追跡
「ちっ、手遅れだったか」
占い師は吐き捨てるようにいった。
どうやら犬を焼き殺したのはこの女らしい。私が目を閉じた一瞬に犬は丸焦げになっていた。どんな手管を使ったのだろう。火炎放射器?魔法?後者のような気がしないでもない。もう今夜はなんでもありだ。
それにこの女が魔法使いだとしても違和感はまるでなかった。
胸元の大きく開いた黒のワンピースに網タイツ、つば広のとんがり帽子こそ被っていなかったが、フード付きのマントを羽織っている。手には細身の剣を持っていた。
それにかなりの美形だ。それも癖のある美人と言って良い。ぱっちりと大きく開いた目元、深く青い瞳。鼻は少々大きすぎるようだが、肉感的で厚みある唇と相まって、性的な魅力を存分に醸し出している。渋谷辺りを歩けば、十人中八人の男は振り返るだろう。要するに私の一番嫌いなタイプの女だった。
「あいつは誰なんだ? 美月はどうなる?」
占い師はジロッと私を見た。
「それを聞いてどうするつもりだ」
「どうするも何も妹を助けるためだ。私には知る権利があるはずだぞ」
「助けるだと? 犬ころ一匹相手に母親に助けを乞うてるお前がか? 笑わせるな」
嘲るような女の笑いに、顔が赤らむのを感じた。
「お前の相手をしてる暇はない」
占い師は指笛を吹いた。
今度はいったい何が起こるのだろう。まあ、何が起こったところで驚きはしない。案の定、上空に現れたのは真っ白な大鷲だった。さっきの大烏を体験済みなので、もう驚きはしない。
占い師は大鷲に跨がった。きっと美月の後を追うのだろう。このまま行かせてしまっては、美月を取り戻す手立てを失ってしまう。今にも飛び立とうとする大鷲の背に飛び乗った。
「おい、降りろ。デカ女。お前みたいなのが乗ればラムラスが飛べぬわ」
「降りない」
占い師のくびれた腰にしがみついた。
「離せ!こそばいだろ」
「ぐずぐずしてるヒマはないんじゃないの?」
「ええい、仕方ない。ラムラス、飛べ」
占い師は私を降ろすのを諦めた。
大鷲は大きく羽ばたくと、急上昇した。公園がどんどん遠ざかる。それがソフトボールほどの大きさになったとき、鷲は水平飛行に移った。
寒い、おそろしく寒い。こんな寒空に高高度を飛んでいるのだから寒いに決まっている。女の腰に回している手の感覚がだんだん失せてきた。なんとかしないと手がちぎれてしまいそうだ。
手をずらして、占い師のスカートの中に手を潜り込ませた。少なくとも風よけにはなると思っていたが、思いの外暖かい。さらに握り合わせた手を股間の方に擦り寄せてみた。ほんのりと暖かさが薄い下着越しに伝わってくる。
「ひゃぁー」
占い師は顔に似合わない細い声をあげたて身をよじった。
「おい!いい加減にしろ。どこに手を入れてるんだ」
「ごめん。寒くてたまらないんだ。我慢してよ」
「我慢など、できるか!」
腰をくねらせながら抗議する。そのたびに股間が私の握った手に擦りつけられて、占い師の呼吸が荒くなる。状況を自分から悪くしている気がしないでもないのだが、ひょっとしてこの女……
「しかし、そんな格好でよく寒くないな」
「こっ……この程度で……寒がっていて魔導師が勤まるかっ」
占い師の声は一オクターブほど上ずっていた。
やっぱりこの女は魔法使いだったのだ。普段から鷲に乗って飛び回っているから、寒さに耐性があるのだろうかと妙な感心をしていたら、腰の動きが止まった。
「居た!」
占い師が叫んだ。指差す方向を見たが、私には何も見えなかった。
「ラムラス、急げ!」
占い師の叱咤の声に、大鷲は羽ばたきをせわしなくして速度を上げる。たちまち距離が詰まりはじめた。さすが大鷲だ。今度は美月の赤いダッフルコートがちらりと見えた。
「追いつけそう?」
「お前が居なければ造作もないのだがな。しかし、行かせるわけにはいかぬ」
「行くってどこへ?」
「ノーラスだ。あの娘をノーラスに入れるわけには行かない」
占い師は持っていた剣を振るった。剣の先から炎の塊が猛烈な勢いで、烏のほうに飛んでいく。炎は烏の斜め右上で曳光弾みたいに破裂した。夜空がぱっと明るくなる。
「おい!なにやってんだ。美月に当たったらどうする」
「悪いが烏もろとも撃ち落とさせてもらう」
「あんた頭やられてるんじゃないの? 私の妹が乗っているんだぞ」
「妹だと? 血など繋がっていないだろ」
ギクッとした。どうしてこの女は親戚ですら知らないことを知っているんだ。占いでか、魔法を使って私の頭の中をのぞいてみたのか?
「血が繋がっていようが、なかろうが、あの子は私のたった一人の妹なんだ」
私は占い師の腕を背後から抱え込んだ。
「離さぬか!」
占い師は必死でもがいたが、力は私の方が強い。
このままだと大烏を見失ってしまうが、この女の狙いが美月を殺すことなら自由にさせるわけにはいかない。
大鷲の上で私たちは揉み合った。烏の姿が再び視界から消える。
占い師はがくんと首を前に折った。何事かと思った瞬間、女は思いっきり弓反りになり、後頭部を私の鼻に打ちつけやがった。
一瞬目の前が暗転し、鼻梁の中を血が降りていくのがわかった。
「くそっ!鼻の骨が折れただろ!ぶさいくな顔がこれ以上ぶさいくになったらどうすんだ」
「ざまあみさらせ!」
占い師は勝ち誇ったように笑った。
「うっせぇ!勝ったと思ってるんだろうが、まだ早いんだよ」
私は女のブロンドを後ろから掴んで引っ張った。
「やめろ!私の髪が抜けたらどうするんだ。それにお前は私の手に剣があることを忘れているぞ」
「かまわんさ。このままお前を道連れに落ちてやる」
私は女の細い首に腕を回した。
「わかったから、もう離せ」
女はあきらめたように静かにいった。
「もう魔法を打たない?」
「もう遅いよ……」
いつの間にか目の前に巨大な光の渦巻きが広がっていた。銀河の彼方にあるはずのアンドロメダ星雲が間近に降りきたみたいだった。それを見たのは初めてではない。こんなに大きくはなかったけれど、洞窟のあった滝の上に見たものと同じだった。
「あれはなに?」
「この世界と私の故郷ノーラスを繋ぐ時空の裂け目だ」