地下
1
正直、こんなところでララノアと出くわすとは夢にも思わなかった。
驚いたのは向こうも同じだろう。私たちはしばらく馬鹿みたいに互いの顔を見合わせていた。
「ララ!こんなところで何やってるの?」
ようやくレオが口を開くと、ララノアの瞳が途端に潤みはじめた。
「助けに来てくれたんだね」
ララノアは弓を放り出して、レオの胸に飛びこんできた。
泣きじゃくるララノアを前にして、さすがのレオも空気を読んだ。ばつの悪そうな笑顔を浮かべながらもララノアの頭をやさしく撫で、「もう大丈夫だよ」と、何度も繰り返した。
落ち着いた頃合を見計らって、何があったのか話してくれるように私は頼んだ。
「王太子様が地下に消えたんだよ!」とララノアは興奮気味に言った。
「消えたってどういうこと?」
「この先は地下に続く階段になってるんだけど、王太子様はそこを降りて行ったんだ」
ララノアは自分が出てきた穴を指差した。腰を折り曲げてようやく通れるくらいの丸い穴だ。
「ブランは目を覚ましたの?」
ララノアは首を振った。
「見たわけじゃないんだ。でもここに来た時には王太子様の姿はもうなかったんだ」
ララノアの話は今ひとつ要領を得ない。
「ララ、落ち着いて最初にあったことから順に話して」
レオが宥めるよう言った。
レオが巧みな質問で引き出した話をまとめると、深夜にウルスラが、ウッドエルフたちが仮住まいしている宮殿の裏庭にやってきたらしい。
彼女は王宮に何者かが侵入してきたので、避難するようにと言った。そして護衛の騎士たちに向かって、街まで同行するようにと命じると、自身は再び王宮の方に戻っていった。
「でもヨシュアは王女様が心配だと言って、そのあとを追ったんだ。だからボクも仕方なくヨシュアを追いかけたのさ」
ウルスラは二人に帰るようにと言ったが、ヨシュアは頑として聞かなかった。結局、三人は王太子の部屋に向かった。虫が知らせたのかウルスラはブランのことが心配になったらしい。
「部屋に着いたら、王太子様のベッドはもぬけの殻だったんだ。部屋中くまなく探し回ったさ。ベッドの下はもちろん、ヨシュアなんか衣装入れの葛籠の中まで探していたよ。それでボクも仕方ないから、本棚を調べてみたんだ。ヨシュアはそんなところに人間が入れるわけないだろって怒鳴ったんだけど、ボクがこの本を手にとったら、いきなり本棚が動き出したんだ」
ララノアは書棚に並んだ本の中から金色の背表紙の本を抜き出した。すると壁の内部から歯車の廻る音がして、ゆっくりと書棚が横に滑り始めた。どうやら本が開閉のスイッチになっているらしい。
「調べてみようという話になって、中に入ったんだけど、階段がずっと続いていた。真っ暗だし、このまま冥界まで続いているんじゃないかって気がするくらい長い階段なんだ、ボクは怖くなって二人に引き返そうと言ったんだ。そしたらヨシュアがお前はもう帰っていい、ここからは俺とウルスラ様だけで行くからって言うもんだから、腹が立って言い返してやったのさ。きっとヨシュアは王女様と二人きりになりたかったんだよ」
「それでララだけが引き返したわけ?」とレオが訊いた。
「逃げだしたわけじゃないよ。戻って、王の盾の騎士を呼んできてと、王女様が仰ったんだ」
「要するに二人はまだ下に居るわけなんだな。なら急いだ方が良いな。おそらくブランドンもそこに居るはずだ」とエミリアが言った。
「先に騎士たちを呼びに行った方がよくない?」
ララノアが不安そうに言った。
「騎士どもは氷かきに忙しくて手が離せまい」
エミリアは身をかがめて穴に入った。
2
書棚の向こうはララノアの言う通り階段になっていた。人ひとりがようやく通れるくらいの幅で、かなり急な勾配だ。私たちは順に降りていった。
ギシギシと音を立てる木の階段を降りきったところは踊り場になっていた。
そこからさらに螺旋状に階段が続いている。周囲には灯り一つ見えなかったが、かなり広い空間であることは間違いない。
「宮殿の下全体が中空になっていたのですね」とレオが言った。
私たちはその中空の天井部分に立っている。
螺旋階段は天井を支える太い石の柱をとぐろを巻くように下に向かって延びていた。元はもっと太かった柱の表面を彫り込んで作ったのだろう。階段の材質も柱と同じで磨きこんだ大理石のようにツルツルしていた。
一段ごとに魔導石が二つづつ填め込まれていて、足元を照らしていた。青白い光の列が遥か下まで点々と続いているのを見ていると、吸い込まれそうな感覚に陥る。
「誰がこんなものを作ったのかな」
私は誰に言うともなく呟いた。
建築や工学の知識があるわけではないが、今まで目にした建物から考えて、この国の技術でこれだけの構造物を作れるとは思えなかった。
「ドワーフたちさ」とエミリアが言った。
「ドワーフって大酒飲みのあの下品な小人のこと?」
「会ったことがあるのですか?」
レオが驚いたように訊ねた。
もちろん映画や小説のイメージに過ぎない。
「当たらずとも遠からずだな」
エミリアが笑った。彼女は私たちの世界に通じている。きっと映画も観たことがあるのだろう。
「彼らの王国は地底にあったんだ。王都はその上に建てられたのさ」
「ドワーフたちは今はどうしているの?」
「大半は北の山脈を越えて行った。今でも北の方の街に行けば、見かけることはあるがな」
私はまだこの世界のほんの一端しか知らない。いつかはそんな人々に出会える日が来るのだろうか。
どれくらい降りただろうか。マンションの十階から非常階段で降りたことがあるが、その時と同じくらいの時間の感覚だった。もしかすると、下が見えない恐怖が実際以上に、長く感じさせたのかも知れない。
降り立った場所には、握りこぶしほどの大きさの石がゴロゴロと転がっていた。どこから吹いてくるのか風が冷たい。
先ほどよりも明るく見渡せるのは、階段に埋めこまれた魔導石のおかげだった。私たちが降りてきた巨大な白い石柱を魔導石は無数に群がる蛍のように青白く浮かびあがらせていた。
どこかにウルスラとヨシュアがいるはずだ。目をこらしながら辺りを見回してみたが、少し遠くなるともう暗くて見えない。
どちらに行くべきかと思案していると、風の音に紛れて、微かに声がきこえたような気がした。
「ヨシュアだ!」
ララノアの耳がピクっと動いた。
今度ははっきりと「ララ!」と呼ぶ声が聞こえた。
「ウッドエルフは耳がいいんですよ。それに夜目もよくききます」とレオが言った。
あの耳はかわいいだけでなく、実用的な機能も備えているらしい。
ヨシュアは私たちをウルスラのところまで案内してくれた。途中にある坑道をくぐり抜けると、別な広い空間に出て、目の前に巨大な岩のドームが現れた。
小学校の体育館ほどもありそうな巨大なドームだ。まるで岩全体が溶岩のように明るいオレンジ色をしている。
ドワーフたちはいったい何のためにこんなものを作ったのだろう。もっとも私たちの国にある建築物だって、それが遺跡となるほど遠い未来には、首を捻りたくなるようなものがたくさんあるはずだ。
「どうしてあなたたちがここに?」とウルスラは言った。
「説明は後回しだ。それよりブランドンは見つかったのか?」
エミリアが急かすように訊いた。
「お兄様はこの扉の向こうに入っていったわ」
ウルスラは背後の扉を指し示した。私の背丈より高い半円形の扉で、表面には銅が挽いてあり、そこには角が付いた兜を被った戦士の絵が描かれていた。ドワーフの武人なのかもしれない。
「ブランドンはたしかにこの中に入ったのだな?」
エミリアが念を押すように訊いた。
「俺がこの目で見たから間違いありません。でも王太子様が入られると、すぐに扉は閉じたのです」とヨシュアが答えた。
「扉は勝手に開いたのか? それともブランドンは入る前に何かしていなかった?」
「そうだ! 王太子様はこの石の前にしばらく立って居られました。遠くからだったので、何をされていたのかまでは分かりませんでしたが……」
扉の脇にはお墓にある花立てような石があった。
「そういうことか……門扉には血の封印が施されている。開けるためにはアルダリスの子孫の血が必要なのだ。ブランドンを呪術で操ったのは、その目的のためだったのか……」
石を見てエミリアが言った。
「じゃあ、扉は開かないってこと?」
ララノアの言葉に、皆が一斉にウルスラを見た。
「この窪みに血を入れたらいいわけね?」
ウルスラはこともなげに言うと、指先に剣の刃を当てた。
「いっいけません! 高貴なお体に傷が残るようなことがあったらどうなされるのですか」
ヨシュアが慌ててそれを止めた。
高貴なお体とやらを鼻血まみれにした私の立場はどうなるのだろう。
「ヨシュアは大げさね。剣術の稽古をしていたら、怪我なんてしょっちゅうよ」
ウルスラは構わず、刃を引いた。
指先から血が滲み、石の窪みに滴り落ちた。
「何も反応がないな。血が足りぬのかも知れぬ」とエミリアが言った。
ウルスラはキッとエミリアを一度睨むと、今度は手の甲に刃を走らせた。
しゃっくりのような声を漏らしたヨシュアが卒倒しかかって、ララノアに支えられた。
ウルスラは手の甲を石の上に持っていった。真っ赤な血がウルスラの白い手を伝って、落ちていく。血が窪みの底を全体を濡らしたとき、扉が軋むような音を立てて上がり始めた。
「ここから先は何が起こるか保証できんぞ。戻りたいなら今のうちだ」
エミリアは覚悟を確かめるように、皆の顔を見まわした。




