奴隷の島2
「何をぼさっとしてるんだ! このくそ女をなんとかしろ」
顎から血を滴らせながら、サランが用心棒に怒鳴った。
「なんとかってのが、こいつらを殺せって話ならそいつは無理な相談だ。この女は魔操剣使いだぜ。それにそっちの女エルフは魔導師だ。俺たちだけでどうにかなる相手じゃない。ここは一度出直した方がいい」
用心棒のひとりが言った。雇い主と違い、この男は冷静にこちらのことを観察している。あまり敵には回したくない相手だ。
「魔操剣使いに魔導師だと? なんだってそんな奴らがこの島にいるんだ」
サランは目をむき私たちの方をみた。
この島は奴隷の商いのためだけに存在するような島だ。交通の要衝でも何でもない辺鄙な孤島だ。教会がダークウッド周辺を禁教区に指定したため仕方なくここにやって来たが、この選択が誤りではなかったかという疑念が頭をもたげはじめた。美月を助けるためとは言え、やはり人間を商品として扱う連中の手を借りるべきではなかった。私自身、日本に居た頃は機械の部品のように扱われてきたことを今さらながら思い出した。身分の保証もなく、雇い主の都合で馘首され、自分の仕事にも人生にも誇りを持つことができなかった自分は奴隷のような存在だったのだ。
「旅の途中に寄っただけで、お前には関係のない話だ」
「旅の途中だと? いったいここからどこに向かうつもりだったんだ? いずれにせよその旅は終わりだ。島を仕切る七人衆のひとりの俺に恥を搔かせたからには生きてこの島から出られないと思え」
サランは捨て台詞を残して、用心棒を連れて立ち去った。
彼らの姿が見えなくなった途端に、トトが耐えかねたよう笑いを漏らした。
「エミリアから話は聞いていたけど、ほんとうにあなたって無鉄砲な人なのね」
一言もなかった。侮辱された当の本人であるララノアとトトですら耐えたというのに……
「面目ない……この間、剣の魔獣にも愛想を尽かされかかったところだった……」
「剣の魔獣って好戦的なタイプが多いって聞くけど、その魔獣に窘められるとはよほどなのね。でもスカッとしたよ。私たちのことを欲望の捌け口にしか考えてないあの男に吐き気がしていたところだった」
気にするなというように、事もなげにトトは言ってくれたが、愛する子供たちを置いて冒険に参加してくれた彼女らにとって、ここで足踏みすることは歯がゆいはずた。申し訳なさと自己嫌悪にすっかり丸まった私の背中をトトが気合を入れるようにぽんと叩いた。
「ララ。せっかく我慢して首輪を付けてくれたのに、無駄にしちゃったみたいだね」
赤い首輪を付けたララノアの視線に気づいて、私は言った。
「夏美はいつもボクやボクの仲間のために怒ってくれるんだ。そしていつも酷い目に合うけど、それでも怒ってくれる。ボクたちのために心の底から怒ってくれる人間なんて今まで居なかったんだ」
ララノアが私の胸に飛び込んできて顔を埋めた。
「あなたの周りにいる人たちがあなたのためにどうしてこうも懸命に手助けしようとするのか少しわかった気がする」
トトが言った。
「放っておくと危なっかしいものね」
「それもあるわね。でも、あなたには人の心を奮い立たせるようなものがあるのよ」
「ほんとうに? 私はあちらの世界では誰も注意を払わないような存在だったよ。背の高さ以外はね」
「きっと、夏美さんは向こうの世界では眠っていたのでしょう。僕はあなたに出会ったとき、この人はただ者ではないと思いましたよ。この世界に新しいものをもたらす人だとね。僕だけでなく、祖父も同じ事を感じたから、あなたの従者になるように命じたのだと思います」
レオが息を弾ませて言った。
「とにかくここを早くでた方がいいわね。もうのんびりと宿に泊まっている場合ではないみたいだし」
自分自身のことをそんな御大層な人間のように言われて、面はゆくなり、私は話を変えた。
「そうですね。あの男が七人衆の一人なら、一刻も早く島からでる手立てを練らないといけません」
「その七人衆というのはなんなの?」
「この島はどこの国の領土でもない自由都市のようなものなんです。七人衆はこの島を仕切っている商人たちです。当然、多くの傭兵を雇っているはずです。とりあえずカイルたちと合流しましょう」
宿屋の並ぶ通りを抜けて、波止場に向かう途中でロジャーに出くわした。
「いいところで会った。今夜出航する船が見つかったぞ」
ロジャーが表情を緩ませて言った。
「そんなに早く船が見つかるなんて……実は一刻の猶予もない事態に陥ったの。カイルはどこ?」
「カイルなら、俺たちを運んでくれる船の船長と酒場に居るはずだ。俺はお前たちに宿を取る必要がなくなったことを報せに来たところだ」
「その酒場に案内して」
「いったいどうしたんだ。何が起こったか説明してくれ」
気のせいている私を落ち着かせるようにロジャーは言った。
私は宿での出来事をロジャーに話した。
「いやまったくカイルの忠告など意味がなかったというわけか。まあお前らしくていいさ。ただそうなると確かにカイルが心配だな」
私たちはロジャーの案内でカイルのいる酒場に向かった。昼間というのに船乗りたちでごった返している酒場の中にカイルの姿はなかった。ロジャーがカウンターの止まり木に腰掛けている男を指差した。
「あれがさっき話した船長だ」
向こうもこちらに気づいたらしい。席を立つとこちらに向かってきた。
「あんたの連れの鼻の曲がった男なら、サランの手下が連れていったぜ」
四十前後だろうか、小柄だが引き締まった体をしている。強そうな癖のある長い髪を後ろで結んでいたが、その男の顔をみたとき思わず引きつけられてしまった。男の顔立ちはいわゆる私と同じモンゴロイド系だった。男の方は私を見て、それほど驚いていないのはモンゴロイドたちが暮らす地域がこの世界にもあるのだろう。
「それを伝えるために、俺を待っていてくれたのか?」
ロジャーが尋ねた。
「手付けを貰ったからには契約成立だ。予定通り、船は今夜出す。間に合わなければ俺たちはそのまま出航する。あの男が有無を言わさず連れて行かれたから、それを伝えなければならんと思ってな」
「奴がどこに連れて行かれたかわかるか?」
「さあな。しかし、人を監禁する場所には事欠かない連中だ。とにかく俺は請け負った仕事はやるが、それ以外のいざこざに関してはノータッチだ。そちらでなんとかしてくれ」
「ちょっと待って」
私は立ち去ろうとする男に言った。
「悪いけどこの話はキャンセルにしてほしい。もう奴隷商人とは関わりたくないんだ」
これ以上トトとララノアに不快な思いをさせたくはなかった。
「おいおい、自分の言ってることが解っているのか? この機会を逃すとダークウッドに行くどころか、この島から出ることすら叶わなくなるかもしれないんだぞ」
ロジャーが慌てて言った。
「ごめん。でも、もう決めたんだ。借りてはいけない手というのはあるんだと思う。カイルを取り返したら、そこらの船を奪ってここから脱出する」
「奴隷商人の船に便乗するのはだめだが、船は盗んでも良いって事なのか?」
「盗む相手にもよりけりよ。他人を商品のように売り買いする連中の船なら、盗んだところで、私的にはOKなのよ。でもさすがにこればっかりは参加を強制するつもりはない。あんたがここで降りるというのなら、止めるつもりはない」
「随分と連れないことを言うじゃないか。こんなことくらいで降りるなら、最初から来やしねぇよ。お前がやるって言うなら、船でもなんでも奪ってやるさ」
ロジャーは不本意だという様子で語気を強めて言った。
「姐さん、勇ましいのは結構だが、あんた勘違いしてるぜ、俺は奴隷商人じゃない。運び屋だ。もちろん金さえもらえば、奴隷だって運ぶがね。自分で売り買いするわけじゃない」
私とロジャーのやり取りをさっきから黙って眺めていた男が言った。
「つまり運送が専門ってこと?」
「まあな、だが、それも本業ってわけじゃない。俺はこの世界の知られている海域はすべて航海してきた男だ。昼も夜も嵐が吹き荒れる海も、ほとんど日が沈むことのない煮えたぎるような海も、氷に閉ざされた極寒の海も、行ける限りのところまで出かけた。だが世界には未知の海域がまだまだあるのさ。俺は生きている限りそいつを明らかにしていくつもりだが、それには金がかかる。運び屋はまあそのための資金稼ぎってとこだ」
「そうか。誤解していたようね。私は夏美」
差し出した手を男はがっちりと握った。
「俺はサタケだ。よろしくな」
眩しいほどの真っ白な歯を見せて、サタケは笑った。
「ところで、もう一度聞くけど今夜というのは正確には何時までなの?」
「夜が明けるまでだ」
「その契約は私たちが追われる身になっても有効?」
「ある国の王宮から王女様を連れ出す手助けをしたこともある」
「誘拐もやるの?」
「王女様と恋に落ちた平民出の商人の依頼だ。その国の艦隊に追いかけながら二人を自由都市まで運んだ。俺たちはその国の海軍に今でも付けてらわれている。あんたほどじゃないが、俺も結構無茶をやってるほうだぜ」
サタケは片目をつぶって見せた。
「ただ言っておくが、夜明けとともに俺たちは出航する。それだけは変わらない」
「わかった」
サタケは一つ肯くと、酒場を出て行った。それと入れ替わるように、サランの用心棒が手下を引き連れてやってきた。
「お前らの仲間を預かっている。そいつを解放してほしいならおとなしくウッドエルフを差し出せ。それがサランからの伝言だ」
どうやらサランというロリコンオヤジはよほどララノアにご執心らしい。
「お前たちが連れ去ったのは西部総督ハイデン公の息子だぞ。もし彼の身になにかあれば、父親が承知しないと思った方が良い」
レオがちょっとどすを効かして言った。
「ここではその名前は大した意味を持たない。つまり誰もビビらないってことだ。サランたち七人衆の後ろ盾は聖騎士団だ。七人衆はたっぷりと騎士団に上納金を納めている。その西部総督が賢明な男なら、息子ひとりのために聖騎士団と事を構えるようなことはすまい」
用心棒は言った。男の様子から張ったりではなさそうだ。
「解った。だったら自力で取り返すだけだ。こっちも聖騎士団なんてビビりはしない」
私は男に言い放った。
「考え直せないか? できれば流血沙汰は避けたい。たかがウッドエルフじゃないか。どうしてそこまで意地を張る。そいつを引き渡せばあんたらは安全にこの島を出られるんだ」
私は傍で複雑な表情を浮かべているララノアの肩を抱き寄せた。
「この子は私の家族だ。私は家族を取引に使うようなクズじゃない。サランに伝えてちょうだい。もう片一方の髯を頂きに行くとね」
用心棒はひとつ肩をすくめると、立ち去った。




