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勇敢な追跡者の物語  作者: tori
白い呪術師編
39/88

ウルスラ2

 ウルスラの顔は蜂の巣に頭を突っ込んだみたいに腫れ上がっていた。元が美形なだけに中々凄みのある顔に仕上がっている。

藁のベッドの上に横たえてみたが、目を閉じたままピクリとも動かない。

「とりあえずこの軟膏を塗っておけば二三日で腫れは引くはずだよ」

 ララノアが貝殻に詰めたワセリンのような塗り薬をウルスラの顔の上で延ばし始めた。浸みるのか時々顔をしかめるけれど、呻き声を上げたりはしない。

「そんなに効果があるんだ?」

 すこし疑わしげに私が聞くと、ララノアはちょっとムッとした顔で腕の包帯を少しめくって見せた。金狼に折られた時は紫色に腫れ上がっていた腕がすっかりと元の肌色に戻っている。

「これはウッドエルフに伝わる秘薬なんだ。ここらじゃ取れない薬草も調合してあるから、貴重な品なんだけどね。人間にもきっと効き目があるはずさ。あとで夏美にも塗ってあげるから」

 ララノアは慣れた手つきで膏薬を薄く延ばして、万遍なく顔全体に塗っていく。

 戸口の脇では侍女のサラが不安げな面持ちでその様子を見守っていた。


「しかしまた、手ひどく痛めつけたもんだね。割り木を放り投げたときはビックリしたよ。魔法でも使うのかなって思った」

 ウルスラの顔をすっかりテカテカにし終えたララノアは指先に付いた膏薬を拭いながら言った。

「ほんとは傷つけるつもりはなかったんだ。負けを悟らせれば良い、そう思ったからあんな卑怯な手を使ったけど、この子はけして降参しなかった。気持ちいいほど真っ直ぐに立ち向かってきたから、嬉しくなってね。手加減するのも忘れちやった」

「嬉しくなったの?」

 ララノアは不思議そうに私を見た。

「私は向こうの世界でも女の中では並外れて大柄だったから、この子みたいに感情むきだしで突っかかってくる友達も知り合いもいなかった。陰口は散々言われたけれどね」

 学校で部活で深夜のパン工場で、私はいつも悪意ある中傷に晒され続けた。この子のように真剣に私に向き合ってくれる友達がいれば、私の青春ももうちょい明るいものになっていたかもしれない。


「最初は嫌な人間だなと思ったけど、俺は気がついたらこの人に肩入れしてました。巨大な敵にも怯まず立ち向かう姿に猛烈に感動してしまいました」

 黙って話を聞いていたヨシュアが口を挟んだ。

「あんたいったいどっちの味方してるのよ!」 ララノアが兄の頭を小突いた。


 しかしこれが普通の反応なのだ。大きい者と小さい者が戦えば、どうしたって小さい者を応援したくなる。昔話にしたっていつも小さい者に正義がある。ダビデとゴリアテ、弁慶と牛若丸、スポーツの世界でもジャイアントキリングは人を興奮させる。


「すいません。でも俺たちウッドエルフは小さい種族なんで、ついそっちから目線になるんです。この人が夏美さんに殴られているのを見てたら、自分がやられてるみたいな気持ちになってしまって……俺たちはいつもそうやって大きな者から痛めつけられる。それでも俺たちはすぐに仕方ないと諦めてしまうんです。我慢していれば痛みにもそのうちに慣れるってね……でもこの人は違った。三回殴られて一発しか殴り返せなくても、戦うことをけして止めなかった。そんな姿を見ていたら胸が熱くなって……」

 ヨシュアは申し訳なそうに言った。

「いいよ。気持ちはわかるから。ただ巨大っていうのはせめて大きいくらいにしておいてね」私はヨシュアの肩を叩いてやった。

 柄が大きいだけで、私だって大きな力に何度もねじ伏せられてきたんだ。実際、日本における私の立場はウッドエルフと同じだ。


「あなたたち、わかっているの? 王族を傷つけた者は死刑なのよ!」

 ようやく正気を取り戻したサラが糾弾するように指を突きつけた。

「わかっているよ。でも彼女を傷つけたのは私だ。居住区の人たちはなんの関係もない。あんたに良心があるなら、そのことをちゃんと証言して」

「仮に私がそうしても、ウルスラ様がお許しになるはずないでしょ」

 サラは喚いた。

もっともな話だ。肝心のウルスラはどう思っているのだろう。ふと横たわっている顔を覗いてみた。土偶のような瞼がいきなりパチリと開いたので、思わず仰け反ってしまった。

「よくも人の顔の上で好き勝手なことを言えたものね。呆れた人たちだわ」

 ウルスラは半身を起こすと侍女の方をジロリと睨んだ。

「良いこと、これは私とこの女の喧嘩であって、他の誰にも関係ないことよ。一切他言無用。わかったわね」

 サラは不承不承にうなずいた。

どうやら私はこの少女に対する認識を根本的に改める必要がありそうだ。

「ありがとう。そうしてもらえると助かる」

「お礼なんていらないわ。そもそも私が勝手に乗り込んできて、喧嘩を吹っかけ、のされただけのこと。でもあなたのその顔を見れば、私も結構いいのを入れたみたいね」

 ウルスラはここに来てはじめて笑顔を見せた。

「ああ、結構重傷だよ」

 ジンジンする痛みと熱っぽい頬の感じからして、私も酷い顔になっているんだろう。私たちはお互いの顔を見つめて笑い合った。

「ひとつ聞いて良い? お兄様のことをもう愛していないの?」

「あんないい男が私の前に現れることは二度とないと思うよ。でもね、私にはやらなければならないことがあるんだ」

「やらなければならないこと?」

「私はこの世界の人間じゃないんだ。時空の裂け目を通ってこの世界に来た。掠われた妹を取り返すためにね」

 私は彼女にこれまでの経緯を話した。

「リアナの娘があなたの妹だったとはね。正直驚いたわ。十七年前の戦争については子供の頃から教えられてきた。それを知るのは王家の人間の義務だから。その話を聞いたとき、最初に思ったのは魔獣の王を封印された赤ん坊はどうなったのかってこと。理不尽なことだと思ったし、もしその子が何処かで生きているなら幸せで居て欲しいと願った」

「美月は幸せだったよ。それにとってもいい子なんだ。もう母さんは居ないけれど、美月は生きている。私のたった一人の家族を取り戻すまで恋はお預け」

 ウルスラはしんみりとした表情で押し黙った。


「仲直りができたところでご飯にしようよ」

 ララノアが空気を変えるように明るい声で言った。 

囲炉裏に掛かった鍋の湯気がさっきから私の空腹をくすぐっていた。木の実をすり潰した団子のスープだ。細かく割いた鶏肉と春菊のような野草が浮かべてある。ララノアは木の椀にそれをよそうと、ウルスラに手渡した。王宮で出されるような豪華さはないが味は絶品だ。

全体にノーラスの料理は塩と香辛料で大雑把に味付けしたものが大半だ。それに比べてウッドエルフの料理は繊細な味付けが施されている。その秘密は多種多様な植物から作った調味料にある。塩辛いものから、旨味のあるもの、酸味の強いものとバラエティに富んでいる。彼らの味覚は日本人に近い。ただ王宮の料理に慣れた王女様の口に合うかはわからない。

 ウルスラはおずおずと椀を手にすると、それを口に運んだ。キレた唇に浸みたのか、少し眉根に皺を寄せたけれど、すぐに美味しいものを口にしたとき特有の幸せな表情に変わっていった。あとはもう華奢なプリンセスには似つかわしくない旺盛な食欲で、スープを三杯おかわりし、一緒に出された魚肉の燻製もきれいに平らげてしまった。


 私とララノア、ヨシュアの三人はウルスラ主従を居住区の門まで送った。

「私にも居なかったよ」

 去り際にウルスラは言った。

「相手が王女でも遠慮なくぶつかってきてくれる友達」

 馬の背に揺られている背中を見送りながら、王女というのも案外孤独なものだと私は思った。


 その日の夜遅く、レオが街から戻ってきた。

「船を見つけました。それに乗る手配も付けてきたのです」

 彼は興奮した様子で言った。ダークウッドの沖合にマラガスという島があり、そこに向かう船が五日後に出るというのだ。

「マラガスは黒真珠の産地なのです。危険な海域なのですが、一攫千金を狙う命知らずの商人がたまに訪れるのですよ。実はロイスさんにも船を探すのを手伝って貰ったんです。さすが市警の司令官ですね。すぐに港の役人に話を付けてくれました」

「でもただで乗せてくれるわけじゃないでしょ? 船賃はどうしたの?」

「これは本人から口止めされているんですが、サー・レストンが出してくれたのです」

 レオは街で調べ物をするのに、レストンの隠れ家に寝泊まりさせてもらっていた。けして安い金額ではなかったはずだ。ロイスといいレストンといい、私は向こうの世界ではけして手に入れることのなかった友情を今手にしていることを思い知らされた。

「明日から忙しくなります。ここを出てレストンさんの家に移りましょう。そこで最後の準備をして船を待ちます」

 興奮冷めやらぬ様子のレオの話を聞きながら、私はそっと小屋を出ていくララノアの姿を見ていた。


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