襲撃2
誰かが私の人生を弄び、どこかで笑っているのではないかというくらい、次から次とどん底に落とされる。そいつはとんでもないサディストか著しく情動の欠如した奴なんだろう。
「魔獣の数はどれくらいだ?」レストンは立ち尽くしたままのロイスに訊いた。
「物見の話では一万を超えている」とロイスは言った。
一万という数に私たちは言葉を失った。砦を襲ったリュロスは五十かそこらだった。その二百倍の魔獣が王都に襲いかかってきているいうのだ。
「とうとう本格的に来やがったか」レストンが鼻を鳴らした。
「王が降臨したの?」
「いやそれはないだろう。それなら一万なんて数では済まない。エルデン川に押し寄せた魔獣は十万を超えていた」
その数は実際に目にしたら、私のどんな想像をも陵駕していることだろう。
「それであんたに頼みたいんだが、裏の連中に話をつけてもらえないか? 今奴らに仕事をされたら、とてもこっちの手に負えん」ロイスはレストンに頼んだ。
裏の連中とは青い帽子の男のような者のことを指すのだろう。街が混乱している今、彼らにとっては降って湧いたような稼ぎどきに違いない。
「話は通してみるが、連中に仕事を控えさせるにはそれに見合う条件が必要だ」レストンはニヤリとした。
「こちらが聞ける条件なら呑む覚悟はある」ロイスはそう言うと、私の方を見た。
「これから港に行き、すぐに船に乗るんだ。停泊している船は皆出航の準備をしている。明日の朝には港は空っぽだ。急げ」
「魔獣の軍は今、どこに居るの?」
「既に外壁に取りついている。防ぎきれるかどうかわからん情勢だ」
「居住区が心配です」レオが声を上げた。
居住区は外壁の内側に少し入ったところにある。魔獣が突破すれば真っ先に狙われる位置にある。
「居住区というと、ウッドエルフのか? 可哀想だが、どうにもできんよ。街に逃げ込むしかない」ロイスは言った。
「彼らは街には行きません。十七年前、城門に向かったウッドエルフがどうなったかご存じですか? 城兵たちは彼らを矢で射殺したのです。ウッドエルフたちはそれをけして忘れてはいません」レオは語気を荒げて言った。
カイル・ハイデンが消えたからといって、ウッドエルフへの蔑視まで消えたわけではない。城門に殺到する彼らに矢の雨が降ることは容易に想像できた。
「俺にどうしろというんだ? 守備兵一人一人にウッドエルフを等しく人間と同じように扱えと説いて回るのか? 奴らが動物だというのは教会の教えだ」カイルは目を剥いた。
「ウッドエルフが安全に街に入れるように、救援の兵を出して欲しいのです。先導してくれるものがいれば彼らも安心するはずです」
「市警にどれだけ人員がいると思っている。今は悪党の手すら借りたいほどなんだぞ。それに城兵は俺の指揮下にない」ロイスは手を振った。
「お願い、ロイス。なんとかならないの?」
私は彼に懇願した。
「ウッドエルフが、逃げてきたら門に入れるように、城兵の指揮官に伝えておく。だが俺にできるのはそれくらいだ。すまん」ロイスはそう言うと転がるように階段を降りて行った。
「私たちで彼らを街に逃げるように説得するしかない。ララノアたちが心配だ。急ごう」
私はレオを促した。船を逃すことになるが仕方ない。友達が目の前で死にかけているのだ。
「行ってどうする? お前たちが着く頃には外壁は落ちているかもしれないぞ」レストンが言った。
「外壁はそう簡単に落ちませんよ。城壁には投石機や弩も備えてあります。王都は三方を海に囲まれているのです。一万といっても敵は正面からしか攻められません。外の砦と連携して守りに徹すれば、暫くは引き留めておくことができるはずです」
「その戦略が成り立つのは十分な兵士が居る場合だ。しかしハイデン公が去った今、王都にそんな兵力の余裕はないのだ。王の兵士も大半はまだ聖都から帰還中だ。守る兵のいない城壁や砦は機能しない。ブランドンは外壁を捨てる決意を固めているはずだ」レストンは言った。
「捨ててどうするのですか?」レオが言った
「ほとんど奇襲に近い攻撃だ。籠城の準備もできていない。今から諸侯に伝令を走らせても、駆けつけてくるまで持ち堪えられるかどうかわからん。俺がブランドンなら徒に兵を損ずる前に打って出る」
「まさか外壁の中で敵を迎え撃つつもりですか?」
「そうだ。外壁と王都の城門の間はすり鉢状の野原になっている。騎士の戦いには打ってつけの地形だ。魔獣どもがその底まで降りてきたところを逆落としに騎兵で攻める。これしかは手はないはずだ」
「要するに居住区は戦場になるってことね。そうなる前に手を打たないと……とにかく王宮に行ってみる。ウッドエルフたちが避難するまで外壁を放棄しないようにブランに頼んでみるよ」私は言った。
レストンはなにも言わなかった。きっと彼は無理だろうと言いたかったのだろう。
表通りは人と兵士でごった返していた。馬に乗った指揮官が道を開けろと怒鳴っている。子供の泣く声、道端に跪き神に祈る者たちの姿もあった。
「居住区から王都までは数キロですが、老人や小さい子供を連れての避難となれば、時間が掛かります。ユリシーズを貸してください。僕は一足先に居住区に行きます」とレオが言った。
私はくれぐれも気をつけるように彼に言うと人混みをかき分けて王宮に向かった。
王宮前の広場は篝火が煌々と炊かれていた。
しかしそこは思いの外がらんとしていた。門に駆け寄ろうとしたとき、白馬に跨がったウルスラが出てきた。銀色の甲冑に身を固め赤いマントを羽織っている。後ろには同じように武装した騎士が数名付き従っていた。私の姿を認めると、彼女は手を振った。ララノアの軟膏が効いたとみえて、一晩で腫れはかなり引いていた。
「なぜあなたが此処に?」彼女は訊ねた
「ブランに頼みがあってきたんだ」
「お兄様なら王の盾を率いて出陣なさったわ」とウルスラは言った。
レストンの言った通りブランは打って出るつもりらしい。城外に布陣を終えたところで、外壁は放棄されるに違いない。一刻の猶予もないことを私は悟った。
「わかった。そっちに行ってみる」
「待って、その頼みというのを私に話して」
背を向けた私をウルスラが引き止めた。
「居住区が戦場になる。ブランは外壁の中に魔獣を誘い込むつもりだ」
「それで合点がいったわ。王の盾が王宮を離れるのは最後の決戦のときだけなの。お兄様はなにも言われなかったけれど、野外で決着を付けるつもりだったのね。でも魔獣は外壁に取り付いてるわ。ウッドエルフたちも避難を開始しているんじゃないかしら?」
「彼らには逃げ場がないんだ。十七年前のことを知っている? 王都に逃げ込もうとしたウッドエルフたちは城兵に射殺されたんだ」
ウルスラは腫れた顔を凍りつかせた。
「そんな話、初めて聞いたわ。なら彼らは今どうしているの?」
「わからない。外壁の中をうろついてるかもしれない。レオが街に入るよう説得に向かっている。市警の司令官がウッドエルフたちを城に入れるよう城兵に伝えてくれる手はずになっている。いずれにせよ今外壁の中が戦場になるのは困るんだ」
数キロ四方の外壁の中を魔獣が埋め尽くせば、逃げ場などほとんどないだろう。
「わかったわ。急ぎましょう。私からもお兄様に話てみるわ」
「気持ちはありがたいけれど、王女を危険にさらすわけにはいかない」私は彼女の申し出を断った。しかし、彼女はあの戦闘的なキッとした目で私を見返した。
「私が居なければ、門の外にも出られない。お兄様にも面会できないわ。あなたは余計なことを考えずにウッドエルフの心配だけをしなさい」
有無を言わせない調子でウルスラは言うと、馬の背を叩いた。




