傭兵
ロジャーの盾は凶器だった。大女の私ですら少し屈めば隠れてしまえるほどの丈があり、しかも分厚い。そして盾の縁は刃物のように鋭く尖っていた。この巨大な鋼鉄の塊を彼は軽々と振り回し、襲いかかる犬どもをはね飛ばし、圧殺していく。守備型とはいえ一流の騎士ともなれば攻撃力も半端ない。犬たちは暴風に巻き込まれたように宙に舞い、その身を大地に叩き付けられ、とどめを刺された。
私も負けじと魔操剣を振るった。ベルセリウスを呼び出さなくてもある程度なら、今の私は剣の力を引き出せる。冒険の始まりの公園でたった一匹の犬にビビっていた私はもう居ない。この世界での経験が私を戦士に変えたのだ。
背後ではララノアが熟練のスナイパーのような冷静さで弓兵を倒していた。傍らではレオが用心深く周囲に注意を配っている。矢での攻撃をあきらめて、斬り込んでくる弓兵がいるとララノアに報せる。
私たちはチームとして機能しはじめている。どう戦えばいいか朧気ながら見えてきた気がする。今すぐトトの負担を軽くすることはできないが、お互いの長所を活かし、役割を分担すれば今より楽になるはずだ。
犬はあらかた片付き、弓兵たちはどこかに霧散した。私たちは挟撃の罠を完全に粉砕した。
逃げることもせず茫然と突っ立っている用心棒の喉元に私は剣を突きつけた。
「さてと、カイルのもとに案内してもらおうか」
「ああもちろんだ……しかし、あの魔道師はいったい誰なんだ?相当魔力を削ったはずだが、奴はビクともしてねぇ。格が違うな。俺たちの完敗だ」
我に返ったように男は言った。
当たり前だ!お前たちが相手にしたの伝説の銀眼の魔女なんだぞと自慢してやりたかった。
「能書きはいいから、早く案内しろ」
代わりに私は鋭く男に命じた。
「わかったからその物騒なものを引っ込めてくれ」
男は大げさに仰けぞり、戦意がないことを示すように両手を高く上げた。何人かいた部下たちもすでに姿を消していた。男は回れ右するとゆっくりと歩き始めた。
「ところで、あんたなかなか大した魔操剣の使い手じゃねぇか。それにそっちの兄さんは魔操盾を使うのか。噂には聞いていたが盾使いにお目にかかるのは初めてだ。まるで暴風だな」
散歩中に世間話でもするように男は話しはじめた。
「今はちんけな用心棒稼業だが、俺はほんの少し前までは東の大陸でもちっとは知られた傭兵隊長だったんだ。ヴォリスいえば大きな街の酒場に行けば知っている奴も大勢いる。まあ色々と事情があってこの島に流れてきたってわけだが、もう一度一旗を揚げる野望は捨てちゃいない。どうだ、俺と組まないか?」
「サランはどうするつもりだ?」
私の問に男は乾いた笑いを浮かべた。
「サランだって?あんな男に忠義立てする義理なんざ金輪際ありゃしねぇよ。ありゃあんたの言うとおりゲスだ。他で稼げるならあんな男の下で働くつもりはない。あんたら二人にあの魔導師、三人で組めば大陸の町ひとつ取るのも夢じゃないぜ」
自分のゲスさにヴォリスはまるで気づいていないようだった。
「べらべらとよく喋る男だな。こっちはお前の妄想に付き合っている暇はないんだよ。とっととカイルのところに連れて行け」
私はうんざりするように言った。
「そいつは残念だな。気が変わったらいつでも連絡をくれ」
どうにも傭兵という連中のメンタリティは理解不能だ。さっきまでの敵とでも平気で手を結ぼうとする。義理も人情もあったものではない。傭兵などあてにするなというエミリアのアドバイスの的確さを痛感した。
ヴォリスは緑の屋根の倉庫の前で止まると、「この中にいる」と言って、大扉に手を掛けた。
「おかしな真似をしてもだめだからね」
ララノアが直ぐにでもお前を射殺せるのだぞというように弓を構えている。ヴォリスは軽く肩をすくめると、再び扉の取っ手を両手に持ち押し広げた。軋む音がして、隙間が少し開いた。
「錆びついていて、重いんだ。悪いが少し手を貸してくれ」
ロジャーは肯くと、一方の取っ手を握り力を掛けて引っ張った。人一人がようやく身を差し入れる隙間ができたとき、ゴキブリのような素早さでヴォリスは滑り込み建物の中に消えた。
「くそっ!やられた」
ロジャーは舌打ちすると、怪力で扉をこじ開けた。
倉庫の中は真っ暗だった。どれくらい奥行きがあるのか見当もつかない。冥府の入口のような不気味さを覚えた。躊躇いがちに脚を踏み入れると、吐き気を催す強い腐臭に思わず鼻を覆う。油を撒いたようにヌルヌルする床に足を取られそうになった。
「少し待ってください」
レオが持参した魔導石で明かりを灯した。足下の滑りの正体が血だとわかって思わず身がすくんだ。
目の前に現れた凄惨な眺めにしばし絶句した。血の海のあちこちに肉片の山があった。目を見開いた女の生首、肩口からもぎ取られた男の腕、それらはすべて人体の一部だった。腐乱して白骨化しているものもあれば、ついさっき切断されたばかりのようなものもある。
「これはいったい……なに?ここでなにをしてたの?」
正視しかねて私は顔を伏せた。
「魔獣の餌にされたんだ。よく見てみろ」
ロジャーが言った。
そいつらは青白いヌメヌメした体を闇の中に蠢かせ屍体の山に取り付いていた。私の知っている限り似ているのは甲虫の幼虫だ。ホームセンターのペットコーナーで見たことがある。しかし、こいつらは一メートルは優に超えている。
「ひょっとして食べているの?」
「魔獣は人肉を好む」
「いったい何のために?」
「東の大陸では魔獣を兵器として使っていると噂にきいたことがある。ここは魔獣の飼育場なんだろう」
「じゃこの人たちは……」
「売れ残った奴隷だろうな。まったく酷いことをしやがる」
慄然とした。魔獣を兵器に使うことより、人間を魔獣の餌にするという発想にだ。奴隷商人からすれば売れ残った奴隷にはなんの価値もないはずだ。その価値のない奴隷のやせ衰えた体すら利用しようという強欲さに私は怒りを通り越し、寒気を感じたのだ。
ひょっとしたらカイルもこの中にいるのではないかという嫌な予感がよぎった。かといって、これだけの中からカイルを探すことは生理的な限界を越えている。
「とにかくここを出よう。とても耐えられない」
私は言った。正直な話、今にも吐きそうだった。
「待って!何か聞こえる」
引き返そうとしたとき、ララノアが叫んだ。より注意深く音を聞き取ろうとするように顔を傾けながら、彼女は奥へとゆっくり探りながら進んでいった。
「ここだ」
そして宝の埋まった場所をみつけたように床の一点を指さした。
「この下から声がする」
耳を澄ましてみると、石の床下から微かに声がする。
「ここだけははめ込みになっているみたいです」と、レオが言った。
ロジャーが石と石の間の隙間に指を差し入れて、思いっきり引き上げると四畳半くらいのスペースが現れた。そこにはあの懐かしい曲がった鼻の男がこちらを見上げていた。
「よく魔獣の餌にならずにすんだものね。ほんと悪運が強いんだから」
不覚にも涙腺が緩みかけた。
「危ないところだったぜ。ヴォリスという男と取引したのさ」
「取引?」
「奴に身代金を支払うよう親父に手紙を書いた。あいつが雇い主に忠実でなくてよかったぜ。サランには俺を魔獣の餌にしたと報告して、ここに隠してくれたというわけさ」
さすがカイル・ハイデン、そう簡単にくたばる玉ではないか。
「ところで、そのお嬢さんたちは誰なんだ?」
ロジャーが言った。カイルの背中に隠れるように少女がふたり震えている。
「奴隷としてこの島に連れて来られたウッドエルフさ。俺と同じ時にこの場所に放り込まれ、こうやって身を寄せ合い恐怖を分かち合っていたわけだ」
二人とも歳はララノアと同じくらいの頃合いだろうか。
「まさかその子たちにおかしな真似をしていたんじゃないよね」
ララノアがカイルを睨みつけた。
「この人は私たちを助けてくれたんです!」
少女のひとりがカイルの後ろから顔を覗かせて言った。
「娼館に連れて行かれそうになったとき、この人が私たちを買い取るといってくれたんです。それからずっと仲間が助けに来るからと励ましてくれた。私たちだけなら怖くてどうしたらいいかわかりませんでした」
「身代金を払うついでさ。ヴォリスの奴がうまく話に乗っかってくれて助かったがな」
カイルは照れくさそうに笑った。
「ところでカイル、ヴォリスは逃げてしまったけど、その身代金ってどうなるの?」
「奴が身代金を受け取ることはない。オヤジは俺のためにびた一文払うつもりはない」
「でも、あんたはハイデン家のひとり息子なんでしょ」
「少し前まではな。しかし、オヤジの後妻が息子を産んだ。俺はもう用なしというわけだ」
「それでこの旅に加わったというわけか」
「俺はこの冒険で伝説になる。そしてオヤジにも世間にも俺の価値をみせてやるつもりだ」
カイルは暗い瞳を光らせて言った。
「ところで夏美、この娘たちから俺はとてつもない話を仕入れたぜ。ガランドとお前の妹のことをこの子たちは知っているんだ」
二人のウッドエルフの娘は私の目を真っ直ぐみて、肯いた。




