奴隷の島
トト様より頂いた絵を挿入させて頂きました。
1
漁船がバモスについたのは早朝だった。朝靄の中に姿を表した緑色の島影は奴隷の島などという物騒な名前に似つかわしくない平和な島に見える。
白い石造りの建物が立ち並ぶ小さな湾を大きさも様々な帆船がひっきりなしに出入りしている。この島には何千もの奴隷が東の大陸から運ばれてくるらしい。しかし、どうしてそうもたくさんの奴隷が必要なのだろう。奴隷を必要とするような広大な農園はエルナスから王都へ向かう途中一つも見かけなかった。
「奴隷の一部は教会の荘園を耕すためにノーラスに連れて行かれるが、大部分は大地峡の南にある銀山に送られるのさ」
カイルが私の疑問に答えてくれた。
「教会が銀山を持っているの?」
「銀は儲かる輸出品だ。東の大陸では帝国が支配していた時代から決済は銀で行われている。だから、あちらでは慢性的に銀が不足しているんだ。昔からノーラスの輸出品と言えば銀だった。しかし、今ではノーラスの銀山はほとんど掘り尽くしてしまっている。ところが大地峡の南には手つかずの銀山があることがわかったのさ。大地峡の南は教会の支配地域で王の権力も及ばない。連中は銀を独占して、今ではノーラス一の金持ちだ」
「でもそこって魔獣がうろつくような危険な場所なんでしょ?」
「大地峡の南側すべてがダークウッドではない。広大な森林ではあるが一部に過ぎない。実際、その土地がどこまで続いているのか見当もつかない」
「要するにまだ未開の地というわけなのね」
「未開というより人間が住むべき土地ではないということになっている。だからそこを探検することも禁止されている」
「誰がそんなことを決めたの?」
「教会さ。あの辺りは禁教区に指定される前から、一般の人間が立ち入れる場所じゃないのさ」
私は聖騎士団が聖都からダークウッドに向かったという話を思い出した。カイルなら何かを知っているかもしれない。権門の御曹司だけあって、彼は下々の知らないような支配層の裏事情に通じている。
「聖騎士団が聖都にある島からダークウッドに向かったらしいけど、何が目的なの?」
「あの地域は教会にとって重要な資金源だ。それが脅かされる事態が起こったのだろう。つまり魔獣の王の降臨だ。だがそれだけではない何かがあるのかもしれん……残念だがそれが何かはわからんがな」
カイルは言葉を濁すように黙りこんだ。
「どうして教会ってそんなにお金が必要なの?」
「お前は金が嫌いなのか?」
驚いたようにカイルは問い返した。
「そりゃ大好きだけど、彼らは聖職者なんでしょ? 俗っぽいことから縁遠い人たちだと思っていたけど……」
カイルがゲラゲラと笑い始めた。いやカイルだけではない。ロジャーもトトも笑っている。
「この世の中で坊主ほど金に汚い連中は居ない。子供でも知ってることさ。銀と並ぶノーラスの特産品は何か知っているか? 亜人さ。亜人はこの大陸にしか住んでいない。亜人の奴隷一人で、人間の奴隷十人分の価値がある。美しい女エルフならその目方と同じだけの銀と取り引きされるほどだ。その亜人を東の大陸の奴隷商人に売っているのが聖騎士団なのさ」
「教会は奴隷の売買を禁止しているって言ってなかったっけ?」
「それもこれも連中の解釈次第ってわけさ。とにかく教会は儲かることには目がない。そろそろ港に着く、これを渡しておかなければならない」
カイルは赤い革製の首輪をララノアとトトに手渡した。バモスでは亜人は首輪を付けておかなければならない。首輪は誰かの所有物であることを示す。それを身につけていない亜人は逃亡奴隷と看做されて、やっかいなことになるのだとカイルは説明した。しかし、ララノアは納得しなかった。
「ボクは嫌だよ! こんなもの付けるのはまっぴらごめんだ」
首輪を甲板に放り投げた。
「気持ちはわかるけど、ララがこれを付けてくれないと、僕たちは島に上陸できないんだよ」
レオが首輪を拾って手渡そうとしたが、ララノアはそれを頑なに受け取らない。
「首輪なんてなくても島には上陸できるよ」
「上陸はできてもトラブルに巻き込まれるかもしれないんだよ」
「レオは私がこんなのを付けても平気なの?」
ララノアに食ってかかられたレオは黙るしかなかった。
「その首輪はお前自身を守るものでもあるんだ。首輪を付けていない亜人は所有者がいないことを意味する。誰のものでもないということは、誰が手にしても良いということでもあるんだ」
カイルが諭すように言った。
「ウッドエルフだとバレなければいいんでしょ? それならボクは帽子を被るよ」
ララノアはなおも言い張った。
「帽子くらいで、奴隷商人の目をごまかせるわけないだろ。連中にとって亜人はお宝なんだぞ。首輪を付けずに居ることは、道端に落ちている金貨も同然なのさ。たちまちあちこちから手が伸びてくる。そうなればいくら俺達だって守ってやることはできなくなるんだ」と、カイルが言った。
「うるさい! お前なんかに守ってもらうつもりは最初からないよ」
ララノアはカイルに躍りかかった。レオが引き離すまで、カイルはバツの悪そうな顔でララノアのされるがままになっていた。
さすがに私は仲間に首輪を強制する気にはなれなかった。これは自尊心の問題なのだ。
「いけるところまで帽子でいこう。何かトラブルが起こればその時に、対処すれば良い」そう言いかけた時に、「どう、似合うかしら?」赤い首輪を付けたトトがモデルのようにくりるとターンしてみせた。
「一刻も早くダークウッドに行き、姪を取り戻す。そのためなら私はなんだってやるつもりよ。首輪付けるくらいお安い御用よ」
呆気に取られている皆にトトは言い放った。彼女は子供を置いてきているのだ。時間をムダにするわけにはいかない。ララノアはなにも言わずに首輪を手にした。
桟橋には船から降ろされた奴隷たちが商館の方に向かって歩いていくのが見えた。両手首を鎖で繋がれて、麻で編んだ貫頭衣のようなシャツを着せられた奴隷たちはうつろな目で、一列に行儀よく並びながら歩いている。男も女も居たし、子供も居た。カイルの話では彼らは戦に負けた都市の住人なのだという。東の大陸にはかつて強大な帝国が支配していたが、帝国の滅亡後は都市国家同士が争っているのだという。
一際大きな帆船から船乗りたちの威勢のよい掛け声が聞こえたかと思うと、ウィンチに吊るされた大きな箱が降りてきた。鉄格子のはまったその箱にはウッドエルフの少女達が閉じ込められていた。胸糞の悪くなるような光景に私は顔を背けた。トトとララノアはその箱をじっと見つめていた。
港に下りると、カイルとロジャーは酒場にダークウッドまで便乗させてくれる船を探しに出かけた。私とレオ、ララノア、トトの三人は宿屋に向かった。船がすぐに見つかるかどうかわからないし、運良く見つかっても、すぐに出航できるわけではない。別れ際にカイルはくれぐれも短気を起こすなと、私に忠告した。
「ここではお前が気に入らないことをいろいろと見聞きすることになる。しかし、俺達の目的を忘れるなよ。余計なことに関わっている暇はないんだ」
2
町と呼べるようなものは港の周辺にしかなかったが、奴隷を扱う商館以外にも酒場もあれば、宿屋もあった。少し離れたところには娼館が軒を並べる通りもあった。奴隷の売買は盛んらしく、町は人で賑わっていた。耳をついて入ってくる言葉には私の知らないものもあり、おそらくそれが東の大陸の言葉なのだろう。
私たちは町で一番大きな宿に泊まることにした。安宿は客層も悪い。余計なトラブルを避けたいなら、多少金は掛かっても高級な宿にすべきだというカイルのアドバイスに従った。締まり屋のレオが何も言わなかったのはララノアとトトを慮ったのだろう。
どんな町でも表通りの宿屋は値が張る。私たちは表通りでも一際立派な宿に入った。一端船に乗ってしまうと不自由な暮らしを余儀なくされる。今のうちに英気を養っておく意味もあった。
宿屋というのはたいてい一階が酒場になっている。言ってみればロビーのようなものだ。そこで飲んでいる連中を見れば、その宿の格がわかる仕掛けになっている。広めの小奇麗な酒場には身なりの良い男たちが何組かテーブルを占めていた。
すでに個室は全部ふさがっていた。四人部屋ならまだ空きがあると宿の亭主が言った。王都のような大きな街以外、宿に個室は一つか二つで、あとは四人部屋か大部屋が大半だった。
「奴隷部屋を利用するなら別料金になるが、それでも良いか?」
宿の亭主はララノアとトトの首輪をチラッと見ていった。
奴隷を買い付けた客は出航するまでの間、商館に預けておくのが普通だ。しかし、どうしても手元に置きたいという客のために宿は奴隷部屋を用意していた。部屋と言うより留置所のようなもので、逃亡できないように鉄格子が嵌まっている。
「同じ部屋で構わない。しかし、あとから連れが二人来る。だから部屋は二つほしい」と、私は答えた。
亭主は小女に部屋に案内するよう言いつけた。
「マイレディ、少しお時間を頂けませんか?」
酒場の一角に陣取っていた男の一人が声をかけてきた。派手な格子柄をあしらった絹のガウンを身に着け、山羊のような髭を生やしている。風体からみてノーラス人ではあるまい。きっと東の大陸の人間だ。同席している鋲付きの革鎧を着た二人は用心棒かなにかだろう。油断のない目つきでこちらを観察している。些かの気負いもない冷徹な目は彼らがただのゴロツキでないことを物語っている。いずれにせよあまり関わりたくない種類の男たちだった。
「今朝早く着いたばかりなんだ。用があるなら手短に頼む」私の素っ気ない対応に男はいささかムッとした表情を浮かべたが、すぐに元のニヤついた表情に戻った。
「私はサラン・アルマドロイス、こちらで娼館を営んでいるものです」と、山羊髭は言った。
「娼館だって? そんな商売の人間に用はない。失礼するよ」
私は通りすぎようとしたが、用心棒二人が行く手を塞いだ。
「まあまあ、話ぐらい聞いてもらっても罰は当たらんでしょう」
サランは席を勧めた。
(この島ではけしてトラブルを起こすなよ)カイルの忠告が耳を掠めた。
「実は私の娼館は亜人専門の店なのです。亜人と言えば鼓粋亭、鼓粋亭と言えば亜人と言われるほどの評判を取っているのです。それで、話というのは、あなたがお持ちのウッドエルフを譲って頂きたいのですよ」
「彼女は売り物ではない。友人だ」
「友人? あなたは友人に首輪を付けるのですか?」
「それは厄介なことに巻き込まれないための方便さ」
「なるほど。しかし、この島でその首輪を付けるということは、商品であることを意味するのですよ」
「どう思ってもらっても結構だが、売る意思はない」
私はきっぱりと答えた。しかし、サランはやれやれという調子で首を振った。
「あなたはこの島の商慣習をなにもご存じないようですね。島に持ち込まれた奴隷はすべて商館を通す必要があるのです。つまり売る気のない奴隷をこの島に持ち込むことはできないのです。幸い私は奴隷商の鑑札を持っていますから、あなたは直接私と取り引きできるわけです。」
どうやら売る気がないというこちらの意思はこの男には伝わっていないようだった。
「何度も言うけど、彼女は友達だ。売るつもりはない。しかし、それがこの島では通用しないというのなら、あんたが買えないような値段を提示するだけだ」
サランは少し眉をひそめたが、そんなことはすでにお見通しだと言わんばかりの余裕のある表情を浮かべた。
「この島の奴隷はすべて入札の対象になります。あなたが連れているウッドエルフも例外ではない。私に落札させないためには、私が入札した以上の額を商館に保証金としてあなたは積まなければなりません」
「どうしてそこまでこだわるわけ」
「そのウッドエルフは店にはだしません。私個人の楽しみとして購入するのです。私はエルフの一分の隙もない美しさより、ウッドエルフの愛らしさが好みなのです。かわいがっていたウッドエルフを死なせてしまいましてね。ちょうど代わりを探していたところなのです」
なるほどただのロリコンオヤジというわけか。
「それでいくらで譲って頂けるのでしょう?」
私はサランの耳に顔を近づけると山羊鬚の端をつかんで引っぺがしてやった。サランは痛みに顔を抑えて床に転げ落ちた。
「もう片方の髭をむしり取られたくなかったら、失せなよ」
私は足元で呻いているサランに言った。




