奔流
街は既に厳戒体制に入っていた。移動する兵士たちの隊列が通りを忙しく行き交っている。大通りに設けられた門には警備の衛兵が立っていた。どうやら通行が制限されているらしい。衛兵は門を抜けようとする者の手荷物を改め、用向きを問いただしていた。そのため深夜にもかかわらず多くの人が門の前に列をなしていた。
この様子ではレオも足止めを食らっているに違いないなと私は思った。
「皆何処に行こうとしているの?」
「港よ。お金のある者たちは、船で王都から逃れようとしているの」
ウルスラは忌々しげに手綱を持った手で膝を叩きながら言った。どの世界でも金のある者には選択肢が用意されている。貧しい者は街と運命をともにするしかないのだ。
「これじゃ間に合わないわ。先に行って道をあけさせなさい」
ウルスラは護衛の騎士に命じた。騎士たちは馬を前に進めると、「第一王女のお通りである!」と怒鳴りながら、群集を排除しはじめた。たちまち人の波が分かれる。
人々は高貴な姫の顔を一目見ようと馬上のウルスラを仰ぎ見た。その姫が大女に抱えられるように馬に跨がり、顔をピンク色に腫らしているのに気付くと一様に驚きの声を漏らした。
彼女の細い腰に手を回していると、甲冑を着てるにもかかわらず、信じられないくらい小さくて細いことがわかる。ガラスケースに入れて部屋に飾っておきたいくらいだ。そんなお人形のような少女をボコボコにしてしまったことにチクリと胸が痛んだ。
「勇ましい格好をしているけど、何処かに行くつもりじゃなかったの?」
「王宮にいても気がせくばかりだから、街の巡察に出ようと思ったの。そこに運良くあなたが来たわけ」
ウルスラは見通しの良くなった大通りを馬を走らせながら答えた。ほんとに運が良かったとしみじみと思った。私一人ならこの人混みを抜けるだけでも相当時間をロスしたことだろう。
「余計な手間を取らせて悪かったね。でも助かったよ」
「礼には及ばないわ……それに、私はあの人たちにちょっと感動しているの」
「感動って、誰に?」
「ウッドエルフたちによ。私とあなたが殴りあっている間、あの人達は汚い野次の一つも飛ばさなかった。私が倒れた時も静かに見守っていた。王家が彼らにしてきたことを考えれば恨まれて当然なのに、彼らは嘲笑うこともしなかった……思いやりと気品のある人たちだわ」彼女はしみじみと言った。
「ヨシュアはあなたがどんなに殴られても立ち向かう姿に、胸をうたれたと言っていたよ。居住区の人たちは、あなたが王女という立場を傘にきないで、正々堂々と戦ったことに敬意を払ったのだと思う」
夜の冷たい風がウルスラの金色の巻き毛を靡かせた。仄かな甘い香りが匂い立った。
「聞いていたよ……だから目を開けることができなかったんだ」
私は手綱を握るウルスラの手にそっと自分の手を重ねた。
大手門の近くまで来ると、レオと何人かのウッドエルフが腰に縄を打たれて、兵士に連行されているところに出くわした。
「レオ!」私が叫ぶと、先頭を行く隊長の乗馬が真っ先に反応した。私の漆黒の愛馬は嘶きとともに棹立ちになると、隊長をそのまま地上に振り落として私のもとに走ってきた。私はウルスラの馬から飛び降り、ユリシーズの頭を抱きしめた。
「いったいこれは何事!」ウルスラが無様に仰向けになっている隊長を見下ろして言った。
「こいつらが魔獣のもとに走ろうとしていたので捕らえたのです。小僧もその一味です」と隊長は答えた。
「どうしてそう思ったのかしら?」ウルスラは冷ややかに問い返した。
「ウッドエルフは魔獣の仲間です。きっと表の魔獣どもを城内に手引しようとしていたに違いありません」
隊長の言葉にウルスラは大きく溜め息をつくと、「彼らは私の友人です。すぐに解放しなさい」と言った。隊長は慌てて体を起こすと、部下にそうするよう命じた。
「他にも仲間はいるの?」
ウルスラはウッドエルフの一人に問いかけた。
「街で働いている仲間がいつも溜まる場所に隠れています。俺たちは食い物を手に入れようと表に出たところを捕まったのです。そこをレオさんが通りかかって助けようとしてくれたのですが……」
ウッドエルフは申し訳なさそうにレオの方をみた。
「街の中も彼らにとって安全とはいえません。見つかると何をされるかわかりません。流言飛語が飛び交い、不安が理性を失わせています」とレオは言った。
ウルスラは頷くと、護衛の騎士を振り返った。
「この人たちに付いて行き、街にいるウッドエルフを集めて王宮に保護しなさい」
「お言葉ですが、我々はあなたを守るのが役目なのです。どうか他のものにお命じください」騎士の一人が答えた。他の騎士も同意を口にした。
「お前たち誓約の騎士は、私の命と共に名誉も守ると誓ったはずよ。始祖アルダリスの呼びかけに応じて、多くの亜人たちがその旗の下に戦いました。アルダリスはその功を讃えて、彼らの守護者になることを誓ったのです。今ではそんな誓いはとっくに破られたけれど、私は忘れていません。さあ、行きなさい!」
ウルスラは凜とした声で言い放った。
「お言葉のままに」騎士たちはウッドエルフたちの腰をつかみ馬に引きずり上げると、街に向かって一斉に駈け出した。
アルダリスは立派な王だったのだろう。しかし完全無欠な王も一つ過ちを犯した。王になる者は成人の男子のみと定めたことだ。もし彼に会うことができるなら、私はあなたの子孫には王たるにふさわしい立派な娘がいるのだということを伝えたいと思った。
正門を出た私はユリシーズの脚を止めた。外壁の向こう側の空にいつもはもっと高い所にあるはずの裂け目が、ずっと下まで降りてきている。其処から漏れ出す黒い光が色を欠いたオーロラのように地上に向かって伸びていた。
美月はまだ魔獣の王を宿したままなのだろうか、それともう切り離されてしまったのだろうか。すぐにでも港に行き、ダークウッドに向かいたい衝動にかられた。
「突撃の陣形を取っています。直に攻撃が始まりますよ」
レオが眼下に広がるノーラス軍を指差した。なだらかな斜面に騎士たちが楔形の陣形を取っているのが見えた。
「急ごう」ウルスラが馬腹を蹴った。
私たちはブランの居る本営を目指した。
途中何度か兵士に誰何されたが、王女の威厳というものは顔を知らなくても通じるものらしい。
「第一王女ウルスラが罷り通る」、彼女の一言で兵士たちは道を開けた。私たちはなんなくブランの居る天幕にたどり着いた。
ウルスラは躊躇うことなく、天幕の垂れを跳ね上げると中に入った。
天幕の中ではテーブルを囲んで四人の騎士が地図に見入っていた。突然の闖入者に彼らは一斉に顔を上げた。ブランは細かく編み込まれた筒袖の鎖帷子を着ていた。蝋燭の灯がつくる影のせいか、顔色がすぐれないように見える。
彼は一度私の方を見たが、すぐにウルスラに視線を移した。
「王宮に居るように命じたはずだ。どうしてここに来た?」ブランは強い調子で言った。
「勘違いなさらないで、父はあなたに政と戦の指揮を委ねはしたけれど、王族の行動にまで口を挟む権限は与えなかったはずです。私に命じることができるのは父王ただ一人」ウルスラは怯むことなく答えた。
私は彼女がブランの前では従順で可愛げのある妹として振るまうのではないかと心配していたが、それはまったくの杞憂だった。
「ウルスラ様、ここは陣中です。しかも今は軍議の最中なのです。申し訳ないが女子供の相手をしている暇はありません」でっぷり太った年嵩の騎士が嗜めるように言った。
「口を慎みなさい、サー・ディネス。私は王太子に至急の用件があってきたのです」
ウルスラはピシャリと言った。ディネスは口をへの字に曲げて黙りこむよりほかなかった。
「困ったやつだな。言いたことがあるなら言うが良い」とブランが言った。
「外壁を放棄するのを少し待って頂きたいの」
「それはできんな。既に伝令を発している。外壁の兵士たちは払暁を待って撤退を開始する」とブランが言った。
「ならば、新たな伝令を出してください」ウルスラは苛立ったように言った。
「納得のいく理由を聞かせてもらおうか、それによっては考えなおしてやっても良い」ブランは顎をさすりながら言った。
「居住区のウッドエルフを見つけ出し、城内に避難させる時間がほしいのです」
「黙って聞いていれば戯れ言をぬかしおる! 母屋に火がついているのに、家畜小屋を心配する愚か者はおるまいて」私より頭一つ背の高い騎士が吐き捨てるように横槍を入れた。
「ウッドエルフは家畜ではありません! 彼らは長い歴史と誇るべき文化を持っているのです。あなたのような人よりずっと知性がありますよ」レオが堪えきれずに口を出した。その一言は騎士を怒らせた。
「小僧! 二度と生意気な口をきけないように、その喉を裂いてやろうか」背の高い騎士は剣を抜くと、レオの喉に突きつけた。だが、レオは一歩も退かずに睨み返した。
「サーオドネル、剣をしまいたまえ。皆の者も悪いが、夏美と二人にしてもらえないか?」
私が背中の剣に手をやったのを見て取りブランが言った。オドネルはなにか言いかけたが、結局肩を怒らせながら天幕を出て行った。他の騎士たちもそれに続いた。
「ウルスラ、お前もだ」
ブランはその様子をニヤニヤしながら見ていたウルスラに言った。
ウルスラは肩をすくめると、私にひとつ微笑んで立ち去った。
二人きりになると、ブランは王太子から、私の愛しい男の顔に戻った。しかし、そこにはあの自信と精気に満ちた表情は消えていた。
頬はこけ、目は落ち窪み、一度に十年も歳を取ったように見えた。
「何も言わずに出て行ってごめんなさい」
私は自分の身勝手さを恥じた。そして自分が人を愛する資格などないのだと悟った。彼はこんなにも苦しんでいたのだ。
「気にすることはない。ウルスラから大体の事情は聞いた。俺がお前でも同じことをしたはずだ。しかし、なぜお前はここに居る? 早く王都を出ないと、妹を探すことも叶わなくなるぞ」
ブランはテーブルの上に袋を置いた。中に金貨が入っていることはその音でわかる。
「すぐに港に行き、どんな船でも良いから乗るんだ」
「気遣ってくれてありがとう。でも私は友達を見捨てることはできないんだ。そういう性分でね……いや今までそんな友達なんて居なかったかな。だから余計にそんな薄情な真似はしたくない」
「ウッドエルフのことか? 残念だが、攻撃を遅らせることはできないんだぞ」とブランは言った。
「そっか。時間をとってくれてありがとう。久しぶりに二人きりで話せて嬉しかったよ。あとは自分で何とかする」
私は彼の顔を見ているのが辛くなり、背を向けた。出ていこうとする私の腕をブランが掴んだ。
「行かないでくれ。傍にいてほしいんだ」
ブランは私を抱きすくめた。懐かしい匂いが私を包む。胸の前で合わさった彼の袖口から、赤いスタジャンの袖がのぞいていた。込み上げてくる感情の渦に、肯きそうになる自分が怖くなって、私はブランを突き飛ばすと外へ飛び出した。
外はもう白み始めていた。
私の気配にも気づかず、ウルスラとレオが外壁の方を呆然と見ていた。
茶色い外壁の上に黒いシミのような点が見えた。シミは数を増やして行き、壁の色を黒く塗り替えていく。今やそれとはっきりとわかる黒い魔獣の大軍が緑の野を奔流のように飲み込み始めた。
「始まったようです」レオが呟くように言った。




