衝動
1
寝台に縛り付けた美月を取り囲み、ひたすら呪文を唱え続ける男たちには見覚えがあった。かつて私をこの世界に誘った男たちだ。
この世界の者たちは、私たちを魔獣と呼ぶが、私たちは本来肉体を持たない。魔精気という意思を持ったエネルギーとして、こことはまるで違う物理法則が支配する時空に存在する。
この世界の生物は自分のコピーを再生産し、種族の維持と繁栄を本能としているが、私たちは逆に他の魔精気を取り込み、空間を自らの意識で埋め尽くそうとする。
拡散と収斂、ベクトルは違うが、存在を維持するという意味においては同じだ。
私はそういう世界で、他の魔精気を取り込んでいき王となった。
王の意識が空間を完全に満たした瞬間から崩壊が始まる。どうしてそうなるのかはわからないが、凝縮された恒星が重力崩壊を起こし爆発するように再び拡散へと向かう。それが私たちの世界で繰り返されてきた運動法則だ。
泡がはじけていくように、私がかつて取り込んだ魔精気が飛び出していくのを感じた。いよいよ死は近い。物質的な意味においては私たちは不死だが、崩壊が始まると、私の記憶はすべてリセットされてしまう。それは個としての私の死を意味する。
私から飛び出した魔精気たちは猛烈に加速された粒子となり、時空の壁に衝突していき、穴を開ける。その穴がたまたまノーラスにつな繋がっていた。
彼らはその穴を通じて、私を招き寄せ、彼らが依り代と呼ぶ人間の体に私を閉じ込めたのだ。
肉体を持たない私にとって、依り代に閉じ込められることは牢獄でしかなかった。
不快さと不自由さで次第に病んでいく。私は魂の束縛を解こうとあがいた。
死を冀ったが叶わなかった。本来なら失われ霧消するはずの私という記憶は、肉体という形を得たことで生き延びた。
この地上を死で満たし、すべての肉体を滅ぼすことが、魂を浄化させる唯一の方法に思えた。人間の持つ魔性は魔精気と相性が良かった。彼らの強欲、嫉妬、破壊衝動を魔精気は物理的な力に変えることができた。そしてそれは私たちを真の魔獣に変えたのだ。
私たちはあらゆる目につくものを破壊し、動くものを殺した。三人の魔導師が私たちを止めた頃には、この大陸の大半は血の海と屍体の山と瓦礫の野と化した。魔導師たちはあろうことか、私を胎児の魂に閉じ込め、また別の世界へと解き放った。
純粋無垢な魂の奥底で私は彼女の成長を待った。
今は小さな萌芽にすぎないこの娘の魔性もいずれ大きく育つ。そのとき私は再び顕現し、地上に死をもたらしてやると決意した。
2
美月、そう名づけられた娘はすくすくと育った。
彼女を拾った母子は、自分の分身のようにこの子を慈しんだ。彼女が笑うと、自分たちも笑い。言葉を話すようになると、代わる代わるにやってきて、飽きもせずに話しかける。
ノーラスでも親子というものを見た。
踏み殺されそうになる我が子を庇って死を選ぶ父親、無駄な抵抗とわかっていながら、老いた母を守ろうと戦う息子。
それは自らのコピーを失うまいとする本能の営為としか、私に目には映らなかった。
しかし、この母子はどうして自分たちの遺伝子を受け継いでいるわけでもない美月を保護しているのだろう。見ず知らずの異世界の女に託された子を我が子、我が妹のように育てるふたりを不思議な気持ちで私は見ていた。
美月にも魔性の心はあった。むしろ常人のそれよりも深いものだった。そうでなければ王たる私を長くその心に宿す器とは成り得なかっただろう。
もちろんそれが表にでることはなかった。母と姉、二人の愛が彼女の中の悪の心を地底の奥深くに押しとどめていた。
しかし、一度だけ危機が訪れたことがある。
彼女が高校に入学したばかりの頃だ。母親を亡くしたばかりですこし精神的に不安定な時期だった。
幼なじみの梓がある少年にひどく傷つけられたことがある。梓は同じクラスの少年に恋をし、そして告白した。少年はそれを受け入れる振りをしてキスをした。彼の手が胸にのびて、怖くなった梓は振り切って逃げたが、少年はその一部始終をスマホで録音し、翌日の教室でクラスの男子に公開した。
泣き崩れる梓の背中を一つ摩ると、美月は笑い転げている少年の胸ぐらを掴み、顔面を思い切り殴りつけた。仰向けに倒れた少年に馬乗りになり、美月はさらに殴り続けた。鼻は変形し、唇が裂けて、前歯が折れた。拳は血で染まったが、美月は止めようとしなかった。
私は彼女の中にこんなにも凄まじい憤怒の念が潜んでいたことに、驚き、そして恐れた。どうして恐れたのか自分でも分からない。むしろ彼女の持っている破壊衝動は歓迎すべきことなのだ。それは私が彼女の体を乗っ取り、私が顕現したとき、大きな武器になる。
しかし気がつくと、美月を押しのけて、私は自分の意識を表出させ、教室にいる者たちが今目撃し記憶を消し去った。
その一件以来、私と美月の意識の一部が融合してしまい、彼女の喜びや悲しみ、感情の揺れを共有することになった。
暁の使徒たちに混じり呪文を唱えているガランドが、私たちを分離しようとしても、それはもはや不可能なのだ。
3
誰かがこの部屋に向かってくる気配がした。この部屋に居るものたちとは違う明らかな害意に、
私は身構えた。
「枢機卿、儀式の最中だ。ご遠慮願おう」
暁の使徒の一人が部屋に入ってきた男に言った。
「それは申し訳なかった。しかし、君たちが手こずっている様子なので、気になってね」
枢機卿と呼ばれた男は答えた。
「実は困った事態に陥っている。封印は解くことができたのだが、王がこの娘の身体から離れようとしないのだ」
使徒のリーダー格の男が、今日はもう終わりだというように手で皆を下がらせながら言った。
「なるほど、それは確かに困った事態だ。しかし、我々が用意した依代は完璧な素材のはずだがね。この男は人の悪しき心をすべて兼ね備えている。神さえ見放した化物だ。自分の親を殺したのを手始めに、山賊に身を投じ、村々を襲って、殺し、犯した。女房と呼んだ女ですら三人殺している。苦労して、断頭台から連れてきたのだよ」
枢機卿は私の隣の寝台に寝かされている毛むくじゃらの大男を指して言った。
「依代には問題はないと思う。むしろこの娘と王に何か我々の知らない関係が生じたのかもしれない」
「娘の身体は王を封じ込める器にすぎん。目の前に王にもっともふさわしい肉体があるというのに、そんな馬鹿なことがあってたまるか!」
枢機卿は興奮して叫んだ。
「だから、我々も困っているのだ。封印が解かれた瞬間にも王は娘の身体を破壊し、飛び出してくるものだと思っていたからね」
使徒のリーダーは肩をすくめた。
「もう計画は動き出しているのだ。後戻りはできない。ガランド、いよいよとなったら決断してもらうぞ」
枢機卿は複雑な面持ちで、二人の会話を聞いていたガランドを見た。
「待て!早まるな。これは私の娘なんだぞ。約束を破れば、たとえ王が降臨してもその制御に力を貸さない。俺を裏切れば、計画は失敗することを忘れるな」
ガランドは興奮してまくし立てた。
「良かろう、今少し待とう」
枢機卿は一言残すと部屋を出て行った。
計画とはなんのことだろう。私を降臨させ、既存世界を破壊し新しい神の国を創ることが、暁の使徒の目的だったはずだ。
どうしてそこに教会が絡んでいるのだろう。疑問は深まるばかりだ。
そして、ガランドが言った降臨した王の制御とはなにを意味しているのか。
いずれにせよ美月の身が危ないことだけは、間違いなかった。




