旅の仲間1
1
「それ以上、近づくな!」
剣の切っ先をカイルに突きつけた。
「話しを聞いてくれないか?」
カイルは害意がないことを示すように両手を広げた。
ぎこちない笑みを穴からのぞかせて、フレンドリーを装っているつもりなのだろうが、ホッケーマスクが逆にその笑いを不気味なものにしていることをこの馬鹿者は気づいていないらしい。
「お前の話しなど聞く耳を持たない! 第一なぜお前が王都にいる? 極寒の地でお務めのはずだろ」
私は彼を寄せ付けないように剣を握った腕をさらに延ばした。
「逃げ出したわけではない。ルスツに送られる途中、王都が魔獣に襲われていると使いが届いたのだ。王太子の書状には戻って魔獣との戦いに志願するなら、赦免するとあった」
あり得ない話ではなかった。あの時王都では兵士が不足していた。剣を持てる者であればカイルのようなクズの手でも借りたいと、ブランが考えても不思議ではない。
「それでお前は志願したというのか?」
「俺だって騎士の端くれだ。王都を守るためとあっては命は惜しまん」
カイルは傲然と胸を張った。
「どの口がそれを言う! お前のおかげでどれだけ王都の人々が苦しんだと思ってるんだ」
彼の首が晒されなかったことに怒った王都の民は、国元に帰るハイデン公の行列に石を投げた。庶民に愛されている王太子ですら誹謗の対象になった。
その当の本人が王都を守るためなどと口にすること自体噴飯ものだ。
「それについては反省しているんだ。金狼を立ち上げたときは、ああなるとは思ってなかった。オヤジから王都を守護するため新しい騎士団をつくれと言われとき、俺は誇らしかった。これでようやく騎士らしいことができると張り切ったさ。しかし何時までもたっても出番は来ない。直に暇を持て余すようになった。俺は親父に何度も辺境の魔獣退治に騎士団を派遣してくれと頼んだんだ。だがオヤジは首を縦に振らなかった。俺はピントきたよ。あの狸オヤジは混乱に乗じて、王都を簒奪する気でいたのさ。ばかばかしくて飲んだくれるくらいしかすることがなかったというわけさ」
カイルの弁明は私の怒りを煽っただけだった。
「お前は暇つぶしに女を犯し、殺したというのか! 絶対に許さない」
私は剣を振り上げた。
「悪さをしたことは謝る! それを償いたいと思ったから、恥を忍んでここに来たんだ。俺をダークウッドに連れて行ってくれ。たのむ」
カイルは額を床に擦りつけた。
「なぜお前がそんなことを知っているんだ?」
驚いて私は聞いた。
「お前は吟遊詩人の歌になるほどの有名人なんだぜ。その女騎士がダークウッドに魔獣の王退治に出向くという噂で、街中持ちきりだ」
有名人の困惑というものがすこし解った気がした。
「それとお前がどういう関係があるんだ?」
「俺もその歌には敵役として登場する。歌に唄われるような騎士になるのが子供の頃からの夢だった。願いが叶ったといえば、そうかもしれんが、このままだとただの小悪党に過ぎん」
「実際そうだろ」
「現時点ではな。だがこの話には続きがある。憎っき敵役カイル・ハイデンはその女騎士に惚れたのだ! そしてその惚れた女のためにカイルは力を貸し、魔獣の王退治に立ち上がる! これぞ真の騎士道物語だ」
カイルは自分の妄想した一大叙事詩に恍惚としていた。
「頭がやられてるんじゃないの?……何をどう聞いたのか知らないけど、私たちにはもう船がない。三カ月も陸を旅するんだ。お前のような強姦野郎と野宿するなんて、考えただけで身震いするよ」
「船ならあるんだ」
カイルは顔を上げて言った。
どうやらこいつはこちらの事情を何もかも承知した上で、現れたらしい。 しかし、何故この馬鹿がこのタイミングで現れたのだろう。アジスの残していった言葉が私の中で鎌首をもたげた。
「時間の無駄です。行きましょ」
レオが憮然とした表情で言った。
「まあ話しくらいは聞いてやろうよ」
私は立ち上がったレオを制した。
「わかってるんですか!こいつはララの腕を折った男なんですよ」
「もちろん、わかってるよ。でも船が使えるならそれに越したことはない」
私はこの問題に早くケリをつけたかった。
「ダークウッド周辺は禁教区に指定されたんだ。そのことは知っているんだろうな?」
「もちろんだ。そうでなきゃ、お前らの前に面を出さないさ」
私の問にカイルは自信たっぷりに答えた。
「いいだろう、話してみろ。但し時間を無駄にさせたとわかったら、お前の鼻はもう一度陥没することになるぞ」
カイルは大げさに仰け反って見せたが、如何にもそれが芝居がかっているのは、これから自分が話すことによほど自信があるからだろう。
「王都から船で一日ほど離れたところにバモスという島があるんだ。世間じゃ奴隷島といったほうが通りがいい。そこじゃ東の大陸から運ばれてきた奴隷がノーラス各地に売られていく」
「回りくどいな。要点を話せ」
「まあ、そう急かしなさんな。本題はここからだ。ノーラスじゃ奴隷を商うことは教会が禁じている。但し買う方に関してはお目こぼしされているのが現状だ。なんせ教会自らがてめぇらの荘園を耕すのに奴隷を使っていやがるからな。問題は売る方さ。こっちについては見つかれば即火炙りだ。そういうわけで、奴隷商人って奴は皆東の大陸の異教徒なのさ。まあここまで言えばわかると思うが、船というのは連中の乗っている奴隷船を使おうって算段だ」
「奴隷船なら禁教区にも入れるわけ?」
「異教徒にとっちゃノーラスの教会から異端の認定をされたところで屁でもあるまい」
なるほど、悪党ならではの思いつきだ。
「しかし、奴隷商人をダークウッドに向かわせるがたいへんだぞ。禁教区でなくてもあそこは危険な場所だし、彼らが簡単に云というとは思えない」とレオが言った。
「知らないようだから教えてやるが、奴隷はなにも東の大陸からだけ運ばれてくるわけじゃない。人間の奴隷なんぞ数を売ってなんぼの安物だ。一攫千金を狙う連中はダークウッドに向かうのさ。そこにはまだ野生のウッドエルフが生息している。危険は多いが、うまくすりゃ大金を稼げるというわけさ」
レオは拳をぶるぶると震わせていた。私は彼がカイルに殴りかかる前に、その拳をそっと包んだ。
「気持ちは分かる。でもカイルはクズなだけで、奴隷商人ではないんだよ……それに私はこの話に乗ってみようと思うんだ」
「本気で言ってるのですか?」
アジスが言ったことばの意味が朧気ながら見えたような気がした。私の意思など無関係に物事は進んでいく。カイルが私の前に現れたのも偶然ではないのだろう。
「ああ、本気だよ。一刻も早くダークウッドに行き、真実をこの目で確かめたいんだ。どうやらそれが私の運命らしいからね。とっととケリをつけて、この呪縛から逃れられるなら、悪魔とだって手を結んでもいい」
「そうと決まれば、俺はパモスに渡る船を手配する。決まればお前たちに連絡を入れる」
カイルは飛ぶように表に飛び出していった。
2
ラムラスに跨がるのは久しぶりだった。
絹のような光沢のある白い毛にそっと顔を埋めると、懐かしい匂いがした。
夜の公園、ヴィーグルとの戦い、初めて目にしたノーラスの大地、思い出が交差しはじめる。 私の冒険はこの子の背中から始まったのだ。
エミリアがレストンの隠れ家を訪れたのは、カイルが私の前に現れた次の日だった。
「お前に会わせたい人がいる」
それだけ言うと、 エミリアはせき立てるように私を大鷲に乗せた。
彼女に聞きたいこと、話したいことは山ほどあった。
それでも目の前の魔道師の背中がそんなにたくさんの質問は受け付けないぞと言ってるようで、私は一つだけ選んだ。
レオの計画がポシャり、途方に暮れているところにカイルハイデンが現れたこと、
そしダークウッドには奴隷船で行くと決めたことを順を追って話した。
正直なところ、自分の決断が正しかったかどうか、自信がなかった。まあいつだって自信を持って下した決断などないのだが……
「奴隷船を選んだのは正しい選択だ。ダークウッドは大きな船が停泊できる場所は限られている。そんなところに兵士を乗せた船がやってくれば、たちまち聖騎士団の軍船に攻撃される。土地勘のある奴隷商人なら、夜陰にまぎれてお前たちをダークウッドに上陸させてくれるはずだ」
「でもそうなると、私とレオ、それにララノアの三人で行かなければならないよ。ちょっと無謀じゃないかな」
「お前から無謀なんて言葉を聞くとは思わなかったよ」
エミリアはカラカラと笑った。
「いいか、傭兵などあてにするな。連中は勝ち戦の時には頼もしいが、状況が悪くなればお前たちを置いてとっとと逃げてしまう。お前に必要なのはそこに向かう強い意志を持った仲間なんだ」
「私が行こう」エミリアがそう言ってくれることを期待した。彼女が一緒に来てくれたらどんなに心強いことだろう。
しかし、私の願いは叶わなかった。
「私は王都を離れるわけにはいかない」とエミリアは言った。
「ブランのことがあるから?」
「そうではない。ブランドンの蘇生に関しては、いまだ霧の中だ。方法が見つかったとしても、三年、いや五年も十年もかかるかもしれない。今は王宮のメイスターたちが古書にその答えを求めている」
「そんな人たちに任せてだいじょうぶなの?」
「彼らの知識を侮ってはいけない。学問に終生を賭けた者たちなのだ。私が行けない理由は別にある……教会から警告を受けているのだ」
「警告ぐらいで引っ込むような人とは思わなかったけど」
「私だけの問題なら、連中の警告など恐れはしない。しかし教会はメイジタワーを人質にとったのさ。私が警告を無視すれば、タワーを閉鎖すると脅してきた。ダークウッドから戻ってきたのもそれが理由だ」
「なんて汚い連中なんだろ……でも、どうして教会はそこまでしてダークウッドから人を遠ざけようとするの?」
「さあな。奴らにとって都合の悪い事実があるんだろう」
教会のことなど私にはまるでわからない。しかし、私の目の前にまた新たな大きな壁が立ち塞がったように思えた。
「しゃあない。自分でなんとかするよ」私はちょっと、投げやりに言った。
付き合わされるレオとララノアには申し訳ないが、私の中でこの旅の目的はまだ確かな形になっていなかった。なぜそこに行くのかと聞かれても、うまく説明できそうにない。
美月が無事なことは確認できた。どんな事情があるかはわからないが、少なくとも自分の意思でそこに留まっていることもわかった。
だったら、なぜそこに行くのか? 説得して連れ帰る?
当の本人が何をしに遥か南にある密林に行くのかわからないのだ。しゃあないと開き直るより他にない。
この冒険の始めに、エミリアが忠告してくれたように日本に帰り、美月のことを忘却の隅に追いやれば良かったのかも知れない。
しかし、何かが私という玉を突いたのだ。それを運命と呼んでいいかもしれない。私という玉はレオやララノアの人生をも突き動かした。
彼らにとってもそこに行くことが運命の連鎖を断ち切る唯一の方法に思える。あるいはカイルハイデンにとってもそれは同じなのかも知れない。
「簡単にあきらめるな。ダークウッドは魔導師の助力なしになんとかなるところではない」とエミリアは言った。
「だったらどうすればいいの? 私に魔法の特訓でもしてくれる?」
「それも悪くないな。ただお前が私くらいの魔導師になるには人生を三回分ほど必要とするだろうがな」
エミリアは肩をふるわせて笑った。
「そんなに笑うことないじゃない。大魔導士なんてそうおいそれと見つかるわけないんだから」
「確かにな。私の代わりが務まるくらいの魔導師となれば、思い当たるのは一人しか居ない。今からそいつを訪ねるというわけだ」
キラキラと陽の光を反射している大きな池を過ぎた辺りで、ラムラスが降下を始めた。エミリアの腰に回した手に力を込める。
平べったい農家の赤い屋根を飛び越えると、その向こうには黄金色の小麦畑が広がっていた。ラムラスはその手前で大きな麦わら帽子を被った二人連れの近くに着地した。
背格好からして母子なのかもしれない。母親らしき人は私と同じくらい背丈があった。白い麻のシャツと萌葱色の長いスカートを履いていた。ノーラスでよく見かける農婦の恰好だ。
「食いしん坊の魔道師さんがそろそろやってくる頃だと思っていたわ。ちょうどレモンパイが焼き上がったところよ」
花のように微笑んだ女の顔をみて、思わず息を吞んだ。
白に近い銀色の髪、上質の磁器のような滑らかな白い肌、深い翡翠色の瞳。子供の頃、洞窟で見た月の女神、その人だった。
「リアナ……」
私は驚きとともにつぶやきを漏らした。




