反撃
明けましておめでとうございますm(_ _)m
旧年中は拙作をお引き立て頂きありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。
ラムラスが着地する間すらもどかしいように、エミリアはその背から飛び降りた。
タイトなシルエットの黒いスーツのお尻をポンポンと手で払うと、エミリアは颯爽と歩きはじめた。しゃべらなければ外国映画に出てくるやり手のキャリアウーマンみたいにかっこよくて頼もしい。白い呪術師など彼女にとってはまるで眼中にないらしい。
実際、ティロロもエミリアのただならない魔力を警戒してか、遠目からこちらを伺っている。その表情にはさっきまでの余裕は微塵もない。魔獣の将帥すら怯ませてしまうこの女はいったい何者なんだろう。
思えばこの女と出会ったときから、私の冒険が始まったのだ。これまでの出来事が私の頭の中を駆け巡る。夜の公園、ラムラスの背に跨がりガランドを追いかけたこと、ヴィーブルとの戦い。すべてこの女が切っ掛けなのだ。
「しょうもない魔法に引っ掛かりおって」
エミリアはちょっと顔をしかめると、私の額を指で弾いた。途端に縛り付けられていた力から解放された。エミリアの指先は私をすくませていた恐怖まで消し去った。胸の中に溜まった重苦しいものをすべてぶつけるように、戦いの最中であることも忘れてエミリアに縋り付き泣いた。
「おいおい、このスーツまだローンが残っているんだ。汚い鼻水つけるんじゃないよ」
そう言いながらもエミリアは私の髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
「よく生きてここまでたどりついたな」
その言葉に今までの出来事が一気に頭の中で駆け巡り、私はさらに声を張り上げて泣いた。なりふり構わず、こんなふうに人に甘えられる自分が不思議だった。
「怖かった……なんでもっと早く出てきてくれなかったのよ!」
小さな妹のように私はエミリアの胸を何度も拳で打った。
「すまん。しかし、お前はよくがんばったさ。がんばりすぎてとんでもない化物まで引っ張りだしてしまったがな」
エミリアは私の両腕をしっかりと掴むと、目を見て言った。
「しかし、もう一がんばりだ。殴られたら殴り返せ。それがこの世界で誇りを失わずに生きていく術だ。シンプルだろ? お前は愛する男を振り切ってまで、ウッドエルフたちを守ると大見得を切った。だったら吐いた唾は飲むな。きっちりケリをつけてこい」
青い瞳が縮こまった私の心を叱咤する。
「でももうベルは居なくなったんだよ。どうやってあんな強いのに勝てばいいのよ?」
「あいつは剣の封印から逃れることはできない。どこにも行ってないさ――出てこい!」
エミリアの声に応えるかのように、ベルの気配が戻った。
「見捨てるつもりはなかった。一度、この娘は怖い目にあった方が本人のためと思ってな……」
ベルの声が心なしか震えているように思える。
「この間まで、素人だった娘相手にやり過ぎなんだよ。私が間に合わなければ死んでいるところだぞ」
この間まで素人って……今の私はプロなんだろうか。
「さすがに俺もそうなる前に出て行くつもりだったわい! しかしエミリア、縛めを一つ解いてもらわないと、さすがにあれ相手にはきついぞ」
縛めとはなんのことだろう。しばしの間、腕組みしていたエミリアがパチンと指を鳴らすと、鎖がはじけるような金属音がした。
「ふう……少し楽になった。すまんがもう一つお願いできないか?」
ベルが阿るように言う。
「調子に乗るんじゃないよ」
エミリアは魔獣を一喝した。
「こいつには何重にも封印を施してある。そうしないと危険極まりないからな……あとは自分でなんとかしろ」
「手伝ってくれるんじゃないの?」
「これはお前の仕事だ。私は弟子を蘇生してやらなければならない」
エミリアは凍ったままのトニアのほうを向くと、魔法の杖を振るった。トニアを覆っていた氷が溶け始める。しかしその顔は雪山で行き倒れた人みたいに血の気がまったくない。いや呼吸すらしている様子はなかった。
「だいじょうぶなの?」
「ああ、問題ない。ただ蘇生の魔法は時間と魔力をかなり消費する」
エミリアはぐったりとしているトニアを大鷲に載せた。それからゆっくりと振り返った。
「一つだけ言い忘れた。私がお前を助けに来たのはブランドンに頼まれたからだ。この戦いの間、私は彼を守るつもりだった。魔獣の王との戦いが本格化しはじめた今、あの男を失うわけにはいかないからな。しかしあの男はお前を守って欲しいと私に懇願した。王太子である自分が死ねば、この国は戦いの要をなくすことをあいつ自身が一番よくわかっているはずなのにな……お前は振ったつもりかもしれないが、あの男の心は未だお前にある」
私の耳はきっと真っ赤に染まっているに違いない。
私は勝手にブランには王太子と放浪の騎士の二つの顔があると思い込んでいた。そして王太子のレイマンは何よりも国のことを優先し、私が入り込む余地などないと信じていた。しかしブランはブランなんだ。彼は自分の身を危険に曝してまで、エミリアを私のもとに遣わしてくれた。
もう余計なことを考えるのはよそう。私は彼を愛し、彼もまた私を愛している。それを間違えなければ、私たちはどんな形であれ、結ばれているのだ。
「来てくれてありがとう。私はもうだいじょうぶだよ」
私はエミリアに微笑んだ。
三十六回払いの黒いブランドスーツに身を包んだ大魔導師はラムラスを羽ばたかせた。
「ずいぶんと私を無視してくれたわね」
様子を伺っていたティロロが地上に降りてきた。
――ベル、今度はしっかり頼むよ
――さっき俺がお前に逃げろと言ったのは、こいつはお前を端から殺す気などなかったからだ。王都を陥す気もないだろう。きっと狙いは他にある。それを見極めるまで無駄な戦闘を避けるべきだと思ったからだ。だがお前は俺の忠告を無視してあの様だ。
――ごめん、反省してます。で、その狙いというのはわかったの?
――いや、わからん。しかし、もうこいつは本気でお前を殺す気でいる。心して掛かれよ。
――わかった。で、どうすればいいわけ?
――俺の縛めが一つ取れたことで、お前の身体能力はさらにあがったはずだ。見えなかったものが見えるはずだよ。
「あらっ? 魔導師さんの姿が見えないけど、お姉さんひとりでだいじょうぶ?」
ティロロはさも今気づいたというように言った。
「ああ、心配かけたな。全力で掛かっておいで」
「さっきまでべそかいてたと思ったら、意味わかんない」
ティロロの手がサッと伸びた。私はステップバックしてそれをいなす。
私は剣を正眼にとると、一気に斬り込んだ。剣は空を斬ったが、ティロロの動きの軌跡が陽炎のようにゆらゆらと見えた。そしてその陽炎はティロロの身体から今も湯気のように沸き立っている。
――あれはなに?
――魔精気だ。魔獣の本体はあの魔精気の流れなのさ。今お前はそれを目で追えるようになったというわけだ。
いまいちよくわからない説明だが、要するにもうワープは封じたということでOKらしい。
再びティロロのレイピアが伸びてきた。私はそれを剣で払うと、返す刀を浴びせる。ティロロの身体は見えなかったが、動く方向は陽炎が教えてくれた。
銀の糸のような髪が宙にぱっと散った。
「よくも私のだいじな髪を!」
白い呪術師はもの凄い形相で私を睨みつけた。
「女は恋すると力が五割増しになるんだ。覚えておけ、ガキんちょ!」




