に私はレオを見た。
「ララと二人でトトさんを助けて。君が一緒なら私は安心だ」
「しかし……」と言いかけて、レオは口をつぐんだ。
私は彼の素直な黒髪を抱え込むと、ぐしゃぐしゃにかき回した。
「いつか君は私のことをこの世界に遣わされた女神だなんてこっぱずかしいことを言ってくれたよね。でもね、私にとって君こそ神様がくれた贈り物だと思うんだ。一緒に居てくれてありがとう」
レオは私の胸に顔を押しつけて嗚咽した。
私にとってレオこそが暗闇を照らし続ける灯火だった。この土壇場でレオが傍に居ないことは不安だった。しかし、もう充分だ。
エルゴス=サミュラスに行く道に危険がないとは限らない。だが、偽の王との戦いが仲間の命を危険にさらすというベルの予言を私は恐れた。彼は根拠の無いことは言わない。
いつまでも震えているレオの手をララノアが引っ張った。
「行こうレオ、夏美は死なない。ボクにはわかるんだ。だから、やるべきことをやろう」
ララノアは私の目を真っ直ぐに見つめると言った。
「レオのことは任せて、ボクが命に代えて守るから。だから夏美も必ず戻ってきて。約束だから」
洞窟の奥に消えていく三人を見送りながら、これで良かったのだと私は自分に言い聞かせた。
「それで奴さんはどうするつもりだ?」とロジャーが訊いた。
カイルはウッドエルフの姉妹に別れを告げていた。
「これでお前たちとはお別れだ。達者でな。ああ、それからお前らは二百年ほど生きるんだよな。なら後世の者に伝えろ、ウッドエルフの守護者カイル・ハイデンの名前をな!」
豪快に笑ってはいたが、無理をしているのは明らかだ。
私たちの視線に気づいたカイルは照れ笑いを浮かべながら、歩み寄った。
「待たせたな。行こうぜ」
ウッドエルフの守護者か……その響きは私の耳に残り続けた。
2
洞窟を出ると、夕闇が迫っていた。
「魔精気の臭いビンビン漂ってくるぜ」
口髭を指で整えながら、ロジャーが言った。
目には見えないが、森の中から押し寄せてくる巨大な魔精気の波を私にも感じることができた。
背後を振り返ると、ウッドエルフたちが砂の入った麻袋を積み上げてバリケードを築いていた。用意がいいのは日頃から外敵の襲来に備えていたのだろう。皆、矢を背負っているところをみると戦うつもりらしい。
「できるだけ洞窟から離れたところで迎え討ちたい」と私は言った。
「連中の弓の腕前はララノアで証明済みだ。彼らを背にして戦うのが賢明だ」
カイルが言った。
「もうこれ以上、あの人たちから犠牲を出したくないない」
「あいつらは人が好すぎる。ノーラスじゃ三日も生きられないほどにな。疫病神の俺たちに恨み言ひとつこぼしやしねぇ」
カイルは悔しさをにじませるように言った。
善良であるが故に、彼らは村と仲間を失った。そしてその隠れ家からも追われようとしている。
無事に避難できたとしても、私たちのせいでこの森はウッドエルフにとって危険が多すぎる場所になりつつあった。
元々、彼らの故郷はノーラスなのだ。そこに戻れるなら、それがいい。ウルスラが摂政となったこれからなら、ノーラスはウッドエルフにとって新しい安息の地になれるはずだ。
「斬り込みは私とロジャーでやる」と私はカイルに言った。
「俺のことなら心配はいらん。魔操剣はないが、ドワーフの防具と剣がある。雑魚を減らすくらいの役には立てる」
カイルは鈍い黄金色の剣をかざして見せた。
「カイル、気持ちはありがたいけど、あんたは立ってるのよ」
「立っている?」
「死亡フラグ」
「何だそりゃ?」
「まあいいよ。とにかくあんたには死んでほしくないのさ。あの子たちのためにもね」
私はバリケードの陰で見え隠れにこちらを伺っている二人を顎でしゃくった。
「ばっきゃろう……なんでこんなとこに出てきたんだ。なんでみんなと行かなかったんだ!」
カイルは慌ててメイファとカレンの元に走った。
「ごめんなさい。でもカレンがどうしても行くと言ってきかないんです。私だってカイルさんとお別れしたくない!」
メイファはカイルに縋りついた。
「俺は騎士だ。お前たちを守る義務がある。それにな。戦場で死ねるなら、そいつは騎士にとって華ってもんだ」
カイルはそう言うと、カレンを抱きかかえた。
「なあカレン、俺はとんでもない極悪人だった。お前とメイファに出会えて生まれ変われた気がする。だから、格好よく死なせてくれ。お前たちの思い出の中では華々し騎士として残りたいんだ」
カイルは武骨な人差し指でカレンの頬に伝う涙をすくった。
「いやだよ! 絶対に死んだらいやだ。格好いい騎士なんかじゃなくていいもん」
カレンはカイルの腕の中でだだたをこねるように暴れた。
「もうここはこの子たちにとって安息の地ではない。お願い、カイル、ウッドエルフたちをノーラスに連れて帰って。そして彼らの守護者になってほしいの」
「無茶言うな」
「あんたならできる。知恵も勇気もあるもん」
「お前は俺にそんなものがあるって言うのか……」
カイルはまだ逡巡しているようだった。
「乙女を守る、これに勝る騎士道はないぜ。代わってもらいたいくらいだ」
ロジャーがカイルの肩に軽くパンチをくれた。
「くそったれ、夏美を死なせたらお前の悪評を王都中に広めてやる!覚悟しておけ」
カイルはロジャーの兜をコツンと叩くと、背を向けて去った。
「魔獣はボスさえ倒せばあとの雑魚は戦意を失うのよね?」
ロジャーは盾の把手にしっかりと紐で手を縛りつけていた。
「一応そういうことになっている。だがそこに辿りつくのはなかなか難儀だぜ」
「まとめてぶっ殺せば、そのうち当たりを引くさ」
「違いない」
ロジャーは口ひげを緩ませ微笑んだ。
「それじゃそろそろ行こうか!」
「何処へなりともお供します、マイレディ」
ロジャーは慇懃に西洋式のお辞儀を返した。
私は背中の剣を抜くと、一振りした。
ブーンという機械の唸るような音とともに剣は青く輝き始めた。
――さあ、出番だよ。
――今度は命のやり取りになる。心して掛かれよ。
――今日はずいぶんと、積極的ね。
――もう逃げ場などどこにもない。倒すか倒されるかだ。行け!
魔獣が吠えるのを合図に私は駆け出した。




