ドーム
1
ドームの内部は冷蔵庫の中みたいに冷え冷えとしていた。ブーンと機械の唸るような音が冷たい空気を振動させている。
これに似た雰囲気を久々に思い出した。
深夜のパン工場のラインに並び、黙々と作業していたあの頃。お仕着せの白い制服とヘアキャップにマスク、感情を押し殺し、ただ機械の一部に成りきるのだと言い聞かせ続けた。そして私はその仕事すら首になった。歯車にすらなれない検定不合格の不良部品、それが私だった。
ひょっとしたら今ここに居る私は現実を否定したい私が創り出した妄想で、もう一人の私は感情を押し殺した表情で今もラインに並んでいるのではないかとふと、そんな考えが頭をよぎる。
天上に嵌めこまれた巨大な魔導石が放っている光のせいで、暗視スコープを付けているみたいに視界は緑と暗い影に分けられていた。
手すりの付いた通路がドームの周囲をぐるりと取り巻いている。掘り下げられた中央部には小学校のプールほどもある石の台座が三つ並んでいた。
「あれが魔獣の王だ。一つは十七年前のもの。もう一つは八十年前の降臨のときのもの。真ん中にあるのはアルダリスが倒したものだ」
エミリアが手すりに手を突きながら台座の上の黒い塊を顎でしゃくった。
そいつはもうミイラ化していて、かなり縮んでいた。筋肉が削げ落ちて、ほとんど骨格だけになっている。生きていた頃の姿を想像するのは困難だったが、それがとてつもく大きいことはわかる。
しかし、どの屍体にも首がなかった。王を倒すためには首を落とさなければならない。落とされた首はどこか別の場所に保管されているのだろうか。
「あんな干からびたミイラが呪術の役に立つの?」
「呪術のことは何も知らぬ。しかし、こんな大がかりなことをするからには、決定的な意味合いを持つのだろうな」
「ティロロは魔獣なんでしょ、どうして呪術が使えるわけ?」
「魔法を使う魔獣がいるのだ。呪術を使うものがいたとて、不思議ではあるまい」
「でも魔法はこの世界のものじゃないの? ティロロは異世界から来たのにどうしてそれを習得しているの?」
「いいか、魔法というのは宇宙の理を利用しているだけだ。高みから石を落とせば下に落ちる。当たり前に見る光景だから、誰も不思議に思わぬが、それも宇宙の理なのだ。その理の秘密を解き明かせば炎の壁を作り出すことも、雷を呼ぶこともできる。お前たちの世界でも都市を丸ごと焼け野原に変えてしまう業火や、陽の光より眩しい灯りを作り出すものがあるだろう」
「でも、それは機械や装置があって可能なことでしょ。魔法は何もなくてもそれができるじゃない」
「何もないと思うのは、お前にそれが見えていないからだ。いや、お前に見えているものでも私には見えないものもある。ウッドエルフにだってあるだろう。宇宙は無数にある点から構成されていると考えてみたら良い。私たちはそのすべての点を見ているわけではないのだよ。自分たちが選択した点を結んでできた形を世界だと認識しているに過ぎない。命ある者はそういうやり方でしか世界を認識する方法がないのだ。しかし、結ぶ点を変えて見ることはできる。そうすれば、世界は今までまったく違う形でお前の前に姿を現すのだ」
エミリアは私に何かを教えようとするように語った。
2
「今、何か下に居たよ。ほら、あの辺り!」
ララノアが真ん中の台座付近を指差した。私の目には何も見えなかった。
「お兄様かもしれないわ。降りてみましょう」とウルスラが言った。
梯子階段を降りて、ララノアの示した辺りに近づくと、今度は人影が見えた。台座の影になってよく見えない。私は念のため背中の剣を抜いた。
「王太子様です」
ヨシュアが言った。
暗がりから姿を現したのは紛れもなくブランだった。あちらも警戒していたのか剣を構えている。
「誰かと思えば夏美、ウルスラ、それにエミリアまで……勢揃いで出迎えとは恐れ入るな」
ブランは微笑みを浮かべると、構えを解いた。
光の加減で顔色まではわからないが、それはいつもの人を魅了して已まないあの笑顔だ。
「ほんとにお兄様なのね」
ウルスラが声を詰まらせた。
「心配を掛けたようだな。ところで、ここはどこなんだ?」
ブランは少し困ったような表情で今にも泣き出しそうな姪を見た。
「王宮の地下よ」とウルスラが答えた。
「なぜそんなところに俺はいるんだ?」
「何も覚えていらっしゃらないの?」
「最後に覚えているのは馬から落ちたことだけだ」
彼は血の封印を解くためだけに利用されたのだろうか。だとすれば、どこかにティロロが潜んでいるかもしれない。
私は用心深く視線を周囲に配ってみたが、魔精気らしきものはどこにも見えない。
「レイピアはどうしたの?」
私は彼の胸に刺さっていたそれがないの気づいた。
「レイピアだって?」
「あなたの胸を刺し貫いたレイピアだよ。それが胸に刺さったままあなたは眠り続けていたのよ。それも覚えていないの?」
「わからない。それが俺の胸に刺さったままだったのか? 俺は随分、間抜けな姿を晒していたことになるな」
ブランは照れくさそうに笑った。
しかしなんだろうこの拭いきれない違和感は……ほんとうならあの広い胸に飛び込み顔を埋めて思いっきり声をあげて泣きたい衝動に駆られたっておかしくない。しかし、そんな感情がまるでわき上がってこないのだ。
敬愛する叔父が元に戻ったことに感極まったのか、ウルスラはよろめきながら、ブランのほうに歩き始めた。
私は懸命に自分の中にくすぶる違和感と格闘していた。ウルスラの足取りが速くなるにつれ、動悸が高まっていく。
ちらっとエミリアに視線を飛ばすと、珍しく緊張した面持ちで杖を両手で握りしめていた。彼女も何かを感じ取っているのだ。
私は魔精気を見ることだけに意識を集中させた。高速度のシャッターのようにあたりの景色を私の目は分解しているが、魔精気の痕跡すら見いだせない。
ウルスラは両手を広げて、今にもブランの胸に飛び込もうとしていた。彼は優しい目でそれを迎え入れようとしている。
(思い過ごしか……)
そう思ったとき、剣を握ったブランの右手がかすかに靄っているのに気づいた。
「だめだ、行くな!」
真っ先に反応した小さな影がウルスラの腕をつかんで引っ張っるのが見えた。
影はウルスラを抱き寄せると、刃に背中を向けた。斬りさく鈍い音と共に、鮮血が飛び散った。
「ヨシュアっ!」ララノアの絶叫がドームに響いた。
ヨシュアはウルスラの膝の上に崩れ落ちた。ウルスラは返り血を浴びながら、気丈にもヨシュアの背中の出血を止めようと、傷口を手で塞ごうと試みているが、掌の合間を血がとどめなく溢れだしている。
ブランがウルスラ目がけてふたたび剣を振り下ろそうとしたとき、閃光が走った。
手で顔を覆ったブランに私は肩から体当たりした。二、三歩よろめきながら後退したブランはすぐに体勢を立て直し、剣を構えた。
私とブランが対峙している隙に、レオとウルスラがヨシュアを抱えて後方に退いた。
「ヨシュアを頼む」
私は杖を構えたエミリアに言った。
「わかった。だが、魔法の援護は期待するな。魂を呼び戻すことに集中しなければならん」
「誰の手も借りない、こいつは私が倒す」
柄頭を舌で湿すと、私は剣を振りかぶった。




